第40話 戦う意志がもたらすイメージ

 新たなエリュシオンは元の世界の時間と連動していた。夜の深いとばりに包まれている。月の輝きが非常に強い。視界が確保されていると考えれば精神的に楽だが、反面、樹や岩に月光が遮られた部分は、とてつもなく深い闇を抱えていた。そこから無限にモンスターが出てきそうな、そんな気配がする。


 日中の深津浜エリュシオンとは比べものにならない、不穏な空気。世界の息づかいが剥き出しになっている。

 これが生まれたばかりの異世界なのかと永慈は思った。


 トトリが警戒すべきと言った出入口周辺だが、その評価は皆を――もしかしたら永慈だけを――安心させるために相当抑えた表現だったのだろう。

 不穏な気配はすでに音となって現れていた。

 周辺の景色。樹々もまばらな丘の中腹である。数メートル離れたところに丈の高い雑草が群生している。闇色の土と闇色に浸食された草葉。そこから、何者かが蠢いて葉を揺らす音がはっきりと聞こえてきたのだ。


「すでに囲まれています。集まりが速い」

 トトリが警告した直後である。

 音の主が現れた。


 草葉の陰から進み出る二足歩行のトカゲ。大人の腰ほどの大きさのモンスターが五体、永慈たちを半円に囲むようにしてにじり寄る。さらに彼らの後方から、同じ色合いの、しかし体高は倍以上ある大型トカゲモンスターも姿を現す。

 さしずめ子分を従えた親分。いや――自らの兵隊を引き連れた将校と言った方が、この威圧感にしっくりと馴染む。

 大トカゲが威嚇の声を出した。まるで乾いた丸太を棒で重機で踏み潰すような、耳に残る、嫌な気分になる声だ。

「『ブラーガ』か」とシタハルがつぶやいた。


 唐突に紫姫が、この場に不釣り合いなほど軽やかに笑った。

「新しいエリュシオンでも、生態は似たようなものなのね。それとも誰かのペットかしら」

 永慈は女魔術師を見る。軽口の内容に相応しく、口元には微笑みを浮かべていた。

 だが、目は本気である。

 これから命のやり取りをしようとする者の目だった。


 トトリとシタハルが各々の武器を構え、紫姫を守るように立つ。

 ブラーガの親玉が一際鋭く、長く鳴く。それが戦闘開始の銅鑼どらとなった。

 五体のブラーガが同時に襲いかかってくる。

 亜人の戦士たちは臆さない。相手の動きを見切り、最低限の動作で効果的な打撃を与えていく。

 靴底が土を抉る音。

 人の呼気。

 短剣から弾けた血が草の上に降りかかる音さえ。

 やたらにはっきりと、大きく、永慈の耳に届く。極度の緊張感が、永慈の中の何かを


「そっちに行きましたよ、永慈!」

 不意にトトリが喚起する。

 横合いからブラーガの一匹が飛びかかってきた。目線の高さに、鋭角の牙がびっしりと並ぶ口が迫る。

 篭手の強度を信じて防御する――。あるいは――思い切り横に飛んで避ける――。

 そんな言葉を伴った思考は首の辺りでシャットアウトされた。雑音が脳内から消えた永慈はただ身体が動くままに、動く。

 ブラーガの口蓋に向けて短剣を真っ直ぐに突き出す。

 粘膜に刺さろうかというところで口が閉じられる。短剣の刃がモンスターの歯に捕まり、手首に強い衝撃が伝わる。

 そのまま相手の強靱な首の力で右へ左へ振り回され、永慈は情けなく尻を突いた。


 諦めず第二撃を試みる。

 それでも有効なダメージを与えられない。


 短剣の使い方が下手すぎるのか。

 元々の筋力が不足しているのか。

 ブラーガの鱗状の皮膚をこそげることさえできない。

 悪い連鎖。鬱陶うっとうしいとうつうに怒りを募らせたブラーガは、永慈がさばききれないほど激しく強引に噛みつきかかってくる。相手の歯や爪が篭手や兜をこする。

 幸い、装備はそれらの攻撃をすべて弾いてくれていた。幸い。今のところ。

 いつまで保つかわからない。


 永慈は不思議と焦っていなかった。混乱するよりも先に身体が動いていた。同時にしっかりと相手を観察していた。

 しかし致命的なまでに、永慈はひ弱であった。鈍重であった。戦う意志が与えてくれるイメージに、老化した身体がまったくついて行けていなかったのだ。


 内心に反して不格好な姿を晒していた永慈の戦闘は、まったく唐突に終了した。

 シタハルがブラーガの首を横から貫いたのだ。必殺の一撃であった。

 ブラーガは反抗の意を全身で表しながら――つまりはのたうちながら、次第に動かなくなった。


 目の前の脅威が去ったと脳が理解し、ようやく永慈は自分の意思で大きく息をついた。途端に咳き込む。兜の中が汗だくになっていることに気付いた。

(何十分、戦っていたんだ)

 極度の緊張からの急激な解放で頭痛がする中、永慈は交戦状況を思い返した。そしてどう鯖を読んでも五分と経っていないと気付いて、静かな驚愕に打ちのめされた。


 尻餅をついたまま辺りを見渡す。まずシタハルの姿、そしてトトリと紫姫の立ち姿が目に入る。月の強光で、彼らが汗一つかいていないことがわかった。

 ブラーガの死骸が転がっている。四体分。親玉は姿を消していた。

 モンスターの瞳は、命の意思を失っていた。だがいまだ、月の光をギラギラと反射するだけの艶を保っていた。今にも起き上がってくるか、それとも自分が瞳の中に引き込まれてしまうかという不吉な予感が脳裏をよぎった。


「永さん。大丈――」

 紫姫がひざまずこうとするのを遮り、トトリが永慈の前に進み出た。小さな小さなため息とともに、彼女は手を差し出した。

「戦闘はまるで駄目ですね」

 そんな声を浴びながら、永慈はトトリの手を取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る