第18話『テスト勉強』 ――千尋side

―― 千尋ちひろside ――



「頼むよ! 千尋ちひろ!」


 清掃時間中。

 教室の雑巾ぞうきんがけをする手を止め、みーくんが懇願こんがんしてきた。


「と言われても……」


 僕はバケツの上で雑巾をしぼりつつ悩む。

 何でもみーくんは、僕と赤井さんの放課後の勉強会にざりたいらしい。


「次回のテストで赤点取ると部活の試合出してもらえないかもしれないんだ! お前と赤井さんって一緒に勉強してるんだろ! 成績優秀な赤井さんにオレも教わりてぇんだよ~!」


 というわけなんだとか。

 赤井さんとの二人きりの時間が無くなるのはちょっと悲しいけど、みーくんには部活で活躍してほしいし、断るわけにもいかない。


「分かったよ。じゃあ、赤井さんに確認してみるね」


「おおー! ほんとか!」


「ちょっと待ってて」


「感謝するぜ!」


 ほうきを持つ赤井あかいさんとちりとりを持つ黒鐘くろがねさん。

 教室の端の方でゴミを集める二人のところへ行き、声をかける。


「あの、赤井さん」


 赤井さんがこちらを振り向き、輝くような笑顔を見せてくれた。


「あ、ちょうどよかった。わたしも白鳥くんにお話ししたいことがあったんだ」


「え、ぼ、僕に……!? そういうことなら赤井さんからどうぞ」


「ううん、白鳥くんからどうぞ」


「えっと、じゃあ……今日の放課後の勉強会なんだけど、みー……緑川みどりかわくんも一緒にやりたいらしいんだけど、いいかな?」


「よかったぁ」


「え、よかった?」


 何がよかったんだろう。

 まさか赤井さんがみーくんと一緒に勉強したいと思っていたとか……?

 もしそうなんだとしたら、いいことのはずなのになんだか嫌だと思ってしまうのはどうしてだろう。


 僕がそんなことを思っていると、赤井さんはちらりと黒鐘さんに目を向けながら事情を説明する。


「あのね、実はこっちもさきちゃんが一緒にやりたいらしくて」


「ああ、そういうことなんだ。じゃあ、今日は4人で勉強することになりそうかな?」


「うん、そういう感じになりそうだね」


 なんだ……ほっ。

 でも、今日は赤井さんと二人きりじゃなくなっちゃうのか。

 ちょっと残念だなぁ。


「あれあれ、わたしと二人きりじゃなくて残念そうな顔してるね」


「そ、そんなことないよっ!!!」


「うふふ、本当かな~?」


 赤井さんが口元に手を当ててクスクス笑った。

 笑っている赤井さんは最高に可愛い。


「ゴミ捨ててくるね~」


 黒鐘さんがちりとりを持ってゴミ箱の方へと向かった。

 その隙に赤井さんが僕のすぐ隣まで来て、耳打ちをするように囁く。


「あ、でも、今日は隣にくっついてはできないかな……」


「そうだね、誤解されちゃうかもだしね……」


「ほら、やっぱり残念そうな顔」


「そそそ、そんなことないって!!!」


「うふふ」


 うぅ……残念に思っているのは事実だし、確かに顔に出てしまったかも……。

 やっぱり赤井さんにはかないそうにないなぁ……。



   ◇◆◇◆◇



「よーし、勉強しよー!」


 と、気合たっぷりに腕を上げる黒鐘さん。


 放課後になり、僕たち四人は机を合わせて勉強をする。

 僕の隣にみーくん、正面には赤井さん、斜め前には黒鐘さんという構図である。


「解らない問題があったら何でもいてね」


 と言う赤井さんに、僕たち三人が「はーい」と声を揃えて返事をした。


 そうして勉強を始めて早々、さっそく僕は解らない問題に直面した。


「ねえ、赤井さん」


「うん、なぁに?」


 いつも通り、快く教えてくれる赤井さん。

 勉強会を始めた当初よりは解ける問題が増えてきたけど、それでも苦手な数学だと、結構頻繁に教えてもらわないと難しい。


 そんなわけで、数問に一度の頻度で赤井さんに解らない問題を教えてもらっていると、黒鐘さんが声をかけてきた。


「あのさ、二人とも。二人は隣同士に座ったほうがやりやすいんじゃないの?」


「あ、えっと……」


 実はいつもそうしてるんです……っ!

 でも、今更そのことを言えば、逆に変な誤解を与えてしまうかも。


 僕が悩んでいると、赤井さんがにこやかに口を開く。


「えへへ~、そうだね。じゃあ、席交換しよっか。緑川くん、大丈夫?」


「おう、なんだ、席替えかー! いいぜ~!」


 みーくんもニカッと笑って乗っかり、赤井さんとみーくんが席の交換を行うことに。


 僕の隣に来た赤井さんが、手のひらを口元に寄せてそっとささやく。


「結局いつも通りになったね」


「そ、そうだねっ」


 赤井さんのその仕草しぐさがとても可愛くて、つい視線をらしてしまった。

 鼓動が一時的に加速し、頬のあたりが少し熱くなる。


「じゃあせっかくだし、もっといつも通りにしちゃおっか?」


「ちょっ! あ、赤井さんっ!」


 赤井さんが椅子を寄せ、ぐっと距離を詰めてきた。

 若干肩が触れ合い、微かに温もりを感じる。


「黒鐘さんたちの前だよ……!」


 幸い、二人ともテキストの問題を解くのに集中していてこちらに気付いた素振りは見せてない。

 だけどこのままではすぐに発見されてしまう!


「でもやっぱりこの方が教えやすいし」


「だ、だけど……っ」


「うふふ、冗談」


「え」


 赤井さんが離れ、ピンク色の舌をペロッと出して笑う。


「白鳥くんのその顔が見たくてついやっちゃった」


「も、もう! 赤井さん……!」


「ごめんごめん。これは二人だけの内緒だもんね。じゃあ、続きしよっか」


「お、お願いしますっ」


 みーくんたちがいようと、赤井さんは変わらず僕をドキドキさせてくるみたいだ。

 焦りすぎないように気を付けないと。

 まあ、気を付けてどうにかなるものでもないんだけど。


 それから一時間半ほど、僕らはそれぞれテスト勉強に取り組んだ。

 時々、解らない問題を互いに教え合ったり、他愛のない話をしたり。


 そんなふうに楽しく勉強を進めていると、唐突にみーくんがうなり声を上げた。


「ぐわぁああ解かんねぇええ! なあ咲、理科得意だったよな? 教えてくれよ~!」


「えぇ~、とおるは理解力なくて大変だからやだよ~」


「んあぁあ! 失礼な!!」


 あれ、みーくんと黒鐘さんってこんなに仲が良かったんだ……!

 二人とも下の名前で呼び捨てだし。

 クラスではコミュ力の高い人ほど、異性であろうと下の名前を呼び捨てにするけど、僕には到底真似できないなぁ……。


「ねえ、千尋」


「何――って、んっ!?」


 赤井さんに呼ばれて、ぎょっとなった。


 い、今赤井さん……僕のこと呼び捨てにした!?


 僕の顔を見て赤井さんがころころと笑った。


「あはは、咲ちゃんたちが呼び捨てだったからわたしも下の名前で呼び捨てにしてみたのです」


「そ、そういうこと……っ!」


「ねえ、千尋」


「な、なんですか、赤井さん」


「千尋もわたしの下の名前、呼び捨てにしてみて」


「えぇえええ!!!」


 赤井さんを呼び捨てに……っ!?

 そ、そんなことできるわけ……!!!


 けれども赤井さんは容赦がなかった。


「さあ、3、2、1……はいどうぞ~」


「え、え……えっと…………いちご……さん」


 ん~~!!!

 我慢できずに“さん”を付けてしまった。

 下の名前で呼ぶだけでも高難易度なのに、呼び捨てなんて僕にはまだ早かったんだ……!!


 赤井さんは不満そうに頬を膨らませた。


「今“さん”って付いたよ? 呼び捨てじゃなかったよ?」


「い、いきなりは無理だよぉ……!」


「とにかく、もう一度、ね」


 にこっと笑う赤井さん。

 呼び捨てするまで逃がしてくれそうもない。

 ここは覚悟を決めるしか……!


 なんてやり取りをしていると、みーくんが、


「あぁああ!! テスト勉強つれぇぇええ!!」


 と大声を上げたので、僕らの意識はそっちに移った。


 と、とりあえず助かった。


 赤井さんがみーくんに言う。


「緑川くん、そんな時はテスト終わった後に楽しみを作るといいよ」


「楽しみかぁ」


 みーくんは考えるように宙を見上げたかと思えば、ニカッと笑って提案する。


「なあ、テスト終わったらみんなで遊びに行こうぜ!」


 すると黒鐘さんが便乗。


「あ、いいね~! あたし映画行きたい!」


「お! じゃあ今人気のあの映画見に行くか! あの全米が泣いたってやつ!」


「いいねいいね! 苺ちゃんと白鳥君も行くよね?」


「うん、もちろん!」


 と返事をする赤井さんに続けて、僕も咄嗟とっさに「あ、うん!」答えた。


 考えなしの了承。

 いつもだったら後悔するやつだ。けれど今回に限ってそれはない。

 なんといったって、テストが終わったら赤井さんと出かけることになったのだ!

 わくわくしないわけがない。


「楽しみだね、白鳥くん」


「うんっ」


 またも囁き声で微笑みかけてきた赤井さんにうなずいた。


 あれ、そういえば、いつもの呼び方に戻っちゃったのか。

 でも、下の名前で呼び捨てだと、いちいちドキドキして大変だっただろうし、これでよかったかも。


 ともあれ、テスト後に楽しみができた。

 赤点を取って再試なんてことにならないよう、勉強を頑張らなきゃ。

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