第5話『お手伝い』 ――千尋side

―― 千尋ちひろside ――



 放課後、僕は三年二組の教室で水瀬みなせさんと二人きりだった。


 けれど、何も恋愛的な甘いムードが存在するわけではなく、僕らは二人で青ざめていた。


 なぜなら目の前にある一枚の紙には、これから僕らが描かなくてはいけない絵のリストがずらりと並んでいたからである。


「描かなきゃいけないの、こんなにあるんだね」


 僕が独り言のようにらしたその声に、水瀬さんがうなずく。


「ええ、そうよ。それにしても悪いわね、お願いしてしまって」


「ううん、僕から申し出たことだから。それにこれ全部を一人で描くのは大変だろうし」


 水瀬さんのクラスは、ボランティア活動の一環として近くの保育園で人形劇をすることになったそうだ。

 それで使用するものをみんなで分担して作ることになり、水瀬さんは紙人形作りの班になった。


 しかし、班で絵を描けるのが水瀬さんしかいなく、人形のデザインを担当することになったとか。

 ちなみに絵を手伝ってくれる人は他にもいたらしいんだけど、今日は風邪で休んでいないらしい。


 水瀬さんが闇を抱えた笑みを浮かべる。


「まったく、よくも絵を描く仕事を安易に人に頼んでくれたわよね。こっちのカロリーも考えずに。きっとササッと一筆で絵が完成するとでも思ってるのでしょうね」


「あはは……あ、えっと、じゃあ僕はここから下のキャラクターを描くね」


「ええ、お願いするわ」


 そういうわけで僕らは、二人で分担して紙人形の型紙に絵を描くことになった。

 そしてしばらく作業を進めていると、唐突とうとつに教室の戸が開けられ、一人の女子生徒がひょこっと顔を出した。


「あれ、白鳥しらとりくんと水瀬さん。何してるの?」


「え、赤井あかいさん!?」


 その女子生徒は赤井さんだった。

 時間的に部活に所属してない赤井さんはとっくに帰ったと思ったんだけど。


 僕の隣で作業をしていた水瀬さんが赤井さんを見て微笑む。


「あら、赤井さん。お久しぶりね。あなたの方こそどうしたのかしら?」


「わたしはその、ちょっとお友達とお喋りしてて……そんなことより、何か作業してるみたいだし、よかったらそれお手伝いさせてもらえないかな?」


「ええ、人手が増えるのは嬉しいのだけれど、迷惑ではないのかしら?」


「ううん、全然だよ~!」


「そう、ならお願いするわね。赤井さん、色塗いろぬりは得意かしら?」


「うん、それならわたしでもできると思うよ」


 水瀬さんが赤井さんに塗り方を教え始める。


 偶然ぐうぜん居合いあわせただけなのに、すぐに手伝うと言い出してくれるなんて赤井さんは優しいな。


 ともあれ、そうして三人で作業を進めたおかげで予想していたよりずっとスムーズに終えることができた。


「白鳥君、赤井さん、ありがとう。おかげで早く終わったわ」


 お礼を言う水瀬さんに僕らは返す。


「ううん、いつも水瀬さんにはお世話になってるし」


「わたしもお役に立てたのならよかった」


「本当にありがとう、二人とも。さて、あとは片付けが残ってるのだけど……」


 水瀬さんが何かたくらむようににやりと僕らを見た。


「二人でパレットと筆を洗いに行ってきてもらえないかしら? 私はここの掃除とゴミ出しに行ってくるから」


 え、赤井さんと二人きりで……!?


 赤井さんは一対一になるといつもドキドキするようなことを言ってくるんだけど……!

 嫌ってわけじゃないし期待してるわけじゃないけど、ちょっと身構えなきゃいけない。


 じわじわ緊張してくる僕の肩に、水瀬さんがポンと手を乗せた。


「頼んだわよ、白鳥君」


「わ、わかりました……」



   ◇◆◇◆◇



 廊下の流し台で僕と赤井さんは筆とパレットを洗う。


 しかし、赤井さんが想像していたような言動をとることはなく沈黙が続いていた。


 赤井さん、洗うのに集中してるのかな。

 でもこれはこれで何となく気まずいし、何か話さないと。


「赤井さんは……」「白鳥くんは……」


 タイミング悪く、赤井さんと声が重なってしまった。

 顔を見合わせて笑い、僕は赤井さんに言う。


「そっちからどうぞ」


「ううん、白鳥くんからどうぞ」


「そ、そう? なら、えっと……赤井さんは優しいねって言おうとしたんだ。今日、義務も何もないのに手伝ってくれたから」


「うそ、すごい!!」


 唐突に赤井さんが高い声を上げた。

 何がすごいんだろう。


「え、どうして?」


「わたしも今、白鳥くんは優しいねって言おうとしたんだ~! 隣のクラスの水瀬さんのお手伝いをしてたから。えへへ、わたしたちって気が合うね~」


「そ、そうだね……っ!」


 にへらぁと笑いかけてくる赤井さんが可愛すぎた。


 それにしてもこの偶然はすごい。

 赤井さんと相性が良いことの証拠のような気がしてなんだか嬉しいな。


 そんな話をしている内に、僕は自分の分の洗い物が終わった。


「よし、こっちは終わったよ。赤井さんの方は?」


 隣に顔を向ければ、赤井さんは洗っていた筆の水を切り、蛇口を閉めているところだった。


「わたしもちょうど今終わったよ」


「じゃあ、教室に戻ろうか」


「あ、ちょっと待って」


「え?」


 パレットや水入れを持とうとしたところで、赤井さんに止められてしまった。

 そして彼女は距離を詰めてきたかと思うと、いきなり僕の手を握ってきた。


「なっ、あ、赤井さんっ!? 何を!?」


 赤井さんのほっそりとした指がしっかりと僕の手を掴む。


 い、いいいいい、いきなりどうしちゃったのっ!?


 ダメだ。ドキドキでまともに考えらない。

 僕も握り返せばいいのかな!?


 混乱する僕の手に、赤井さんは蛇口をひねり、冷水を浴びせてきた。


 え、え?

 ますますよく分からないよ!?


 え、ていうか! なんでそのまま僕の手を指でこするの!?

 手の感触がめちゃくちゃ伝わってきて緊張がピークなんだけどっ!!


 思考回路がショート寸前の僕に、赤井さんがにこりと笑いかける。


「えへへ、白鳥くんの手に絵の具付いてたよ」


「あ、あああ、ありがとう……ごじゃいます……っ!」


「えへへ」


 うぅ、天然でこういうことしてるのかな……っ!?

 可愛すぎるよ赤井さん……っ!!!

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