第56話 強く意志する

 トトリたちと別れ、永慈、明依、紫姫はさらにエリュシオン内を進んだ。

 空中を漂う青白い光はどんどん数を増やしていき、ついには目を開けているのも辛いほど眩い光に覆われる。

 光の中を突き進むこと、しばらく。

 足裏が、

 周囲の輝きが和らぐ。辺りを見回せるようになる。


 そして――あり得ない光景に彼らは再び立ちすくんだ。


 トンネルの先、深く、深く、奥底までたどり着いたところで、永慈たちは宇宙を見たのだ。

 土塊の天井は、濃紺の宇宙空間に変わっていた。莫大な数の星々が遠近感と身体感覚を狂わせる。永慈たちが立っているのは巨大な隕石の上。もしかしたら、エリュシオン入口で見た、あの砕け散った月なのかもしれない――そう思ってしまうほど、現実離れした『世界』が広がっていた。


 正面。

 地形の一部だと思っていた丘が、動いた。

 暗緑色の表面にひびが入り、次の瞬間、勢いよく弾け飛んだ。美しい、どこまでも美しい銀色の鱗が視界に飛び込んでくる。

 威厳。威風。威圧。ちっぽけな人間を圧倒する空気を放つ高貴な巨大蛇が身をもたげた。

「ネメルムオス」

 紫姫が畏怖を込めてつぶやく。

 永慈と明依は、ネメルムオスの頭部に立つ人物に気付いて同時に声を上げた。

「慧!」

「穂乃羽!」

 長身の美丈夫びじょうふ――慧は、穂乃羽を肩に抱いている。明依の親友である少女は気を失っているのか、慧に寄りかかったままぐったりと動かなかった。


「慧!」

 明依が意を決して前に出る。手にしたマテリアル製のアルバムを掲げる。

「これを見て! あんたと、私と、お父さん、皆で映ってる。私たちは家族なんだ。あんたもそう思ったから、自分だけじゃこれを捨てられなかったんでしょ!? だから、もう一人で馬鹿なことは止めて、戻ってきなさい!」

「姉貴……」

 慧はつぶやいた。この空間特異の力なのか、それとも父譲りの声質ゆえか、彼のたった一言の小さなつぶやきは、その込められたニュアンスを含めて、永慈たちの耳にしっかりと染み込んだ。

 こんな異常状態にも関わらず――慧の声は久しぶりに聞くような穏やかさに満ちていた。


 明依は顔を強ばらせて。

 永慈は目尻を下げて。

 巨大で神々しいモンスターと行動を共にする少年を見つめた。

 引き下がるつもりはないのだと、彼らは理解した。


「なあ、あんた。姉貴もさ。この世界、どう思う?」

 ふいに慧が語りかける。

「壊れかけだよ。俺がネメルムオスと一緒になったから、世界のバランスが崩れちまった。どうやら俺には、エリュシオンそのものに干渉する力があるみたいでさ。さすが、あんたの血を引いただけはあると思ったよ。そこは認める」

 皮肉だよなと慧は言った。

「あんたを否定するための最大の方法が、あんたの血を引いたからこそ得られたものなんてさ。俺は、この世界で生まれ変わる。この世界を生まれ変わらせる。その決意を、たった今、コイツが認めてくれたところさ」

 ネメルムオスの立派な角を撫でる。永慈は、利羌とともに息絶えたあの男の言葉を思い出した。


 命を懸けた独立戦争――。


 巨大な希少種の身体がさらに大きさを増す。

「俺はこの世界で生きる。止めたいなら――俺を越える覚悟を見せてみろ」

「慧!」

 明依が叫ぶ。

 だがもう応えは返ってこなかった。


 ネメルムオスの巨体が力を溜める。紫姫が青ざめた。

「突進してくる気……!? まずいわ、アンノウンとはワケが違う。永さん!」

 ネメルムオスが頭を下げ、その角を永慈たちに向ける。壮絶とも言えるプレッシャーに押され、紫姫と明依はその場に釘付けになった。

 そんな二人の肩を、永慈は思いっきり左右に押した。ネメルムオスのから退避させる。


 ゆっくりと背中に手をやる。背負っていたマテリアル製の銃を構えた。淀みのない美しい所作。まるで的と銃口とが強固な糸で繋がっているような、確信。


 ガンサイト照準越しに見る慧の表情。彼は、笑っていた。

 そして迎え撃つ永慈も、笑っていた。同時に目尻から一筋の涙が落ちた。


 偉容が、殺気に変わる。

 押し寄せる空気に、殺傷能力が加わる。

 『一瞬』という表現でもぬるい。

 敵を肉塊に、魂なき亡骸に変えるための一撃を放とうと。

 だというのに、二人は泣き笑いを崩さなかった。


 永遠と思える刹那。

 明依と紫姫は、と感じていた。


 突進したネメルムオスは、永慈をき殺す寸前で停止していた。


 銃口はネメルムオスの眉間に向けられたまま。トリガーには指がかかったまま。

「まったく」

 慧は、永慈を見据えた。

「あんたは、この期に及んでも俺の好きにさせる気かよ」

「息子に力で負けるより、覚悟で負ける方が格好悪いだろ?」

「あんたやっぱバカだ。そういうところが嫌いだよ」

 慧は、ずっと大事に守っていた穂乃羽を抱き上げた。今だ気絶したままの彼女を永慈に託す。

「あと、頼むわ。……それから」

 腰に下げた袋から、一冊の日記を取り出す。それは永慈がずっと付けていた三年日記であった。

「これ、返す。悪かったな、勝手に持ち出して。おかげで、あんたのことは色々知れたよ」

「慧……」

 日記を受け取る。そのとき永慈は、何かがそっと離れていくような妙な寂しさを覚えた。


 晴れやかな表情で慧が一歩下がる。

「さて。一から世界の作り直しか。よろしく頼むぜネメルムオス」

 角を叩く。

 希少種は動かない。

「ネメルムオス?」

 慧が、モンスターを覗き込む。


 その直後――ネメルムオスの瞳にが宿った。

 美しい鱗に葉脈のように赤い線が走る。

 我を失ったモンスターが動き出す。

 口蓋が覗く。

 食おうとする。


「慧!」

 永慈は穂乃羽を遠ざけ、慧を突き飛ばした。


「――ッ!」

 慧の叫びも聞き取れぬまま、永慈の視界は暗転した。一瞬で身体の感覚がなくなる。

 永慈は願った。届け、と強く意志した。


 お前は、お前たちは、お前たちの好きなように生きろ。

 邪魔は俺がさせない。

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