第8話『風邪』 ――千尋side

―― 千尋ちひろside ――



 具合が悪い……。

 ずっと、世界がぐるぐると回転してるような感覚だ。


 僕は自分の部屋の布団に横になっていた。


「じゃあ、もう少ししたらお母さんお仕事戻るから、ちゃんと寝てるのよ? お腹空いたら冷蔵庫にゼリーあるから、それを食べてお薬飲んでね」


 お母さんがそう言い残して部屋を出ていった。


 今朝までは元気だったから普通に登校したのだが、急に具合悪くなって保健室へ行ったら38度ちょっとの熱。その後、お母さんに迎えに来てもらって病院に行ってはかると、もう少し上がっていた。


 ああ、熱のせいで頭がぼーっとする。

 でもお医者さんが言うには風邪かぜらしいし、薬を飲んで寝てれば治るかな……。


 ――ピンポーン


 家のチャイムだ。誰か来たのかな。


「あら、千尋のお友達?」


 よかった。お母さんが出てくれたみたい。


 僕は目をつむり、うつらうつらとする。

 しかし、ふと誰かの気配けはいを感じて目を開けると、そこにはマスクに制服エプロン姿の女の子がいて、僕の顔をのぞき込んでいた。


 マスクで顔が隠れていてもすぐに誰か分かった。


「あれ、赤井あかいさん……?」


 赤井さんは目を細め、小声で優しく言う。


「今、おかゆ作ってるから、ちょっと待っててね」


「あえ、どうして赤井さんがこんなところに……?」


「あ、えっとね……」


 いや、どう考えても赤井さんが僕の部屋なんかにいるはずない。

 つまり、今僕が見ているのは――


「――そっか、夢か……」


「そ、そう! 夢だよ! うん、夢! だから遠慮なく何でも言っていいんだよ!」


「そう……そっか」


 そういうことか。

 赤井さんが看病してくれるなんて、そんなこと実際にあるわけないもんね……。


 ああ、やっぱり具合悪い。

 少し眠ろう。


 僕は目をつむり、今度こそ眠りについた。



 目が覚めると、外が暗くなっていた。

 一、二時間くらい寝ていたみたいで、さっきよりは楽になっている。

 でもまだ視界がぐるぐると回転としていて気持ち悪い。


 不意に、ガチャリ、と部屋のドアが開けられた。


「あ、白鳥しらとりくん起きてたんだね。よかったぁ」


 マスク姿の赤井さんがにこりと笑みを向けて部屋に入ってきた。

 左手にはぼんを持ち、その上には茶碗ちゃわんが乗っている。


 赤井さんがいるということは、まだ夢の中なのか。

 夢からめても夢という悪夢はよく見るけど、赤井さんが出てきてくれるならむしろ幸せな夢だ。


卵粥たまごがゆが好きって、お母さんから聞いたから作ってみたよ。起き上がれそうかな?」


 赤井さんが僕の脇に腰を下ろしながらいてきた。

 僕はうなずいてゆっくり起き上がろうとする。

 けれど、風邪のせいでいつもより力が入らず、少しよろけてしまう。


 すると赤井さんが補助に入ってくれた。

 僕の背中に手を回し、起き上がるのを助けてくれる。


 すごい近くに赤井さんが……っ!

 夢だと分かってても緊張しちゃう……っ!!


 起き上がると、赤井さんがおかゆをスプーンですくって口元に近付けてきてくれる。


「はい、あーん」


 あ、あーんだって……っ!?

 いいのかな!? で、でも夢だもんねっ!


 赤井さんが差し出すおかゆをぱくり。


「美味しい……」


 熱でにぶくなった舌でも不思議と美味しく感じた。

 赤井さんの顔が嬉しそうに輝く。


「よかったぁ、嬉しい! もう一口食べれそう?」


 僕が頷くと、赤井さんがもう一口おかゆを運んでくれた。


 ああ、どうしよう。この夢幸せすぎる。

 ずっと目が覚めなければいいのに。


「もう入りそうにないかな?」


 ある程度食べたところで、僕の顔色を伺って赤井さんがたずねてきた。

 ちょうどお腹いっぱいになったところだった。

 さすがは夢の中の赤井さん、僕の思っていることは何でもお見通しのようである。


 僕は頷いた。


「そっか、じゃあお薬飲もっか?」


 薬を飲むと、盆を持った赤井さんが部屋を出ていく。


「残りは台所に置いておくから、よかったら後で食べてね」


 去り際にそう言い残し、部屋の電気を暗くしていった。

 しばらくすると薬が効いてきたのか眠気に襲われ、また僕は深い眠りの世界へと落ちた。



 次に目が覚めると、今度は目の前にお母さんがいた。


「あれ……お母さん? あ、そっか」


 赤井さんはやっぱり夢だったんだろうな。

 勝手に納得していると、お母さんに笑われてしまった。


「どうして疑問形なのよ」


「あ、いや」


 事情をどう説明しようかと思っていると、お母さんが僕のひたいに手を当ててくる。


「うん、だいぶ熱下がったみたいね。明日は大事を取って休むにしても、明後日にはもう学校へ行けそうかしら」


 そういえばさっきまでの具合悪さが嘘のように楽になっている。

 もしかして……いや、きっと、いい夢が見られたおかげかな。



   ◇◆◇◆◇



 翌々日、登校して自分の席で荷物の整理をしている僕のところへ、みーくんが来てニカッと笑う。


「よう、千尋! 昨日、一昨日と大丈夫だったか?」


「うん、なんとか。まだ油断できないけどね」


「ならよかったぜ!」


 ふと赤井さんの席が目に入ったが、まだ来ていないようだった。

 もうすぐで朝読書の時間だというのに。


「あれ、まだ赤井さんは来てないの?」


「どうしたんだろうな」


 みーくんは首を傾げ、近くを通りかかったクラスメイトの女子へと声をかける。


「なあ、咲。赤井さんどうしたか知らね?」


「苺ちゃんなら今日風邪でお休みだって。昨日結構元気だったんだけどね」


 その会話を聞いて、僕の頭にエプロン姿の赤井さんがぎる。


「風邪……」


 僕の家に来た赤井さんは幻覚なのだと思っていた。

 しかし今日、彼女が風邪で休んだ。

 まるで――僕の風邪がうつってしまったかのように。


 もしかしたら、あれは幻覚じゃなかったのかな……?

 え、もしそうだとすると僕、赤井さんに……っ!!


 夢だと思い込んでたことを思い出し、僕はまた熱が上がるような感覚がした。

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