第33話 引っ込み思案なオペレーター

「なぜ? なぜって……」

 永慈は首を傾げた。

「希少種として有名なモンスターだろう。まさか深津浜エリュシオンに、しかもあんな集落近くの場所に現れるとは思ってなかったけれど」

「永さん、大事な確認なのでよく聞いてください」

 紫姫が身を乗り出す。二人の間のスペースに顔を穿うがつ。


「もしかして永さんは、?」

「まさか。どうしてそう思う?」

「確かにネメルムオスは有名です。ただし、それはエリュシオンに深く潜るのを生業なりわいとする者たちの間では、です。失礼ですが、普通の社会人だったあなたが名前を知っていること自体が驚きなのに、遭遇してすぐにかのモンスターだと判断できるのは尋常ではありません」

「そう言われてもなあ」

 天を仰ぎ、頬をかく。


 あのときは頭の中にパッと名前が出てきた感じなのだ。いつどこで、どのように知識を得たかまでは思い出せない。


 これは重要なことです、と紫姫は繰り返した。

「もしあなたに実戦経験があれば、今後の活動がやりやすくなる。計画が立てやすくなる。なにより、

「あー」

 理解した。

「つまり、裏業界では素人同然の俺がいきなり仕事ができるのかと心配されているわけだ。そりゃそうだよなあ」

「私たちは慈善事業家ではない。でも、仕事には誇りを持っている。皆、私からの推薦ということで表向きは理解してくれているけれど、それでも昼間のサポートだけに特化すべきだという意見もあります。けれどそれでは、あなたの目的は果たせない。折悪しく、借金もこさえてしまったことですし」

「俺にモンスターとの交戦経験はない。ネメルムオスについては、仕事柄、資料かなにかで知ったのだと思う。いつ、どこでというのも思い出せん」

「そうですか……。わかりました」

 ソファ席に座る、と言うより尻を落とす紫姫。「まあ、百パーセントあり得ない話ではないですね」と、ぼやきに小さなため息まで添えていた。何か過度な期待を持たれていると感じ、永慈は渋面を浮かべる。

「歴戦の強者とか、正義のヒーローとか柄じゃないよ俺は。中身は爺さん化したおっさんだし」

「そんなことないですよ」

 紫姫は時計を見た。


「そろそろね。永さん、場所を変えましょう。ここからは夜の世界。私たちの時間です。働いていただきますよ」

「仕事だね。了解。望むところだ――っと、言葉遣いは改めた方がいいか」

「私が現場リーダーです。念のため言っておきますが、ぶっ倒れないように」

「皆の迷惑になるようなことはしない。いや、しませんよ。自分の身体の状態はわかっているつもりです」


 二人して席を立つ。すでにレジ前には老マスターが待機していた。

 紫姫がカードで支払いを済ませる。「情報を残すのは信頼の証」と彼女は言った。永慈が財布を取り出すと、やんわりと拒否される。

 二人は地下駐車場への扉ではなく、店の正面出入口から出た。


 路肩に見覚えのあるキャンピングトレーラーが停まっている。助手席扉の前に立っていた結太が、永慈を見て手を振ってくる。

「彼の車で行くのですか」

「ええ。仕事に必要なモノを積み込むのに便利ですから。あれ一台なら魔術でカモフラージュすることもできますし」

「なるほど」

「あと私用車の駐車場をいちいち探すのは面倒なので。こう見えて私、ゴールド免許から外れたことがないのですよ? 路駐で減点なんてイヤです」

「そこ気にするんだ」

 至極現実的で俗っぽい理由を聞いて、妙に安心する。


 永慈たちは助手席ではなくトレーラーに乗り込んだ。中に入って永慈は目をみはる。内装が以前見たときと大きく変わっていたのだ。そういえば、登校初日に結太から「仕事内容によってはトレーラーごと換装かんそうする」と教えられていたことを思い出した。

 車内はモニター類や計器が目立つ。室内の端には扉の付いた小さな部屋が設えられている。一言で表現すれば『テレビ中継車』だろうか。


「ん?」

 人の気配を感じ、永慈はかたわららを見た。

 座席の下に、ひとりの女性が膝を抱えてうずくまっている。「あの」と声をかけると、彼女はひどく驚いて椅子に頭をぶつけた。

 紫姫が苦微笑する。


「ただいま冬樹音ときね。ほら、ちゃんと挨拶なさいな」

「紫姫ちゃん……お、おかえりなさい」

 恐る恐るといった様子で女性――冬樹音が振り返る。表情がわからないのは光量を抑えた照明のせいかと思っていたが、よく見れば、彼女は目元がすっぽり隠れるまで前髪を伸ばしていた。体育座りをしているためか、若干幼く見える。もしかしたら高校生くらいだろうか、と永慈は思った。

「こんにちは。三阪永慈です」

 挨拶するも、顔を逸らされてしまう。

(難しい年頃だよな。無理もないか。そっとしておいてあげよう)


 紫姫に促され、計器脇の長椅子に腰掛ける。エンジン音がして、わずかな震動が尻から伝わってきた。

 魔術師はいまだ座り込んでいる冬樹音の側に行った。

「ほら。いつまでそうしてるの。大丈夫よ、前に話したでしょう? 永さんは見た目は怖くても、とっても優しい熊さんだって。怒ったり、怖がらせたりしないわ。外の人ともちゃんとご挨拶する良い機会だと思いなさい。さ、初めて会ったときはまず何をすればいい?」

 曲がりなりにも教職に就いている者らしい、ゆっくり諭す口調だった。


 しばらくして、冬樹音が意を決したように立ち上がる。紫姫ほどではないが、意外と背が高い。手足が細く、枯れ木のような体型だった。

「な、七森ななもり冬樹音……です。オペレーター、です。……です」

「はい、よろしくお願い……え?」

「よっ、よろしくお願い、しま……」

 尻すぼみになった自分を恥じるように、冬樹音は勢いよく座席に座って明後日の方を向いた。「よくできました」と紫姫が彼女の頭を撫でる。


 永慈は眉間に手を当て、今し方耳に届いた驚愕の情報を頭の中で反芻はんすうした。

(オペレーター。十歳。小学校四年生……だと!?)

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