第25話 ここでしかわからないこと

 正面前方には天を貫く巨大な樹。永慈たちが立つ場所からは距離が離れているのに、それでも全体を視界に収めるのが難しい。天辺てっぺんはるか霞んで見える。絶景。見ているだけで原始的な感動が呼び起こされて、心臓が高鳴る。


 洞窟の出口付近は、丈の低い草原地帯だった。草の合間に澄み切った小川が何本も走っている。水の音が心地良く耳に届いてくる。地に足の付いた穏やかさ。何百年も変わらない自然のマイペースを感じる。


 右手方向には森林が広がっている。密度が濃く、現在位置からでは森の奥を見通すことができない。こちらは一転、不穏な気配を内包しているようなざわつきを覚える。

 反対に左手方向を見れば、草原と岩場が混在した独特の景観がある。さらに遠く、切り立った山々が見える。このまま先に行けば山岳地帯にたどり着くだろう。一言で言えば拒絶。人ごときが踏み入れることは許さんと腕組みをする姿が見えるようだ。


 何もかもが桁違いに大きな自然、もっと言えば、自然という単語の意味をダイレクトに脳に刻みつける偉容――エリュシオンの典型的な姿だ。


 懐かしい光景だと永慈は思った。

 部員たちが浮かれている中、どこか達観した気持ちになってしまうのは、やはり年齢のせいだろう。ようやく動悸どうきも収まってきた。


 草原地帯の真ん中に集落が見える。あれが亜人たちの住むオリゴー始まりの村だ。エリュシオンの出入口に最も近い村、という意味である。至誠館中央ECEは元より、深津浜エリュシオンを訪れる全ての人間のベースキャンプ地だ。

 今日この時間の来訪者は永慈たちだけと聞いていた。


 永慈たちはオリゴーに到着すると、まずいくつかのグループに分かれた。

 探索地まで足を伸ばし、必要とあればモンスター討伐も行う精鋭グループ。

 オリゴーに留まり現地の亜人と情報交換を行うグループ。

 そして、オリゴーの周辺で農作業や清掃等を手伝う奉仕活動グループ。

 永慈は一番最後のグループになった。


「新入部員はまず奉仕活動から行う決まりだ。エリュシオンの世界を肌で感じるためだな」

 静希が言う。彼は奉仕活動グループのサブリーダーであった。手には目が粗く不揃いな紙束を持っている。今回の活動記録だろう。

 エリュシオンの重要な特徴として、電子機器の類は一切使えない。仮に持ち込んでも起動しないのだ。他にも、元の世界の便利な道具は軒並み使用不可になるか、機能が著しく落ちる。どうしてそんな現象が起こるのか、現在でもエリュシオン研究の重大なテーマのひとつだ。


 今日は草刈り。作業的には、元の世界でいう田畑の世話と変わりない。雄大な自然の中で黙々と草を刈るのは、それはそれで趣深いと永慈は思うのだが、当然、それは少数派の考えだ。

「だああ、退屈ッスー! ねえ静希せんぱーい、いつになったらオレ、モンスター退治ができるんスかあ」

 一応は真面目に作業をしながら、口では不平不満を漏らし続ける晶翔。

「もう飽きたッスよ」

「馬鹿言うな。これも立派な部活だ」

「言っちゃあなんですけど、高い金払って草むしりしかできないんじゃあ、何のためにECEに入ったかわからないッスよお。ねえおっさん先輩」

 同意を求められ、永慈は肩をすくめた。

 晶翔の気持ちはよくわかるが、かつて公務員として働いていた永慈は、その『教育的意義』を承知していた。


 静希が紙束を閉じる。やおら声を張り上げた。

上空注意アテンション・スカイ!」

 作業していた部員たちが一斉に手を止め、空を見上げる。


 直後、森の方向からけたたましい鳴き声が聞こえてきた。数十匹の翼竜が列をなして上空を飛んでいく。青い空がいっとき萌葱色もえぎいろで覆われた。

「すっげー! 『アネモス』の群れだ」

 晶翔が目を輝かせた。静希が部員に周知する。

「糞尿などの落下物に注意しろ」

「……せんぱーい。雰囲気台無しッス」

「大事なことだ。それにまだこれで終わりじゃないぞ」

 珍しく静希が意味ありげに笑う。


 永慈の鋭敏な感覚が、畑の外縁の変化を感じ取る。

足下注意アテンション・フィート!」

「え? おっさん先輩?」

 声を張り上げた永慈を不思議そうに見る晶翔。


 永慈の視線の先で、地面が突如として盛り上がった。

 現れたのは巨大な――芽。

 大人の背丈より大きな芽が生えたかと思うと、早回し映像のように急速に生長していく。頼りない芽が瑞々しい茎に、さらに太く逞しい幹に。最終的に樹高五メートルはある立派な樹となり青々とした葉を茂らせる。ここまでわずか一分足らず。


 さらに。

 生長を終えた樹は幻想的な黄昏色に全身を染めると、直後、水風船のように弾けて、辺り一面に光の粒子を降らせた。

 爆発的な生長による『動』と、四散して無音で宙を舞う光粒の『静』――。

 部員たちは、その美しさに圧倒されて声を失う。


 永慈はしみじみとつぶやいた。

「これはまた、見事な『間欠樹かんけつじゅ』だったな」

「かんけつ……何スか?」

 晶翔がぽかんと問いかける。静希が答えた。

「間欠樹。世界樹クラスの巨木の周辺でたまに起こる現象だ。樹が生まれ、そして一瞬に散りゆく。あの光には土壌を豊かにする効果があるとされる。エリュシオンの不思議のひとつだ。今日は条件が良いから運が良ければ見られるだろうと報告があったのだが……あれほどのものは珍しい」

 それにしても、と静希が永慈を見る。

「間欠樹を知っていたことといい、絶妙なタイミングの声かけといい、やはり永慈はエリュシオンにかなり精通した男のようだな」

「どうも」

「常友、よく覚えておくといい。エリュシオンで奉仕活動をする理由はな、エリュシオンという異世界の有り様を直に目にできるからだ。元の世界では決して見ることができない不思議を肌で感じ、自然の意味を学ぶ。それはECEでなければ経験できない。そして、この経験は部員たちの心をより豊かにするとともに、エリュシオンを尊重する精神を養うのだ。わかったか?」

「ほえー……」

 呆けた声を漏らす晶翔。永慈と静希は顔を見合わせ、笑い合った。

 黄昏色の粒子は、いまだはらはらと舞っている。

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