第49話 真実を受け入れる時間

「だったら俺も」

「いけません」「駄目」

 穂乃羽と明依から即座に否定され、永慈は気を呑まれた。

 男子たちが口出しできない空気の中、穂乃羽は立ち上がった。

「そろそろ行きますね。これ以上待たせると、あの人の気が変わるかも知れませんから」

「そうね。さあ行こう、皆」


「明依ちゃん。あなたはここに残ってください」


 親友の少女の言に、今度は明依が固まった。

「ちょ。穂乃羽!? どういうこと? 私も行くわよ! そう二人で決めたじゃない!」

「明依ちゃん。私は『重政利羌の話に敢えて乗りましょう』と話したけれど、『明依ちゃんと一緒に行く』とは言っていませんわよ」

「な……!」

「今日、永慈さんとお話をして改めて確信しました。明依ちゃん、あなたは永慈さんの側についているべきです」

 おそらく「どうして」と叫ぼうとしたのだろう。明依は唇だけを動かした。だが声に出せなかった。


 穂乃羽が微笑む。

「ほら。明依ちゃん自身がよくわかってるじゃないですか。自分の気持ちに嘘をついてはいけませんよ」

「穂乃羽……」

「それに監視役は必要ですわ。病院を抜け出して追いかけてこられたら困ります」

 娘が振り返って父を見る。永慈は視線を逸らした。


 不意に、晶翔が勢いよく立ち上がって「よっしゃあああ!」と叫んだ。

「おっさん先輩! 明依先輩! 俺たちに任せてくださいッス! きっとスゲェ成果を上げて戻ってきますから!」

「うるさいぞ常友。ここは病院だ」

「静希サーン。せっかく皆のヤル気を上げようとしたのにぃ。野暮なツッコミはカンベンしてくださいよお」

 晶翔が口を尖らせ、静希が口元を緩めながら眼鏡の座りを直す。


 博也が遠慮がちに言った。

「利羌さんの性格から言って、俺たちに無茶させるより、自分で動いて成果を誇示すると思います。それに相応の準備もしているでしょうし。だから、本当に大丈夫だと俺も思います」

「そーそー。軽ーく観光に行ってくるカンジで楽しんできますんで俺ら! おっさん先輩はどーんと待っててくださいよ」

 博也の肩に腕をかけながら晶翔が満面の笑みを浮かべる。


 全員の視線を受け、永慈は瞑目した。

(まったく。この年になっても誰かに助けられっぱなしだな。俺は)

 東屋の木製テーブルに額を付けるように頭を下げる。

「ありがとう。皆」



 ――穂乃羽やECEメンバーを見送った後、永慈と明依は病室に戻った。


「疲れた? お父さん」

「ちょっとな。でも、気分はだいぶいい」

「よかった」

 林檎を剥く手をいったん止め、明依がしとやかに微笑む。このところ、娘がすっかり女っぽくなったと永慈は感じていた。

 しゃり、しゃり……果物ナイフを動かす音。窓の外はまもなく日没である。西の端に身を沈める太陽によって、空は独特の色合いに染まっている。


「明依」

「ん?」

「俺たち、良い人たちに恵まれたな」

「ホント」

 ゴミ箱に林檎の皮を捨てる。切り分けられた瑞々しい果実を小皿に分け、明依が差し出す。

「食べさせてあげよっか?」

「自分で食べるって」

「いいから」

 爪楊枝を刺して「はい、あーん」と促してくる。


 そのとき、病室の扉がノックされた。間を置かず室内に入ってきたのは浦達医師と看護師の二人だった。明依が慌てて小皿をサイドテーブルに置き、立ち上がって会釈をする。

「どうですか。お加減は」

 浦建が型どおりの質問をしてくる。永慈は「ちょっと身体はだるいですが」と正直に答えた。

 明依が尋ねる。

「先生。父はいつごろ退院できるでしょうか?」

「そうですな」

 なぜか浦達は言葉を切った。たっぷり一分ほど沈黙したままだったので、たまらず明依が口を開く。

「そんなに、父の具合は良くないのですか?」

「そうですな」

「先生……そんな、不安になるような言い方しないでください。父は、父は良くなってるんですよね? また学校に通えるんですよね?」

「そうですね」

 明依がほっと胸をなで下ろした。

 永慈も肩の緊張を解き、浦達に恨み言を漏らす。

「驚かさないで下さいよ先生。心臓に悪い。、冗談でも反応に困るじゃないですか」


 ――反応は劇的だった。


 これまで飄々として表情を崩すことのなかった浦達が、はっきりと驚愕に顔を歪めたのだ。隣の看護師も同様だった。

 明依が永慈の裾を引く。

「ねえお父さん、何の話をしてるの?」

「は? どういうことだよ」

「いや、真実を受け入れる時間がない、って」

「俺、そんなこと言ったか?」

 本心から尋ねる。途端に明依の顔に不安の色が広がった。


 浦達がおもむろに眉間を揉む。これまで見ない仕草だった。

「なるほど。そうですか。、と」

 それはこれまで彼から聞いた言葉の中で、一番深く重い感情がこびりついていた。


 看護師がポケットから掌サイズの容器を取り出す。それを病室の扉に向け、何事かをつぶやく。容器から溢れ出る薄い橙色の靄を見て、永慈たちは瞠目どうもくした。直後、ガラスを打ち鳴らす音がして、外の音が完全にシャットアウトされた。

 防音の魔術。


 呆然とする父娘おやこの前で、老医師が後ろ手を組む。それだけで彼の存在感が膨れあがった。

「天は私に、医師としての本分を――いや、贖罪しょくざいと言った方がよいかも知れません。それを果たせと言っているのでしょう。わかりました、お話ししましょう。先ほどあなたがつぶやいた言葉の意味を。について、私が知っていることを」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る