第24話 GO、エリュシオン

 約二十分後、深津浜のエリュシオン入口に到着した。

 ECEの装備は基本的にレンタルだ。運搬も専用業者が担っており、永慈たちが現場に降り立ったときにはすでに配送が済んでいた。確かにこれは金がかかると永慈は思った。

 入口周辺はキャンプ場のように開けている。コテージも数軒並ぶ。更衣室はそのうちの一棟だ。


 番号が振られた小型のコンテナから装備を取り出しながら、永慈は窓から広場の奥を見た。標高二百メートルほどの山の麓に大きな洞窟が口を開けている。

 不思議なことだが、エリュシオンの入口はほぼすべてが洞窟の形状をしている。トンネルを抜けると異世界だった――一般市民にとっては小説の導入のような世界が、れっきとした現実としてここに存在している。


 静希の指導のもとすべての装備を着込み、兜を被る。バイクのヘルメットのように前面が透明な膜で覆われ、視界はしっかりと保たれていた。オーバーオールの上に身につけた鎧も、軽くてあまり動きを制限しない。肉体的に衰えている自分でも何とか扱えそうだ。外観で言えばシンプルな白いスキーウェアを着込んでいる感じか。


 かつて永慈が見た『エリュシオン用装備』と言えば、ダルマのようにずんぐりむっくりとしたビジュアルが常であった。晶翔はオーバーオールを「ダサい」と言っていたが、ダサさなら昔の方が数段上で、それこそ横綱が序の口を十番連続で寄り切るくらいの差があった、と永慈は思っている。

 それも仕方ない。

 武器防具はマテリアル製。加工には特殊な技術が必要だ。昔は元の形状を大きく変えることさえ困難を伴っていた。鎧とか兜とか、日本的な古めかしい呼び名を今も使っているのは、無骨な装備しか作れなかったときの名残だろう。

「最近の防具は進歩してるんだなあ」

「ほら、何をひとりでぶつぶつ言っている。準備ができたら整列だ四十番」

 ECEの装備には外から見てわかるように番号が刻まれているのだ。


 コテージの外へ出る。永慈は目を細め、ぞろぞろと歩く部員たちを一人一人観察し始めた。特殊対策班時代に得た知識と経験、持ち前の感覚の鋭さを使い、装備や仕草に違和感がないかどうかを見ていく。

 だが、特に変わった様子は見られない。

 『仕事モード』に切り替わっていた五感が、微かな車の音を拾う。広場の外縁の斜面を、数台の大型車が連なって走っていた。その内の一台、スタイリッシュな黒のSUVの助手席に、見覚えのある顔を見つける。

「重政、利羌」

 至誠館中央ECEのメンバーを見下ろしながら、彼は薄ら笑いを浮かべていた。


 ――点呼の後、いよいよエリュシオンへ入境する。

 足下も照明も整備された洞窟を歩きながら、永慈は静希の隣に並んだ。先ほど見た車のことをそれとなく報告する。

「また彼か」

 返ってきたのは、うんざりとした声音だった。


「利羌も我が校ECEの部員なのだが、普段からああいった独自行動を取る。彼を中心に集まったメンバーは、自分たちで調達した装備でエリュシオンに入ってしまうのだ」

 深津浜エリュシオンには、もう一カ所入口となる洞窟がある。繋がっている場所が集落から離れていて危険なためECEでは通常、使われない。

「どうやらモンスター狩りを行っているらしい」

「うちの部では、確か戦闘要員も討伐モンスターも許可申請制だったと」

「その通りだ。彼らはそれを堂々と無視している。本来ならば退部ものなのだが、資金面で大きく部に貢献しているから、強く言えない。彼が来てから、部員全体の金銭的負担が軽くなったのは事実なんだ。大人の事情というやつだ」

 小さくため息をつく静希の横で、「なるほど」と永慈はうなずいた。

「彼らにはあまり関わらない方がいい。そんなことより――さあ、いよいよエリュシオンだぞ」

 静希の言葉通り、前方から眩い自然光が差し込んできた。部員たちのざわめきも増してきた。永慈は彼らの背中を目尻を下げて見つめる。


 三十九歳。エリュシオンに入るのは初めてではないし、仕事柄、色んな情報にも触れてきたし、今更ウキウキと心弾ませることはない。

 けれど、娘と同じ年頃の少年少女たちが喜びとワクワクに興奮している姿を見て、その空気に浸るのは悪くなかった。

「入境口まであと二十メートル」――不意に静希がつぶやいた。声音に子どもっぽい興奮が滲んでいることを感じ取る。

 永慈は『仕事モード』を緩めた。

(どれ。おっさんも子どもに戻ってみよう)

 口元に笑みを貼り付け、一歩ずつ進む。


 前方はそこそこ急な斜面になっていた。お揃いの鎧がこすれて音が鳴り続ける。洞窟の道は広いが、人数が人数なのでプチ渋滞が起きていた。自分が斜面に取り付くまでの時間が長く感じる。

「あと五メートル。この斜面はいつも長い。ふふ」――また静希の声。彼はきっちり三点支持で斜面を登っていく。永慈もならった。

 すぐ後ろから晶翔の声がした。

「静希サン。うるさいッスよ。いっつもここでブツブツ言って浮かれてるんだから」

「浮かれてなどいない」

「へー、ほーぉ」

「浮かれてなどいないのだ」

「あー、早くエリュシオンに入って叫びてぇ」


 先を行く部員の姿がひとり、またひとりと視界から消える。時折歓声が聞こえてくる。

「あと三歩」

 ぐっ、と足に力を込め身体を持ち上げる。

 すると、石と土の色だけだった視界に燦然さんぜんと光が飛び込んできた。

 靴底が平たい土地を踏みしめる。息が上がっていたことに今になって気付く。


「到ッ、着ッ! フォオオォォッ!」

 後ろで晶翔が両手を挙げて叫んだ。乱暴に永慈の背中を叩き、静希とハイタッチをし、それからしたたかに頭を叩かれる。


 眼前に異世界の大地が広がっていた。

 ツインタワーマンションも高速道路もない。

 整備された道路も色とりどりの屋根もない。

 空は高く、ずっと青く、広い。


 世界に迎え入れられた者たちの感動が、エリュシオンの入口から歓声となって四方へ拡散した。

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