第43話 共闘

 アンノウンは無様に悲鳴を上げるような真似をしない。

 怒りを露わに咆哮の大波をぶつけてくる。

 沼水が震えた。

 永慈、そして慧を覗くメンバーは耳を塞ぎ口を半開きにし、アンノウンが放った音の衝撃波に耐える。


 慧が動く。

 持ち前の脚力を発揮し、足場の悪い沼地から一足飛びに右方向へ移動する。沼を囲んで群生する樹々を蹴りつけ、再び空中に身を躍らせる。

 狙いはアンノウンの頭部。

 慧の持つ短剣は一撃で大型を仕留められるものではない。手数――それも、しつこく弱点部位を狙い続けるのが彼のスタイルなのだろう。

 装備と、能力と、胆力。そのすべてが揃っているからこそ可能な戦い方。


 だが、相手は未知の巨大モンスターである。

 それは虚像ハッタリでも余興リセット可能なゲームでもない。

 生の足下に死が照らされるようなギリギリの環境。


 アンノウンが機敏に反応した。

 慧に向けて大きな口を開く。口蓋の中が青白く光り出す。

 空中で軌道変更はできない。そのまま光の中に突入するコースだ。


 時間が引き延ばされる。

 永慈は見た。

 我が子が、巨大な敵の反撃を眼前にして――笑っている。

 ギリギリの環境、ギリギリの時間、ギリギリの己の命に対して、笑っている。


 それは。

 永慈にとって、であった。

 彼が限られた命を燃やすのは、我が子に『遺す』ためである。

 息子の命が奪われるのを座視して受け入れるためではない――!


(昴成。すまん。もう少し待っててくれ)

 滑らかに上体が、腕が、手が、動く。

(慧)

 銃口とアンノウンとが、まるで強力な磁石で引き合ったように、ぴたりと一直線になる。

(俺の決意に付き合ってもらうぞ)

 構えたライフル銃から、弾丸が飛ぶ。

 強い反動が肩にかかる。永慈は表情をぴくりとも変化させない。

 研ぎ澄まされた感覚が、弾の軌跡と大気の悲鳴を見る。


「受け取れ」

 

 新たな血飛沫。

 アンノウンの眼球に直撃した銃弾は、内部から弾けてさらに目周辺の皮膚と肉を裂いた。

 モンスターの首が仰け反る。口蓋の奥で輝きが明滅する。

 そこへ慧の短剣が一閃した。アンノウンの顎先から喉元までに二条の切れ込みが入る。時間が急速に流れを取り戻し、周囲の光景が慌ただしく見える。感じる。

 痛撃だ。

 慧は空中で身体を回転させ、柔らかい沼地に着地した。

 アンノウンは、まだ倒れない。


 空気が熱と重さを増した。巨大モンスターの怒りが周囲に伝播でんぱする。

 慧が叫んだ。

「そっちに行くぞ!」

 彼の言葉通り、アンノウンの潰れた片眼と口蓋がミツルギの――永慈の方を向く。


「散開!」

 紫姫の大号令が響いた。

 トトリがアンノウンの左――慧とは反対側に走る。シタハルは永慈の前方数メートル先に陣取る。二人ともいつの間にか武器を手に取っていた。

 シタハルは刀身の厚い両刃剣。力を込めて柄を叩く。すると剣の一部が円形に形を変え、盾となった。左手に丸盾、そして右手には盾から分離し片刃となった長剣。それは敵を正面から迎え撃つ誇り高き騎士のよう。


 アンノウンが突進してきた。

 踏み抜かれ悲鳴のように散る沼の水。腹の底に響く足音。それらに混じって、滴り落ちる血の着水する音がデタラメで暴力的な和音を創り出す。


 ああ――戦闘である。


 アンノウンの首筋に、トトリが投擲した短剣が突き刺さる。少しだけ突進力が鈍る。

 紫姫の引いた弓がアンノウンの頬の部分に矢を立たせる。鬱陶しげに、苦しげに顔を背ける巨大モンスター。

 間を置かず、再び空中に身を躍らせた慧の斬撃が横腹に襲いかかる。盾鱗に防がれ肉を断つまでには行かなかったが、表面を大きく削り取り、さらにアンノウンをよろめかせる。

 それでも。

 巨大モンスターは前に進もうとする。

 溺れかけた者が岸に手を伸ばすように。

 あるいは――殺しても飽き足らない怨敵おんてきの襟首をつかもうとするように。


 アンノウンの頭が水面近くまで下がる。前傾姿勢。

 シタハルがぐっと腰を落とした。盾を構える。『決意』に呼応し、彼の身体が一回り大きくなる。

 アンノウンの頭部と激突する。ゴッ……と鈍い衝撃音。シタハルの両脚が沼地にふた筋の轍を刻む。彼は二メートルほど後退させられながらも、仁王立ちのまま崩れなかった。

 盾には仕掛けが施されていた。激突の瞬間、小爆発がアンノウンの眼前で炸裂したのだ。カウンターを受け、アンノウンの足が止まる。

 巨大モンスターの口元が震え始める。怒りだ。己よりもはるかに小さな存在に受け止められた怒りで、アンノウンの放つ殺気がさらに強力になる。


 しかし、永慈は見抜いていた。

 相手が万全の状態であったなら、いくらシタハルと言えど止められなかったはずだ。彼も永慈と同じ確信を抱いたからこそ、正面から受けて立った。

 ――奴は弱っている。


 ここまで、永慈は一歩も動いていない。

 アンノウンは正面。もう、それほど距離はない。


 アンノウンが頭を上げる。閉じた歯と歯の間から青白い光が漏れ零れる。

 仕掛けてくる気だ。

 永慈は避けようとしない。淀みのない、見ている者がもどかしく感じるほどの動きで再び銃を構える。

 モンスターが、口蓋で溜めたエネルギーを砲として吐き出そうとする寸前のタイミングである。永慈は引き金を引いた。

 

 銃弾が疾駆すはしる。


 あやまたず、残った目を抉った。

 またも攻撃直前で痛撃を受け、アンノウンの口の中の光が消滅する。

 遭遇して初めて、アンノウンが退した。


「おおおッ!」


 それは誰の雄叫びだったのか。

 トトリ、シタハル、そして慧が、各々の近接武器を手に、足を止めたアンノウンに肉薄する。代わる代わる、まるで最初からチームを組んでいたような連携で敵モンスターの片足に集中攻撃を加える。紫姫が頭部への射撃を継続する。

 アンノウンの膝が笑う。頭が下がる。だがまだ倒れない。

 トトリが畏怖を込めて叫んだ。

「何てタフネス……!」

「攻撃来るぞ!」

 慧の警告。彼はまるでアンノウンの心を読んでいるようであった。

 無事な方の敵の足に凄まじい力が溜められていく。

「チィッ! 尻尾の一撃来る! 何としても直撃だけは避けろ!」

「手を止めるな。斬れ。斬れ。斬れ!」

「はああああっ!」

 仲間たちが死力を込めて動く。極限の緊張感と、迫る死の予感を塗りつぶすため、彼らは戦う。


 永慈は、そよ風で揺れる前髪を感じた。

 銃口の向きを微調整。

 アンノウンの全身に力が入る。予備動作か。身をわずかにひねる。攻撃が始まる。もう、すぐ。

 尻尾の軌道を読み切ることに全神経を注ぐシタハル、トトリ、慧を視界から排除。秒針が十二時に近づくように焦点を絞る。絞る。

 アンノウンが全力での攻撃を仕掛けたコンマ数秒――敵の、力が込められ隆起した眉間のど真ん中が正面を向いたまさにそのとき、三発目の弾丸がそこをブチ抜いた。

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