第38話 その感覚の先

 報告を受け、紫姫は無言でうなずいた。思案に沈み瞼を下げていた彼女は、ふと、永慈の方を見た。気遣いの色が瞳にあった。

「やはりあれは慧クン――息子さんで間違いなかったのですね。永さん」

 問いに、うなずきを返す。

 淀む闇に重苦しさが加わり、場を包む。新参者である永慈にきつく当たっていたトトリとシタハルだが、ここで永慈に詰め寄ることはしなかった。永慈の意思とは無関係の事態であることを悟ったのだろう。


「どうしますか紫姫様。相手はおそらく、ここ数年で入ってきた新興の大陸系マフィアです」

「俺もそう思う。ナイフの紋様を冬樹音のデータベースで見た記憶がある。人質を取るところが奴ららしい。日本の言葉をマスターしているところもな」

 シタハルが変わらぬ口調で続ける。

「放置すれば男は殺されるぞ」

 紫姫がわずかに非難の溝を眉間に作る。亜人の戦士は「隠したところで益はない」と応じ、永慈に向かってはっきりと告げる。

「俺たちが住む世界は、これが現実だ」


 だが、永慈は返事をしなかった。目をつむったままうつむいている。

 彼の様子を端から見れば、我が子がこのような場にいたことに衝撃を受けて深く傷付いているようであった。


 現場リーダーである紫姫は決断した。

ゴノエトトリノノウシタハル。突撃の準備を。私があの結界を破る。一般市民が巻き込まれているのを放置はできない」

「紫姫さ――いえ、ハノイ。それは」

「最優先目標は人質男性の救出。できるだけ戦闘は避け、奴らを攪乱かくらんします。エリュシオンに入る前にケリを付けるわ」

「……。わかりました。貴女がそうお望みならば」

 トトリがうなずく。三人は窪地に降りるため移動を始める。永慈はその場に残された。


 その直後だった。彼らは新たな人影を目撃した。

 紫姫が突入を中止させる。

 その人物は慧と同じく麓の方向から歩いてきた。身体の一部が薄ぼんやりと光っている。光の肌ライトスキン。亜人の特徴だ。背格好から少年のように思われた。

「捕まえるか」

「待って」

 シタハルと紫姫が短くやり取りする。


 闖入者の少年は永慈たちに気付いた様子はなく、まっすぐ結界に――エリュシオンの入口の方に歩いて行く。


 永慈のつぶやきは口の中で転がり、仲間たちには届かなかった。


 少年の足が止まる。そこから機械のように顔と首だけを動かして永慈を見上げる。水晶の美しい瞳が永慈を貫いた。その瞳から感情がうまく読み取れない。怪しんでいるのか、怒っているのか、それとも――喜んでいるのか。

 少年は永慈から視線を外すと、再び歩き出した。結界などお構いなしに進んで行く。結界は少年の進行を妨げることができなかった。

 まるで暖簾のれんをくぐるように何の抵抗もなく、結界内に入り込む少年。


 すぐに狼狽えた男の声がした。次いで怒声。落雷か、あるいは乗用車が正面衝突したような炸裂音が鳴り、間を置かず男の悲鳴がした。折り重なって銃声。さらにタイヤから空気が鋭く漏れたような音と、石の上に棒きれが落ちて転がるような音――。

 荒れ狂う波のように激しく急激に状況が変化した。


「何が起こってるの」

「紫姫さん! 皆! 下がれ!」

 永慈が大声を張り上げる。荒事の空気に慣れた彼女らは、反射的にその声に従った。


 崩落が始まった。

 洞窟の入口付近は、数秒間、ビルの解体現場のごとくであった。

 地盤の支えを失った樹々が軋みを上げて傾く。麓に向けて大きな石がいくつか転がり落ち、数本の樹をなぎ倒して止まった。辺りは地下から噴き上がった湿った空気に満たされ、苦しいほどだった。


 難を逃れた永慈たち四人は、しばらく呆然と立ち尽くした。

「入口が……完全に埋まっている」

 紫姫のつぶやきの通り、マフィア連中や慧が入っていった洞窟は、うずたかく積もった崩土で見えなくなってしまっていた。わずかな隙間すらうかがえない。

 シタハルが崩落した土砂に登り様子を確かめる。彼は言葉なく、首を横に振った。亜人の戦士の見立てに紫姫は深く眉間に皺を寄せた。

「……一度戻って、態勢を立て直しましょう。土砂を移動させるマテリアルのストックが確かあったはず」

 それに、すでにエリュシオンに入って難を逃れているかもしれない――そう付け足し、現場リーダーは悲痛を滲ませた表情でゆっくりと永慈を見た。トトリも声をかけた。

「気に病むな、とは言いません。ですが、少なくとも今回の件は貴方の責任ではないでしょう。今はできることをするのです」

「声をかけてくれて助かった」

 そう言ってシタハルが背中を叩く。


 永慈は顔を上げた。彼は無残な崩落現場から視線を外し、山の頂上の方を見た。トトリとシタハルは眉根を寄せた。永慈の目に、涙の代わりに強い意志を見たからだ。

 彼はよく通る声で言った。

「紫姫さん、急ぎましょう」

「え、ええ。急げばもしかしたら明日中には中の様子がわかるかも――」

「上です。たぶん、

 言うなり、永慈は駆け出した。残された三人は顔を見合わせた。体力的に劣っている永慈を放っておくことはできず、後を追う。


 十分ほど経過した。

 足場の悪さに時折ふらつきながらも、足取り自体には迷いのなかった永慈がたどり着いたのは、崩落現場から水平距離で五十メートルほど離れた地点だった。

 小さな沢がある。ごくごくささやかな水量の水が小石と枯葉の間を縫っていた。

 荒い息にも構わず、永慈は直感に従い沢を登る。数歩と行かないうちに、斜面にぽっかりと開いた洞窟を発見した。大人ひとりが何とか通れる大きさであった。


 ためらいなく中に入っていこうとする永慈を、紫姫が引き留めた。

「ちょっと待って永さん。どういうことなのか説明して」

 答えようとして永慈は派手に咳き込んだ。呼吸が上手くいかない。意識しないうちに無茶をしていたと、ようやく彼は自覚した。無理矢理言葉をひねり出す。

「ここに、あるんだ。もうひとつの入口が」

「何ですって」

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