第11話 親しい人たちの関係
昴成から「今日は仕事を休め」と連絡があり、この日は一日、自宅で過ごした。
おそらく生涯で一番、時計と向き合った日であった。
今、自分はどういう状況か。
どんなことができるか。
これからどうするべきか。
畳敷きの部屋にあぐらをかき、灯りも点けず、考えに考え抜いた。結局、妙案は浮かばなかったが収穫もあった。秒針がひとつ進むだけでも焦りを覚えていた心が、次第に現実を受け入れ、将来に向き合うエネルギーを生産し始めてくれたことだ。
もう過去は振り返らない。未来だけを見据えよう。
それから永慈は職場の終業時間を見計らい、昴成に会いに行った。公私ともに迷惑を掛けた詫びと、明依が世話になっている礼をするためだ。
「穂乃羽から連絡があった。明依ちゃんはさっき家を出たようだ。だいぶ落ち着いたそうだよ」
スマートフォンのアプリを閉じ、昴成が報告する。
シックな雰囲気のバーである。永慈と昴成がときどき飲みに訪れる店だ。職場の人間と永慈とが互いに気を遣わないよう、わざわざ昴成がバーの席を確保してくれたのだ。マスターとは懇意にしているので、見た目高校生の永慈がいても黙って給仕してくれる。
昴成はお気に入りのカクテルを飲み干し、永慈の顔をじっと見た。
「それで永慈、君はこれからどうするつもりだい」
「具体は決めてない。けど、明依や慧のために全部費やす覚悟は決めた。場合によっては今の仕事も辞めるかもしれん」
「そうか」
昴成はグラスの氷を傾けた。
「君自身も気持ちの整理がついたようだね。さすが親子といったところか」
「すまんな。お前には何から何まで世話になっている。穂乃羽ちゃんにも。今日は一緒に学校を休んでくれたんだろう? ありがとうと伝えておいてくれ」
「いいさ。私も穂乃羽も、君たち親子の個人的なファンなんだ。他人の目を気にせず信念に則って行動する。なかなかできることじゃない。君たちはそのままでいて欲しい」
昴成は微笑んだ。永慈は改めて頭を下げた。
娘同士が親友であることも救いだが、昴成が自分の娘と気軽に連絡が取り合えるほど良好な関係であることも、永慈にとっては幸運であった。おかげで親子ともども助かっている。
いつまでも塞ぎ込んでいてはいられない。立ち止まったままなのは『人の縁』に対する冒涜だと永慈は思った。
その後、仕事上の連絡事項をいくつか交わし、永慈は帰路に
雑草の生えた駐車場に停め、アパートの階段を上る。灯りは付いていたので、もう明依は戻っているのだろうと思われた。
「ただいま」
玄関を開ける。
そして目を
見慣れない靴が一足、揃えてある。高価そうな女物だ。もしかして穂乃羽が付き添ってくれたのかと思った。
「あ、おかえりなさい。
居間から顔をのぞかせた女性に、永慈は目を丸くした。
百七十センチはある長身、黒のスーツに包まれたスレンダーなスタイル、腰まであるロングストレートの髪。日本人離れのキリッとした目鼻立ちの美人である。
親しげに微笑みかけてくる彼女と永慈は、面識があった。
「君は、
「あら。名字でさん付けなんて他人行儀な。
「ちょっと待った!」
玄関脇のトイレから明依が慌てた様子で飛び出してきた。
「うちの父に、いきなり馴れ馴れしくしないで下さい! 弓井先生!」
「トイレから出てきて騒ぎ立てるのは
険悪な空気を振りまきながら睨み合う二人。
永慈は指先でこめかみを掻いた。
弓井紫姫――以前、
受け持つ講義は『魔術一般』――彼女は一流の魔術師なのだ。
穂乃羽から評判を聞く限り、人間としても講師としても優秀な格好良い大人の女性ということで、それは明依の理想像にも近いはずなのだが、どうも互いに馬が合っていない。自宅で顔を合わせればだいたいこんな感じになる。
だが今日ばかりは、彼女らのいがみ合いを見てほっとした。いつも通りのやり取りができるほど明依が持ち直した証だと思えたからだ。
ふと、ある事実に気付く。
「紫姫さん」
「もう、またさん付けで呼ぶ。何ですか永さん」
「なぜ君は知ってる? 俺がこういう身体になったこと。一目で俺だってわかってたよな」
一瞬、紫姫の表情が凍った。すぐに愛想笑いを浮かべる。
「そりゃあもちろん、相変わらず良い男なんですもの。身体異常を起こして縮んじゃっても、すぐにわかりましたわ」
「……その様子だと、だいたい知ってるってことか。俺の寿命のことも」
紫姫が笑みを引っ込めた。代わりに切なそうに瞳を潤ませる。彼女は、細い指で目尻を拭い、何度か、天井を向いて
「ごめんなさい。普段通りになるよう頑張ってみたけど、実はちょっと我慢してて。私も凄くショックだったんですよ、こう見えて。ふふ、やっぱり私、肝心なところでメンタル弱いわね。あーあ、情けない」
深呼吸をひとつ。
「あなたとお医者様の会話を魔術で聞きました。永さんの寿命のことも知ってます。今日は、その件で大事な話があって来ました」
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