第4話『居残り』 ――千尋side

―― 千尋ちひろside ――


「プリント後ろから回してこーい。忘れたやつは予告通り居残りだからなー」


 数学の授業の初め、担任教師のその一言に背筋がこおった。


 宿題のプリントがあったこと、すっかり忘れてたぁああ……!!!


 やったプリントを家に忘れてきたとかではなく、存在そのものを忘れていた。

 どうにも言い逃れできない。

 仕方がなく僕は挙手する。


「先生、忘れました……」


「おうそっか、手を下ろしていいぞ、白鳥しらとり。次は忘れないようにな。他に忘れたやつはいないか?」


 先生は少しだけ困った顔をしてそう言い、教室を見渡す。

 すると前の方の席で、意外な人物の手が挙がった。


「あ、先生! わ、わたしも忘れましたっ!」


赤井あかいもか。じゃあ、二人には放課後、教室に残ってプリントを解いてもらうからな。勝手に帰るんじゃないぞ~」


 あの赤井さんが……!

 真面目まじめな性格の赤井さんまでも宿題を忘れるなんて。

 小学校の頃から提出物を忘れているところを見たことがないだけに驚きだった。


 それはそうと、他にプリントを忘れた生徒はいないみたいだ。

 つまり放課後、僕は赤井さんと二人きりで居残りをすることになる。


 なんだか赤井さんとは放課後に一緒になることが多い気がする。

 こんな偶然もあるんだなぁ。



   ◇◆◇◆◇



 放課後になり、クラスメイトたちが続々と部活へ行ったり下校したりし、僕と赤井さんだけが取り残される。

 担任教師は宿題と同じプリントを配ると、


「よし、じゃあ俺は部活見に行ってくるから、できたら野球部まで届けてくれな。解らないとこは教科書見ていいから。んじゃ、頑張ってな」


 と言い残して教室を後にしてしまった。


 いい先生なんだけど、時々適当なところがあるんだよね……。


 そんなわけで、放課後の教室に赤井さんと二人きりになった。

 僕の席は廊下側一番後ろで、赤井さんはその左隣の列の一番前。

 それでも同じ空間に二人だけという状況に少し緊張してしまう。


 なんて思いながら彼女の後頭部を見つめていたら、不意に赤井さんが座ったままの姿勢で振り返ってきた。


 いけない! 目が合ってしまった!

 見ていたことがバレちゃったかも……!


 僕は慌てて顔をそむけた。

 明らかに不自然な行動だったけど、赤井さんは特にそのことには触れずに小首をかしげてたずねてくる。


「ねえねえ、白鳥くん。せっかくだし、隣に行ってもいい?」


「え、どうして?」


「だって一番前の席だと、静かな教室に一人ぼっちみたいで寂しいんだもん~」


 そう言って「えへへ」とはにかむ赤井さん。

 こんな可愛い表情をされて断れるはずがない。


「そういうことなら、うん、いいよ」


「やった、ありがとー!」


 赤井さんはプリントと筆記用具を持って僕の隣の席に移動してきた。


 え、待って。

 簡単に了承しちゃったけど、これってかなりドキドキしない……!?

 だってこんなに広くて静かな教室ですぐ隣だよ!?


 ごくりと唾を呑む僕。その隣に腰を下ろした赤井さんが疑問の眼差しを向けてくる。


「あれれ、なんだか難しい表情してるね、白鳥くん。あ、分かった! 絵を描く時間が無くなってショックなんでしょ?」


「あ、うん、そんなところ! えっと、そういえば、赤井さんがプリント忘れるなんて、なんか珍しいね?」


「え……あ、うん! わたしも忘れちゃうことくらいあるよ~。さあ、それより早くプリントやっちゃお」


 誤魔化ごまかすために話題を変えたら、赤井さんはあからさまに視線をらしてプリントに取り掛かり始めた。


 しまった……!

 成績優秀で真面目な赤井さんにとっては触れられたくないところだったのかもしれない。迂闊うかつだった。


 でも今更このことを掘り返して謝るわけにもいかないし……。

 うぅ、今は反省してプリントに取り組むしかないか。


 僕は後悔を抱えたままプリントの問題を解き始めた。


 中学に上がってから勉強が一段と難しくなったが、その中でも僕は数学が特に苦手だ。

 だから一問一問教科書を見ながら解く必要があり、僕はなかなか先へ進むことができなかった。


 途中、難しい問題に行き詰まって頭を悩ませていると、不意に左から視線を感じて顔を向ける。


「……ど、どうしたの、赤井さん?」


 赤井さんが頬杖をついて、じーっとこっちを眺めていた。

 真ん丸の綺麗な目に見つめられ、図らずも鼓動が加速してしまう。


「ううん、何でもないよ~。ちょっと白鳥くんを見てただけ」


「どうして僕を……っ!?」


「うーん、楽しいから?」


「そ、そっか、楽しいならよかったっ、あははは」


 いや全然よくないよっ!

 なんで赤井さんは僕を見つめてたの!?


 しかしそれをく勇気もなく、僕は苦笑しつつ話を別の方向へもっていこうとする。


「でもえっと、そんなことより早くプリントやったほうがいいよ?」


「ふふん、プリントならもう終わったよ」


「え? もうできちゃったの? 早くない?」


「あ、えっと……」


「まあ、赤井さんは成績優秀だもんね。さすがだなぁ」


 でもなるほど、それでひまだったから僕が終わるのを見守ってくれていたのか。

 プリントを提出して帰ってしまってもよかったのに、赤井さんは優しいな。


 けれどもそこで、赤井さんが唐突とうとつに若干頬を赤らめて高い声を出す。


「あっと、白鳥くん! よかったらなんだけど、ヒント出す係やろっか?」


「え、いいの? ヒントと言わず、何なら答えでも」


「それはダメ。ちゃんと解かなきゃ意味ないもん。今年、わたしたち高校受験あるんだし」


 きっぱりと断る赤井さん。

 でも、ちゃんと僕のことを考えてくれての発言である。

 だって、自分の答えを写させた方が早く帰れるわけだし。

 赤井さんには感謝のねんしかいてこない。


「そうだよね……でも、ヒントがあるだけでもありがたいよ! ぜひお願い!」


「うん、任せて」


 そんな風にして赤井さんがヒントを出してくれたおかげで、僕はスムーズにプリントを終わらせることができた。

 教科書を使うより早く、そして分かりやすかった。


「終わった~!」


 伸びをする僕に、赤井さんがにこりと笑う。


「お疲れさま、白鳥くん」


「赤井さんがヒントを出してくれたおかげで、思ったりすごく早く終わったよ! ありがとう!」


 そこで赤井さんが何かを思い出したかのようにパチンと手を鳴らす。


「あ、そうだ。わたしも一個、わからない問題があったんだった」


「え、どこ? 赤井さんに解けないのが僕にわかるとは思えないけど」


 だけど今は、手伝ってくれた赤井さんに何か恩返しがしたい。

 ひょっとしたら解けるかもだし、挑戦だけでもしてみたかった。


「うーんとね」


 赤井さんが若干上目遣いになり、静かに笑みを浮かべて言う。


「白鳥くんともっと仲良くなるには、どうしたらいいのかなって問題」


「~~~っ!」


 ぼ、ぼぼぼぼ、僕と仲良くなる方法だって……っ!?

 というか今の表情は反則級に可愛すぎるよっ!!!

 ああダメだ、まともに目を合わせていられない。


 お、落ち着くんだ……!

 ただ仲良くなる方法をかれただけじゃないか。

 ごく普通に、一般的に、友達として。


 僕はゆっくり深呼吸をしてから答える。


「え、えっと……このままでも自然と仲良くなれる気がします」


「うふふ、そうなんだ。やっと解けたよ。ありがとう、白鳥くん」


 太陽のように輝く笑みでそう言う赤井さんを前に、僕はこくこくと頷くことしかできなかった。


 うぅ、可愛すぎるよ、赤井さん……!

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