第53話 宝珠にあったもの

 重く深く凍り付いた明依を横目に、永慈は決意した。

「紫姫さん。お願いがあるんだ」

 そう言って永慈はポケットからペンダントを取り出した。浦達から渡されたものだ。

「この宝珠化を解除して欲しい」

「永慈君……!」

 娘に「大丈夫」と永慈は応えた。そして、いつものように白い歯を見せて笑う。

「俺たちは何も喪っちゃいないさ」


 紫姫がペンダントを受け取った。目線で「良いのですか?」と聞いてくる。永慈はうなずいた。

 愛用の折りたたみ杖を掲げ、紫姫は魔術を施す。

 杖からペンダントトップに集束していく光を、固唾を呑んで見守る明依。

 それに対し、永慈は不思議なほど落ち着いていた。

 ああ、これが『信じる』ということなのだなと――腹の底から理解する。


 果たして、光の中から現れたものは――。

「ガラスの……板?」

 ほうける明依が漏らした通り、ペンダントトップは長方形のガラス板に変化していた。長辺が十五センチほど、厚さは一センチ程度。紫姫から手渡されたそれは、驚くほど軽かった。


「明依」

 永慈は娘を呼んだ。

「こっちに来てごらん」

 優しく、落ち着いた声に促され、明依がおずおずと永慈の隣に座る。二人でガラス板を覗き込んだ。

「あ……」

 ガラス板の表面に変化が起こる。

 透明だったそこに、ゆっくりと像が浮かび上がってきたのだ。まるで今にも動き出しそうな、生き生きとした存在感を放つ三人の男女。

「これ……私たち?」


 中心は、まだ高校生化する前の永慈。がっしりとした巨体に人好きする笑みを乗せている。

 両脇には、永慈に肩を抱かれた子どもたち二人。

 右側の明依は父親似の、にかっとした笑顔でピースサインをしている。

 左側の慧は迷惑そうに身をよじりながら腕組みをしている。わずかにのぞく彼の指先が、ピースサインをしようかどうしようか迷っていた。

 まだ慧が頻繁に家出をする前の家族の光景。

 ガラス板の表面が違う像を結ぶ。次々と、笑顔や照れ顔や怒り顔や、ちょっとねている顔や盛大な泣き笑い顔を見せてくれる。それらはすべて三阪家の――四人全員が揃っていたときの顔だった。


「アルバム、ですね」

 紫姫が言った。彼女は目尻に涙を浮かべていた。それは、目の前の敬愛する男や、これまでずっと永慈の娘として生きてきた少女が滂沱ぼうだの涙を流していたからだった。

「あの、バカ弟……! あいつ、何でこんなもの持ってるのよ……。ずるいじゃない。ずるいわよ。こんなの大事に宝珠化するくらいなら、ちゃんと言葉にしろよバカ……!」

「ま、あいつらしいな」

 永慈は涙を拭った。鼻をひとつすする。

「やっぱり、根っこは変わっていない。あいつは優しい子だ」

 永慈はガラス板を紫姫に渡し、再度宝珠化するよう依頼した。そして自らの両頬を張る。

「だからこそ、自分の全部懸ける決意で今を生きている。俺たちはあいつの想いを受け止めないといけない。家族として」


「永さん、終わりました」

 紫姫が宝珠化したペンダントを差し出す。永慈はそれを明依に渡した。

「お前が持っていてくれ。明依に持っていて欲しいんだ」

 じっとペンダントを見つめる明依。彼女は目をゴシゴシとこする。

「わかった」

 しっかりとうなずいた。真正面から永慈を見つめる。

「私も、ちゃんと向き合う。今のぜんぶに」



 ――それから十分が経過した。

 トレーラー内の空気が張り詰める。すでに突入に備え、永慈、紫姫、そして明依は装備を調えていた。


 冬樹音が外部通信を受ける。

「作戦開始地点に到着。エリュシオン周辺は両陣営の魔術師によって巨大で不安定な結界が張られています。中では激しい銃撃戦が行われている模様」

「まさに嵐の前の静けさね」

 山隠神社周辺の住宅地は、いつもどおりの閑静さを保っている。戦場の阿鼻叫喚は結界によって遮られているのだ。それが対立する両者の合作によって成り立っているのは皮肉だった。


「ルートを受電。目標地点まで二百八十秒と設定」

『ここ、この短期間でなんて、たた大したもんでさ』

 興奮冷めやらぬ結太の声をスピーカーが拾う。紫姫が応じた。

「あなたの腕に期待します。小曳さん」

『了解。しっかりつつ掴まってて』

「永慈さん。明依さん。直前のブリーフィング通りに。最優先は命です」

 明依がごくりと唾を飲み込んだ。


「作戦開始」

 冬樹音の怜悧れいりな宣言と同時に、車輌の爆発的な加速が反動となってトレーラー内を襲った。明依が短く悲鳴を上げて永慈にしがみつく。

 娘をしっかりと抱きしめながら、外の状況に集中する。


 真実を知って永慈は改めて理解した。エリュシオンや腐界、マテリアルに対する鋭敏な感覚は自分の出生に関係があるのだと。マテリアルから生まれた存在であるが故の特殊な能力。それを忌避することも重荷に感じることもなかった。

 この力があるからこそ、身体がボロボロでも戦える、守れるのだから。


 首筋にぞわりと悪寒が走る。同時に、トレーラーの外壁が何か固い物を弾く音が断続的に響き始める。メインモニターが時折明滅する。残り時間を告げる冬樹音の声に緊迫感がプラスされる。


「あと三十秒!」


 震動が激しい。急ごしらえで凹凸の激しい道を驀進ばくしんしているようだ。


「あと二十秒!」


 永慈と紫姫で、明依を挟む。三人はトレーラーの出入口に待機する。

 この扉が開かれた瞬間から、全力疾走だ。


「あと十秒! 九、八――」


 急ブレーキ。人の気配。トレーラーへの反響音――おそらく銃声――は数を減らしている。


「――三、二、一、ゼロ! がんばれ!」


 最後に冬樹音から小学生らしいエールを受け、永慈たちはトレーラーから飛び出した。

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