第19話 坊やの脅迫

 放課後。

 明依たちは掃除があるので、それが終わるまで永慈は待つことになった。本当は手伝うつもりだったが、明依たちに強く止められたのだ。

 おそらく、五十メートル走の記録を人づてに聞き、聡明な穂乃羽が永慈の身体の状態を悟ったのだろう。

 実際に疲れは感じていた。胃腸の調子も良くない。

 トイレから出てきた永慈は、左手の甲を見た。

 目立たないように小さく、数字が書き込まれている。体育の後に自分で書いたものだ。


『13』。


 あの宣告の日から何日生きてこられたかの記録。寿命を忘れないためだった。

 明依と同じ学校に通えて、少々浮かれていたのかもしれない。だが、先ほどの醜態しゅうたいで自分の命は限られているのだと、永慈は改めて思い知らされた。

 これは、何のためにここにいるかを忘れないためのくさびだ。


 人知れずため息をついた。

「まず身体を鍛え直さないとな……浦達先生には止められたが、こんな有様じゃあ何をするにしても」

「こんにちは」

 突然声をかけられ、永慈は振り返った。

 背の高い男子生徒がひとり、トイレの出入り口で待ち構えていた。


 北側に面した廊下は少し暗い。その中でも、彼の姿ははっきりと認識することができた。

 男子生徒の頭髪の一部が薄く輝いている。両頬から首筋にかけて入れ墨のようなラインが走っている。

 光の肌ライトスキンと呼ばれる、『亜人』だけが持つ特徴だった。


 亜人――異世界エリュシオンで生まれた人間、あるいはその血を引く人々のことだ。彼らの祖先はエリュシオンのモンスターと人間とが交配して生まれたと言われ、それゆえに他国では昔から「亜人は人間であって人間にあらず」と見なされている。

 日本では逆に、亜人を新しい人類、神の遣いとして扱ってきた歴史があり、現代においても亜人との関係は世界で最も良好と言われている。目の前に立つ彼のように、公立の学校に生徒として通えているのが何よりの証拠だ。


「三阪永慈さん、ですね?」

「そうだけど。何か」

 尋ねながら永慈は不審に思った。ブレザーの校章を見ると同学年だ。亜人の生徒はどこかくたびれた様子だった。口調こそ丁寧だが覇気がない。

「ちょっと、会っていただきたい方がいるんです」

「悪いけど、俺も人を待ってるんだ」

「お願いします! 少しだけでも!」

 きびすを返そうとした永慈にすがりつく亜人の生徒。永慈を見上げる彼の目は、まるで命乞いをするように揺れていた。


 男子生徒の瞳をじっと見返した永慈は、小さく息を吐いた。

にノコノコ出て行くのは、ちょっとな」

「いや、それは」

「もしかして、脅されているのかい」

「……そんなことは」

 顔を逸らす。こちらに向けられた首筋の一部にうっすらと痣が残っていることに永慈は気付いた。

「なあ君。辛い目に遭ってるなら、ちゃんと助けを求めた方がいいぜ? 余計なお世話だと君は怒るかもしれないが、大人の力を馬鹿にしちゃいけない」

 亜人の生徒は黙り込んでしまった。

 廊下の壁に背を預け、永慈はしばらく雑談した。亜人の生徒は終始しどろもどろで、しまいには涙を流してしまう。

 可哀相にと思いながら、亜人の生徒の肩をポンポンと叩く。


「おい。何をしている」

 そのとき、ざらついた呼び声がした。亜人の生徒が背筋を伸ばし振り返る。

 廊下の中央に男子生徒が二人立っていた。前にいるのは、体育の時間に俊足を披露した、あの細目の男子生徒だった。後ろに控える生徒は別の亜人で、こちらは見覚えがない。

「なぜ言いつけを守らない? 三阪永慈を呼んでくる。簡単な使いだろう。なぜできない?」

「あ、う……いや、その」

「まったく使えない」

 細目の男子生徒は手招きする。永慈は小さく「行くな」と声をかけたが、亜人の生徒には届かなかった。怯えながらも、細目の男子生徒の後ろに収まる。


使が迷惑をかけたね。まだ日が浅くて、上手くできないんだ」

 細目の男子生徒が口を開く。永慈は彼が何を言っているのか理解できなかった。

「僕の名は重政利羌りきょう。三阪永慈、君に話があって来た。本来ならこちらが設けた場に来なかった君に非礼があるが、今回は許そうと思う。よく聞いて欲しい」

「……それで、話とは?」

「単刀直入に言おう。永久穂乃羽と三阪明依の二人を僕にくれ」

 利羌は笑みを浮かべていたが、永慈の表情を見て首を傾げた。

「どうしたんだい。そんなおかしなことを言ったかな、僕は」

「おかしいと思わない方が不思議だな」

「不思議? ああそうか、この国では特殊な考え方らしいね。でも僕には関係ないよ。ま、わかるように理由を話そう」

 利羌は近づいて、永慈の胸元を指で突いた。


「先ほどの体育で君の身体能力は証明された。授業中の態度もひどいものだった。つまり君はこの学校において能力的に下位の人間で、僕たちのような者とは住む世界が違う。なのに、穂乃羽と明依という上位の人間ととても親しくしている」

「……それで?」

「あの二人は僕が手に入れる。ゆくゆくは穂乃羽を我が妻に、明依を秘書兼側付そばづきとするつもりだ。これは前々から皆に言っていることだが、君は今日来たばかりだからね。知らなくても無理はない」

「……で?」

「君の役目は、僕に彼女らとのコネクションを差し出すことだ。君にはそうする義務がある。それは君が僕より弱いからだ」


 永慈は利羌の目を見据えた。無言で、射殺すような視線を向け続ける。

 やがて利羌のこめかみに青筋が浮いた。

「なんのつもりだ? その目つきは」

だな、あんた。さぞかし時間とお金に余裕があるのだろう」

「……ほう?」

「寝言は寝て言え。坊や」


 下腹部に衝撃。

 利羌の膝蹴りが容赦なく突き刺さっていた。痛みと苦しさで目眩めまいがし、身体がに折れ曲がる。


 怒りでだった相手の荒い息づかいが聞こえる。だが、追撃は来なかった。顔に傷を付けるわけにはいかないと判断したのだろう。日常的に、そして一見してバレないように暴力を振るい続けてきた証拠だ。


 ……このクソガキ。親の顔が見てみたいぜ。


 心の中で悪態をつく永慈に利羌が吐き捨てる。

「お前の態度は許されない」

「……ああ、そーかい……」


 こっちもお前の態度には心底腹が立っているんだよ。

 言うに事欠いて、大事な明依たちを寄越せ、だと?


「誰が、お前のような奴に渡すか」

「……三阪永慈……!」

「やめなさい!」

 鋭い制止の声が廊下を貫いた。

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