4月

プロローグ『再会』 ――千尋side

―― 千尋ちひろside ――



「入ってきていいぞー」


 始業式が終わって教室へ戻ってくると、お馴染みの担任教師が廊下に向かって呼びかけた。


 するとやや緊張した足取りで、女子生徒が教室に入ってくる。

 赤茶色のブレザーに、チェックのプリーツスカート。この風鈴かざり中学校のものではない制服だ。


 彼女は亜麻色のツーサイドアップをなびかせて黒板前までやってきて、くるりとこちらを向く。

 その瞬間、教室中の生徒たちが一斉に息を呑むのが分かった。

 まるで彼女が、この世に舞い降りた天使のように可憐だったからだ。


 少し幼さは感じるものの整った顔立ち。

 アイドルグループに交ざっていても全く違和感がない。

 そんな彼女が微かな笑みを浮かべて、深い色合いの真ん丸な瞳で教室中の生徒たちを見渡した。

 それから、小ぶりながらもふっくらとした桜色の唇で言葉を紡ぐ。


赤井苺あかいいちごです。ここの半分くらいのみんなとは小学校まで一緒だったんだけど、覚えてますか?」


 教室が一気にざわついた。

 風鈴かざり中学校は、主に近隣の小学校二つから生徒を集めて構成されている。

 どっちの小学校だったのだろう。


 ん、待って、赤井苺さん?

 赤井さん……赤井さん……あっ。


「赤井さんだ……」


 赤井さんが通っていたのは僕と同じ小学校だ。

 一気に記憶が蘇った。

 そういえば、小学校六年の頃に何度か話したことがある。

 確か中学校に上がる際に、親の転勤が理由で引っ越してしまったのだ。たぶんまた転勤か何かがあり、こうして転校してきたのだろう。


 いや、でも、僕の記憶の中の赤井さんはもっと地味な子のはずだ。

 おさげ髪で眼鏡をかけ、ずっと読書をしているような子だった。

 今、目の前に佇む彼女は、それとは正反対の雰囲気を醸し出している。


 中学校へ上がり、この二年でイメージチェンジでもしたの……かな?

 ざわついている生徒たちも今同じことを思ってるだろう。

 赤井さんは驚くみんなを前にはにかんだ。



   ◇◆◇◆◇



 赤井さんが自己紹介を終えた後の休み時間。

 さっそく彼女の席の周りにはたくさんの生徒たちが集まっていた。


「久しぶりだね!」

「全然赤井さんだって分からなかったよ! イメチェンしたの?」

「初めましてー! よろしくね赤井さん!」


 など、絶え間なく話しかけられる。

 それでも赤井さんは全く笑顔を崩すことなく、みんなに愛想よく対応をしていた。

 赤井さんはこんな社交的な感じじゃなかった気がするから、やっぱり中学校に入って変わったようだ。


 せっかく再会できたから、僕も少し話してみたい気もあったのだが、あの中に飛び込んでいく勇気はない。

 また落ち着いたタイミングを見測ってからにしよう。


 さて、と。

 そんなことより、いつも通り絵を描かなきゃ。

 少しでも空いた時間がもったいない。


 机の上にクロッキー帳と鉛筆、消しゴムを出し、真っ白な紙に絵を描き始めた。


 僕の休み時間の過ごし方はいつもこう。

 絵を描いていると落ち着くし楽しい。

 それに、将来の夢を叶えるために必要なことなのだ。


 けれども、赤井さんと席が離れていてちょっと良かったかも。

 僕の席は廊下側の後ろはしの席。赤井さんは隣の列の一番前。

 彼女のすぐ近くの席だったら、しばらくは落ち着いて絵を描くことができなかっただろうから。


 そんなことを考えながら鉛筆を動かしていた時だった。


「久しぶり、白鳥しらとりくん」


「っ!?」


 よく透き通った声がすぐ近くから聞こえてきた。

 驚いて見上げると、目の前に赤井さんが立っていて、にこやかな笑みを向けてきていた。


 わあ、すごく可愛い。

 というか赤井さん、僕のこと覚えていてくれたんだ……。

 でもどうして話しかけてきたんだろう。

 いや、そんなことより早く返事しなきゃ。


「ひ、久しぶり、赤井さん」


 思わず席を立ち上がって返した。ちょっと声が裏返ってしまったかもしれない。

 赤井さんはにやりと僕を見る。


「あれ、白鳥くん、なんか緊張してる?」


「しょ、そんなことないけどっ!」


「ふふ、また同じ学校になれて嬉しいな~。いっぱい仲良くしてね」


「うん、もちろん」


 最後ににこりと笑って、自分の席に戻っていく赤井さんの背中を見送った。

 赤井さんが席に戻ると、そこを取り囲んでいた一人の女子生徒が好奇心たっぷりな声音で訊ねる。


「ねえねえ! 白鳥君とお友達なの?」


「うん、ちょっとね」


 それからまた赤井さんはすぐに周りのみんなからの質問攻めに合っていた。

 まるでアイドルのようだ。


「全然目を合わせられなかった……」


 もっと落ち着いて話せばよかった。

 今の僕、絶対格好悪かったよね……。


 そもそも僕はあまり人と話すのが得意じゃない。

 その上、赤井さんは容姿も雰囲気も様変わりしてしまったものだから、話そうとするとどうしても初対面の人と話をするような感じがして動揺してしまうのだ。


 赤井さん、すごく可愛かったなぁ。またお話できたらいいなぁ。

 しかし、その機会は意外にも近く、そして頻繁ひんぱんに訪れることとなる。



   ◇◆◇◆◇



 翌日の休み時間。

 僕がいつものように自分の席で絵を描いていると、


「白鳥くん、今も絵描いてるんだね?」


 昨日と同じようにして赤井さんが声をかけてきた。

 よし、今日こそはちゃんとお話しするぞ。


「あ、うん。絵描いてる」


「白鳥くん、小学校の頃もずっと描いてたよね?」


「え、うん、ずっと描いてた」


 って、これじゃオウム返しするだけのロボットだ!

 落ち着け、僕。小学校の頃は赤井さんと普通に話してたじゃないか!


 まあ、あの時はまだ異性なんて全然意識してなかったんだけど……。

 それに今の赤井さんはあの頃とはまるで別人で初対面って感じはしちゃうし、こんなぐいぐい話しかけてくるなんて思ってもなかった。


 不意に赤井さんの視線が下へと移動し、僕の手元のクロッキー帳を捉える。


「ねえ、それ見てもいい?」


「いや、ダメ!」


 慌てて僕はクロッキー帳を閉じた。

 普段僕は誰かに絵を見せるのを拒んだりしないんだけど、今だけは絶対にダメだ!


 赤井さんが頬をわずかに膨らませる。


「むぅ、白鳥くんのケチ」


「ほ、ほら、もう授業始まるから席戻った方がいいよっ?」


 赤井さんは掛け時計を確認した。


「あ、本当だ。じゃあ、またあとでね、白鳥くん」


 赤井さんはにこやかに手を振って去っていった。

 ふぅ、と自然と安堵の息が漏れる。


 危なかったぁああああ……!!!


 このクロッキー帳には、赤井さんのことを描いたページがあるのだ。

 授業中に彼女を見ていたら何となく描きたくなって描いたんだけど、それを見られたら恥ずかしくてたまらないし、ドン引かれること間違いなしだった。

 本当に危なかった……。


 それはそうと、僕も授業の準備を……。

 ん……今、またあとでねって言った?



   ◇◆◇◆◇



 昼休みになるとすぐに、赤井さんが僕の席まで来た。

 顔の前で手を合わせて上目遣いを向けてくる。


「ねえ、白鳥くん。よかったら、今から学校の中案内してほしいなって。ダメ、かな?」


「えっと、どうして僕に?」


 赤井さんが頼めば誰だって受けてくれると思うのに、どうしてその中で僕を選択するんだ?

 もちろん、僕を覚えていてくれただけでも嬉しいし、その上で学校の案内役に選んでくれたなんて光栄だ!


 でも、想定外のことにびっくりしてしまってうまく言葉が出てこなかった。

 赤井さんはそんな僕の表情を見て、何を誤解したのか眉を顰める。


「あ、ごめんね、迷惑だったよね!」


「いや、迷惑ってわけじゃないんだけど! 本当に僕でいいの? だって、二人きりだよね?」


「あ、もしかしてわたしと二人きりなの嫌だったかな?」


 不安げな顔をする赤井さん。

 と、そこへクラスメイトの女子たちが数人話しかけてきた。


「ねえ、赤井さん。よかったら私たちが案内するよ!」


「え、ほんとにいいの?」


「うん、行こ!」


「でも……」


 申し訳なさそうな視線を送ってくる赤井さん。

 この状況で突っぱねれば、クラスメイトの女子たちに逆らうことになる。

 そうなれば、僕だけでなく転校してきたばかりの赤井さんまで立場がよくないことになってしまうかもしれない。


 まあ、考えすぎかもしれないんだけどね……。


 僕はできる限り柔らかい表情を作って言う。


「僕はいいよ。そっちのみんなで行ってきて」


「えーと、ごめんね、白鳥くん。またね」


「うん、また」


 赤井さんたちは教室を後にした。

 その後ろ姿を見送りながら、こんなことなら早く了承しておけばよかったと後悔。

 そうすれば赤井さんと二人で学校を回れたかもしれないのに。


 まあ、どのみち緊張しすぎてまともに話せなかったかもだけど……。


 その後の休み時間、赤井さんが話しかけてくることはなかった。


 もしかしてさっきのことで気まずくなっちゃったのかな……。

 それにしても、どうして赤井さんは僕なんかに構おうとしてきたんだろう?


 そんな疑問を抱えたまま、僕は放課後を迎えた。

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