第55話 遺言

 二人とも痛々しい姿になっていた。装備は裂傷でボロボロになり、もはや防具としての機能を失っている。頭部からの出血が激しく、二人の顔を釉薬うわぐすりのように覆ってしまっている。

 だが、生きている。二人とも呼吸で肩が上下している。


「はははっ……!」

 突然、利羌が笑い始めた。彼は両手を腹の前で組んでいた。よく見ると、両手の間から青白い光が漏れている。頭上を漂う輝きと同じ物だ。

「ついに手に入れたぞ……これさえあれば、俺は完璧な人間になれる……!」

 肩が不規則に上下。笑い続けているのだ。凄絶な姿に永慈たちは声をかけられない。

「ははは……ちくしょう。よく見えないな……おい! おい! 誰かいないのか! 俺を出口まで連れて行け! 何をしている、早くしないか!」

 視力を失っているのか。利羌は高圧的な態度で、何もない虚空へ向けて叫ぶ。


 永慈の第六感が激しく反応した。彼は無意識のうちに明依を抱きしめた。

 娘の視界を、自分の身体で隠す。

「おい、早くしろ! だぞ! これさえあれば、マテリアルの身体に――」


 不意に途切れる声。

 無音だ。

 しかし、紫姫の強ばった表情を横目に見て、何が起こったかは把握した。永慈は初めて、感覚の鋭さを与えてくれたマテリアル体に感謝した。


 十分な間を置いて、後ろを振り返る。

 頭上のシャボン玉の光に照らされ、すり鉢状に抉られた地面が露わになっていた。

 ついさっきまでそこにいた利羌の姿は、跡形もなく消え去っていた。


 腐界。

 呆気ない幕切れだった。


「そこに誰かいるのか」

 もう一人――慧と共にいた男が声をかけてきた。彼もまた、目をやられていた。永慈たちのことが把握できていない。

 永慈が何かを答える前に、男は訥々とつとつと語り始める。


「もし良ければ聞いてくれ。この先で私の連れが戦っている。可愛い弟分だ。だが……どうかそっとしておいてくれ。彼の思うようにさせてくれ。おそらく、大勢の人に迷惑をかけることになるだろう。大罪人として後ろ指を指されるようにもなるだろう。けれどこれは、あの子の命を懸けた独立戦争なんだ。それを見守ることだけが、私の――」


 徐々に。

 徐々に。

 男の声音が弱々しくなっていく。

 だが彼の想いは暗闇と青白の光が支配する空間の中で、ひときわ熱を持って広がった。

 男は、懺悔と願いに自らの命を変換したのだった。


「慧。ネメルムオスは、始まりの力だ。きっと生まれ変われるさ」


 それきり、男は喋らなくなった。

 永慈は、男に向けて両手を合わせた。


「紫姫様!」

 洞窟の奥から声がした。数人の足音が近づいてくる。紫姫が破顔した。

「トトリ! 無事だったのね!」

「はい」

 青白い光の下でトトリはうなずいた。彼女には珍しく、心底ほっとしたような表情だった。顔は砂埃にまみれ、細かな傷が付いている。


「皆もいます」

 彼女に続き、博也、静希、晶翔がやってくる。こちらは声をかける余力もないほど憔悴しょうすいしていた。最後にシタハルが背後を警戒しながら現れる。

「ネメルムオスが大暴れした。この限られた空間の中では、敵も味方もなかった。この有様だ」

「そう……。やはりあなたたちがいて助かったわ。ご苦労様」

 紫姫が労うと、亜人戦士二人は小さくうなずいた。


「……穂乃羽は?」

 明依が辺りを見回しながら言った。

「穂乃羽はどこ?」

 トトリはうつむく。シタハルは虚空を見上げ目を閉じる。明依は彼らにすがりつく。

「ねえ!」

「彼女は生きているわ」

「あの娘は自らの意志で三阪慧に付いていった」

 亜人戦士たちの簡潔な報告を聞いて、明依はふにゃりと表情を崩した。不安と疑念、それと同じくらいの安堵と感謝がない交ぜになった顔だった。


 彼女はミツルギのチームリーダーを振り返る。

「先生。私が持っているペンダントの宝珠、また解除してもらえませんか」

「どうするの」

「あのバカ弟に見せて、目を覚まさせます。将来のお嫁さんに今から迷惑かけるなんて許せない」

 明依の突飛な話に、紫姫は現場の緊迫感も一瞬忘れてきょとんとする。

 永慈は口元に手を当てて、小さく笑った。

「今、俺がしてやれるのは、お前らを無事に元の世界に返してやることかな……」


 宝珠化が解除されたのを見届け、永慈は紫姫たちに向き直る。

「ありがとう。俺たちは行きます」

「待ってください。二人で行くつもりですか、永さん」

「『家族』が待ってるからね」

 長いため息が聞こえた。

「わかりました。ただし、私も行きますからね。いくらなんでも、死期が迫っている人と戦闘の素人をそのまま送り出すわけにはいきません」

「紫姫様!?」

「トトリ。それからシタハル。あなたたちは他の子たちを連れて地上に戻りなさい。一般人をエリュシオン絡みのトラブルから守るのも、ミツルギの大事な使命よ」

「しかし」

「行きなさい。私たちなら大丈夫だから」

 リーダーの強い言葉に押され、トトリは不承不承、踵を返す。


 静希の肩を持ったシタハルが、去り際に永慈の背中を叩く。

「しっかりな」

 永慈は力強くうなずいた。

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