第54話 月の壊れた世界

 見慣れない亜人がトレーラーの周囲に散開し、警戒していた。彼らが『灯台ライトハウス』の構成員なのだろう。

 トレーラーは、砂利を敷き詰めてならしただけの道の上に乗り上げていた。正面には見覚えのある窪地と洞窟がある。

 数日前に慧を目撃した、エリュシオンの入口だ。

 道は、崩落で積み上がった土砂を再利用したものだった。

 周辺の木々は切り倒され――へし折られ、と表現した方が正しいか――景色はずいぶんと変わってしまっている。

 山隠神社エリュシオンの入口は『灯台』が押さえたようだ。だが、予断を許さない状況であるのは哨戒メンバーの顔色を見ればわかる。


 永慈たちは身を低くしながら洞窟の中に飛び込んだ。

 洞窟内は想像よりも広く、奥が深かった。いくつもの携帯照明が洞窟内を照らし、武装した亜人たちが警護に当たっていた。

 その中を走る。走る。

 永慈たちのことはすでに情報として伝達されていたようで、遮二無二しゃにむに駆ける三人を黙礼だけで送り出す。


 ――そんな中、不意に永慈が立ち止まった。

「永さん」

 紫姫が眉をひそめて振り返る。

「いくら入口を押さえたと言っても、状況は時間との勝負ですよ」

「体調が悪いの? 永慈君」

 気遣う明依にも応えず、永慈は辺りを見回した。


 視界の端に何かが映った――気がした。

「さっき」

 いくら見ても、変わった物は見つからない。しかし頭にこびりついた残像は無視するには強すぎた。

「通路に……が浮かんでいるように見えた」

「泡? シャボン玉みたいなの?」

 明依が首を巡らせる。

「何もないわよ」

「見間違い……? いや、でも確かに」

 顎に手を当てる永慈。不安そうに辺りを見る明依。


 紫姫は近くにいた『灯台』のメンバーに駆け寄った。何事かを話している彼女の横顔は険しい。

 やがて永慈たちの元に戻ってくる。

「急ぎましょう。もしかしたら、私たちが思っている以上に時間がないのかもしれません」



 ――洞窟の最奥部にたどり着く。突き当たりが闇に染まっている。エリュシオンの入口だ。

 亜人が入口の両脇を固めている。紫姫が黙礼すると、彼らは互いに顔を見合わせた。

「話は聞いている。だが、気をつけろ。どうも様子がおかしい」

「了解しました」

 亜人たちの間を抜け、エリュシオンへと足を踏み入れる。


「きゃっ……!?」

 短い声を出し、明依がたたらを踏んだ。横から永慈が支える。紫姫は口を半開きにして、上空を仰いだ。


「なに、これは」


 黒布を幾重も重ねた夜空。

 かつてこのエリュシオンに乗り込んだときは冷たく燦然としていた月が、弱々しく散っていた。文字通り、で空に張り付いていたのだ。地上に降り注ぐ灯りは弱く、恐ろしい。


 地上に視線を下ろせば、異変はさらに顕著だとわかった。

 鬱蒼と茂っていた樹々は軒並み姿を消していた。沼の水も、遠景にあった山々もない。

 あるのはただ、一本の道だけ。 それも、長大なエスカレーターのように急角度で地下へと潜っていくトンネルだ。幅はざっと見ても五十メートルはある。トンネルの奥に至っては果てが見えない。

 道の両端は底の見えない切り立った崖であった。


「どういうこと。世界が、変わっている……?」

「紫姫さん。感じるよ。この世界、俺たちが前に来たあのエリュシオンと同じだ」

 強ばった顔で永慈が言う。

「空気が同じだ」

 紫姫が額を押さえる。認めたくなくても、彼女にとってはこれ以上ない確実な答えなのだろう。マテリアルから生まれた永慈が語る感覚には信憑性があった。


 女魔術師は表情を改めた。

「行きましょう。一本道なら皆と合流するのも容易なはず」

 永慈たちは駆け出した。


 トンネルに差しかかり、月の光が遮られる。闇が辺りを支配した。

 感覚に優れた永慈が戦闘を行き、次いで明依、最後尾に紫姫が付く。

 永慈は明依の手をしっかりと握った。彼女の手は震えていた。


 トンネルはどこまでも真っ直ぐ続いていた。地面も壁も剥き出しの土で、凹凸が激しい。身を隠す場所があるとも言えるが、このように暗くては活用のしようがない。

 心配された、マフィアと『灯台ライトハウス』の戦闘に遭遇することはなかった。剣戟の響き、鬨の声、走り回る音。いずれも、ない。不気味なほど静かで、自分が今どこをどう進んでいるのか不安になるほどであった。

 永慈は心臓の音が激しくなっていくのを感じた。身体が軋みを上げているだけではない。第六感として感じる空気が、歩みを進めれば進めるほど気管を圧搾あっさくするように重く強く迫ってくるのだ。


「あ……」

 明依が声を漏らした。

 漆黒の空間に、突如、青白い光が現れたのだ。

 トンネル内を深い深い異世界の湖だとすれば――水底から浮き上がってきた水泡である。いくつもの半透明の球体が浮遊を始める。

 それにより『水底』が照らされ周囲の状況が明らかになる。


 三人は同時に息を呑んだ。

 隆起した地面に寄りかかるようにして倒れていた二人の男性。

 重政利羌。

 そして、かつて慧とともにエリュシオンの奥に姿を消した男であった。

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