第20話 要注意人物

 永慈の背後から複数の足音が近づいてくる。すぐに誰かわかった。小さい頃から聞き慣れている。


「お父さん!」


 ここが校内であることを忘れて明依が叫ぶ。永慈を助け起こし、「どこが痛いの?」としきりに尋ねてくる。

 脂汗を浮かべたまま、永慈は白い歯を見せた。

絆創膏ばんそうこうじゃあ治らないぞ。明依」

 いつも持ち歩いているポケットサイズのポーチの中身を探っていた明依は、赤くなって手を止めた。


 永慈たちをかばうように、穂乃羽が前に立った。

「これはどういうことでしょう。説明していただけますか?」

 詰問きつもんする。冷たい口調に激情が混ざっていた。怒りを腹の中に必死に抑え込もうとしている様子が手に取るようにわかる。

 明依も穂乃羽の隣に並ぶ。こちらははっきりと怒りをあらわにしていた。

「暴力行為ね。クラス委員長として黙ってはおけないわ」

 永慈に背を向けているので表情はわからない。だが、家では見せたことのない険しい顔付きであろうと想像できた。


 対する利羌は――。

「申し訳ない。ついカッとなってしまった」

 驚いたことに、素直に頭を下げたのだ。


「情けないことだが、実は少し前から機嫌が悪くてね。今日初めて一緒に過ごした彼と馬が合わないことに過剰反応してしまったようだ。君たちには見苦しい姿を見せてしまった」

「そうですか。ですが、それなら謝る相手が違うでしょう」

 穂乃羽が指摘すると、利羌は肩をすくめた。

「よくある男同士のじゃれ合いだよ。彼に謝るほどじゃない。そうだよな、お前たち」

「はい。特に問題があるようには見えませんでした」

 取り巻きの亜人のひとりが即座にうなずく。もう一人は遠慮がちな視線を永慈に向けていた。


 利羌がきびすを返す。

「それじゃあ僕は行くよ。もうすぐ家庭教師が来る時間なのでね」

「待ちなさいよ!」

「これ以上話をしても時間の無駄だろう? お互いに。そうだ穂乃羽。次の定期テスト、覚悟しておきたまえ。次も僕が上位に立つ。ここのところ連勝できていないのでね。全力を尽くさせてもらうよ」

「あなたとの争いに興味はありません」

「僕にはある。それでは」

 利羌たちは立ち去った。


 彼らの後ろ姿が見えなくなってから、明依が爆発した。

「……ッあーもう! ホントに、ホンットにムカツク! 何なのあの態度!」

「相変わらず、人を上下関係でしか見ることができない人間なのですね。彼は」

 穂乃羽も吐き捨てた。

 人当たりの良いこの二人が揃って嫌悪感をあらわにするのは珍しい。あんな男につきまとわれているとなれば、父親としては由々しき事態だ。

「明依。穂乃羽ちゃん。彼に何かひどいことをされなかったか」

「お父さん。まだ動かない方がいいってば」

「俺のことよりお前たちの方が父さん心配だ」

 立ち上がる。本当はまだ蹴られた箇所がうずいていた。これも老化の影響なのか、痛みがなかなか引かない。だが、永慈は気合いで痛みを無視した。


 穂乃羽がため息をついて答える。

「彼は大陸からの留学生なんです。重政利羌、と日本の通称名を名乗っていますが、本名は知りません。きっとそのほうが都合が良いのでしょう。彼は自分より下と見た人間は徹底的に冷遇します。そして、眼鏡にかなった相手は手駒てごまにしようとする。私や明依ちゃんは、あの人にとってちょうどよいアクセサリーなのでしょうね。ただ……上位者と胸を張るだけあって、能力的には非常に高いものを持っています。あまり言いたくないですが、文武両道とは彼のことを指すのだと思います」

「いくら勉強やスポーツができても、性格的にはわ。最悪。クラスメイトになった当初から、何かとつっかかってきて困ってるの。まあ私も穂乃羽も、あんな奴と付き合うのはまっぴら御免なんだけど、全然お構いなしなんだよね……あ、でも心配しないでお父さん。ストーカーとか、そんなのはないから。ただムカツクだけで」

 明依は笑っていたが、永慈は安心できなかった。


 利羌は非常にプライドの高い男のようだ。が何より大事という雰囲気を感じる。

 自分より劣ると見なした永慈が、自分と同格以上の明依や穂乃羽と親しくすることは、利羌の常識からすればはずだ。

 しかも彼は、自らの基準に合わない者には容赦なく攻撃する。

 いつ何時、明依たちに暴力を振るうかわからない。

 まさかあんな虫が明依たちにくっついているとは。同じ学校に通っていなければわからなかったことだ。


「二人とも。今後はできるだけ一緒に行動しなさい。俺の側から離れないように」

「え!? いいの!?」

 なぜか目を輝かせた明依に、永慈は怪訝そうにする。隣で穂乃羽が目を細めた。

「あらあら。よかったですね明依ちゃん。おじさまご本人から許可をいただいて。これで心置きなく密着することができますね」

「ちょ。な、なにを言い出すの穂乃羽! み、密着だなんてそんな」

「あらあら? 私知ってますよ。明依ちゃん、実は永慈おじさまの匂いが――」

「うわあああっ!? 止めて穂乃羽! それだけは言わないでお願い!」

「……お前たち。俺の言っていること、わかってるか?」

「だだだ、大丈夫大丈夫! バッチリだよお父さん! あは、あはは」

「ええ。警戒は必要ですものね。ふふ」

 二者二様の表情でうなずく。永慈は少しだけ肩の力を抜いた。

「それじゃあ帰るか。買い物をしなきゃいけないし。よかったら穂乃羽ちゃんも――」


 そのとき。永慈にとっては懐かしい音とともに校内放送が流れた。


『二年一組、三阪永慈君。二年一組、三阪永慈君。至急、魔術準備室の弓井のところまで来てください』

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