第35話 年下の先輩に
紫姫が軽く肩を叩いてくる。気遣いに感謝しつつ、永慈は顎に手を当て黙考した。
先輩から厳しいことを言われた。威勢の良い台詞を返してしまった。
――などと、狼狽えるような永慈ではない。そんな時間は彼にとって無駄以外の何物でもなかった。
新人なら新人らしく、できることをしなければならない。
紫姫は先ほどから足を組み、タブレットを操作している。
(彼女からは日中でも話を聞くことができる)
トレーラー内は、エンジンの音と機器の駆動音、そして高速のタイプ音のみがある。
席を立った永慈は冬樹音の隣に行く。ブラインドタッチでキーボードを操作しながら、ディスプレイの様々な表示に目配りしている。永慈に気付いた様子はない。それほど集中しているのだ。
「ちょっとすみません」
ぴたりと手が止まった。
「今、どんな作業をしているのですか?」
返事はない。冬樹音は錆び付いたブリキ人形と化し、ひどくぎこちない動きでサンバイザーを外す。目元が前髪で隠れたのに続き、のそのそと座席下に逃げ込もうとする。
永慈はディスプレイに目を遣った。複数重ねて表示されているリストを読む。
「これは、マテリアルの保管期間の一覧ですか」
冬樹音の動きが再び止まった。永慈は正直な感想を漏らした。
「すごいな。触媒素材が十種もリスト化されてる。こっちは装備ごとの保存期間推移か。民間でもここまで詳細に計測と記録を繰り返してるところは少ないはず」
「……」
「これは全部、七森さんが?」
相変わらず目を合わせてくれない。だがしばらくして、小さくひとつうなずきが返ってきた。
永慈は傍らに立ったまま、じっとディスプレイを眺め続けた。機械類の操作は得手ではないが、知識なら持っている。この無機質な電子機器に表示された情報は、見る者が見ればまさに宝の山と言える。永慈は、脳内リストと目の前の情報との照らし合わせをひたすら無言で行った。
彼の横顔をしばらく怖々と見上げていた冬樹音だったが、再びのそのそと移動して席に座り直した。
「今度、端末操作について教えてください。七森さんの方が先輩ですから」
小学生相手に、あくまで丁寧に教えを請う。やはり返事はなかった。ただ、キーボードを操作する彼女の口元は、ほんの少し嬉しそうに緩んでいた。
エンジンの駆動音が力強くなってきた。それに合わせ、床に傾斜を感じるようになる。坂道を登り始めたのだ。通信機器にスイッチが入り、結太の声が流れた。
『も、もうすぐ現場に到着』
「
サンバイザーを装着した仕事モードで冬樹音が応答する。彼女は一度だけ隣に立つ永慈を見上げ、すぐに視線を戻した。
やがて車が停まった。紫姫に続いて永慈も外に出る。冬樹音はトレーラー内で留守番である。電子機器が使えないエリュシオンには基本同行させないのだそうだ。
キャンピングトレーラーは山道脇に停まっている。割れたアスファルトの間から雑草が生え、普段から車通りがないことを伺わせた。
「紫姫様」
待機していた亜人二人が歩み寄ってくる。トトリとシタハルだ。彼女らは永慈に見向きもしない。
「永さんはそこで待ってて」
紫姫はそう言うと、トトリたちとともに簡単なブリーフィングを始める。闇夜の中、紫姫の持つタブレット画面から漏れる光が彼女らの顔を照らしている。皆、目つきが鋭い。
永慈は樹々の間から街の様子を見た。そしてわずかに驚く。すぐ近くに山隠神社が見えたのだ。
あの場所から夜の世界との関わりが始まった。
「まいったわね」
そんな紫姫の声が聞こえてきて、永慈は振り返った。話の内容は断片的にしか聞こえないが、目的地で思わぬ障害が発生したであろうことは読み取れた。
「敵対、組織」
不意に小声。冬樹音が、トレーラーの扉から顔だけを出して永慈に話しかけていた。
「山隠神社でカテゴリー2が三回も発生したこと……知ってます、よね?」
「当事者でした」
「たぶんそのせいで……新しいエリュシオン、できたみたい、です」
永慈は目を瞠った。
「本当ですか」
「すごく珍しいから。だから調べようって。だけど怖い人たちが、先に」
冬樹音は前髪を下ろしている。そのたどたどしい口調は、年相応の、引っ込み思案な女の子のものであった。
もし彼女の言う『怖い人たち』が永慈の想像通りなら――確かに冬樹音を連れて行くことはできない。子を持つ親として。
「教えてくれてありがとうございます」と言おうとしたときには、すでに彼女はトレーラーの中に引っ込んでしまっていた。
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