第47話 きっと立ち直る
――入院四日目。夕方。
永慈はベッドから上半身だけ起こして、窓の外を眺めていた。気を抜くと、何時間でも鳥や雲の流れを見続けてしまいそうなほどぼんやりとしていた。頭のスイッチが上手く切り替わらない。
扉がノックされた。「どうぞ」と永慈が応える。
「永慈。身体の調子はどうだい?」
「こんにちは、永さん。面会がOKになったと聞き安心しました」
「昴成。紫姫さん」
意外な組み合わせの二人がそれぞれ見舞いの品を手にし、笑顔を向けてくる。
紫姫が枕元に座り、永慈の手を握った。
「よかった。四日前よりだいぶ顔色が良くなっていますね。ずっと心配していたのです。永さんの様子がわからなかったから。浦達先生に怒られてしまいましたし」
そう言って紫姫は泣きそうな顔をした。彼女の弱気な表情を久しぶりに見たような気がした。
場を和ませるためか、紫姫は少しおどけた様子でここ数日のエピソードを話した。『遠見』の魔術を使おうとして浦達医師に見つかり、「こんなことは控えるように」と釘を刺されたという。優秀な魔術師である紫姫の魔術を見破るくらいなのだから、彼は医師だけでなく魔術師としても優秀なのだろう。
「そんな先生が担当してくれているのは君にとって救いだな」
昴成が言葉を継ぐ。魔術云々の話でも彼が動じた様子はなかった。すでに紫姫からある程度の事情と背景を聞き及んでいるようだ。
「昴成」
「うん? どうした」
「お前は、大丈夫か? その、体調は」
遠慮がちな永慈の問いかけに、一瞬、昴成と紫姫が顔を見合わせ眉を下げた。
昴成が瞳に辛さを滲ませて永慈を見る。永慈は不安を抱えたまま親友の目を見つめ返す。
「昴成……?」
「なに自信なさげな顔をしているんだ。永慈」
背中を叩かれる。
「私の方は見ての通り。永慈や弓井さんたちのおかげで無事だよ。むしろこの件に関しては、私は君に謝らないといけない」
四日前――自宅へ帰る途中だった昴成は偶然、慧の姿を目撃した。親友の息子が、見慣れない良からぬ連中と一緒に車に乗ったと知り、居ても立っても居られず彼の後を付けた。そして事件に巻き込まれた。
昴成が語った背景である。
昴成は深く頭を下げた。
「永慈。ありがとう。君のおかげで私の命は助かった」
「……頭を上げてくれよ昴成。俺はお前に大きな借りがいくつもあるんだ。今回のことくらいじゃ、到底返しきれないよ。それに元はと言えば俺の息子が」
そこで言葉が切れた。
まるで海底に潜んだ天敵に一瞬にして捕食されてしまった小魚のように。
重苦しい沈黙が降りる。高層階の病室はとても静かなのであった。
紫姫が手を叩いた。
「借りと言えば、永さん。重政利羌君との借金の件ですが、無事、解決しましたよ。あのアンノウンの素材、どうやら新種の触媒素材だったようで、物凄く高い値段で売れたのです。借金返済しても余るくらい」
泣き笑いの彼女に、小さく微笑を返す。
「俺だけの手柄じゃないよ」
「そう思っているのは、きっと永さんだけです。ちなみに借金返済はシタハルの進言だったんですよ。『仲間の評価は正しくしなければならない』って。トトリも賛成してくれました」
「仲間……」
「ええ。永さん――いえ、三阪永慈さん。現場リーダー、ハノイの名において、あなたを正式にミツルギのメンバーに加えることをお伝えします。私の上司たちもちゃんと認めてくださいました」
仲間。評価。正式加入。
永慈はうわごとのように繰り返した。
再び沈黙が支配しそうになると、昴成が口を開いた。
「弓井さん。後は私が」
「そう、ですね。よろしくお願いします。永さん、また来ますね。今度は私たちのアジトをご案内しますので」
目尻を拭い、紫姫が病室を去った。
彼女が姿を消してから、昴成は小さくため息をついた。
「また大変なことになったな、永慈」
「すまん昴成。また俺は、お前に迷惑を」
「まったく。君は仕事を辞めても世話を焼かせる」
昴成は長い手足を組んで永慈を見た。
「なあ永慈。君は覚えているか。二年前もこうして入院したこと。明依ちゃんも一緒にだ。私も穂乃羽も、突然の事でずいぶん心配したんだ」
永慈は曖昧な表情でうなずいた。
あのときは夜遅くになっても帰らない明依を心配して探しに行って――気がついたときには父娘揃って入院していた。幸い二人とも大事には至らず、しばらくして退院できたが、入院までの経緯は永慈の記憶からすっぽりと抜け落ちている。
しかし、なぜ今その話を持ち出すのかわからない。
「永慈。入院直後の君は、ちょうど今みたいに覇気がなかった。聞けば、明依ちゃんを見つけてからの記憶が失われていたという。よほど恐ろしい目に遭ったのだろう。けれど、君は立ち直った。元の明るく、前向きな思考を取り戻した。明依ちゃんもだ。私はそんな君たちを見て、心から尊敬したものだ」
昴成は握り拳を差し出した。
「今回もきっと立ち直ると、私は信じている」
「昴成……」
「三阪永慈は、為すべき事を途中で放り投げるような男ではないさ」
永慈はうつむいた。胸の奥から湧き上がってくるものを噛みしめ、大きく息を吸う。これまで無機質に感じていた病室内の空気が、新鮮なエネルギーとなって感情と混ざり合う。一粒だけ涙を零した。
顔を上げたとき、永慈は白い歯を見せて笑っていた。
「その通りだ。親友」
二人は拳を軽く突き合わせた。
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