第42話 アンノウン
ぎこちない水音が響く。永慈が足を前に出すたび、飛沫をともなった波紋と音が広がる。足場が悪く、転倒しないように進むので精一杯であった。
亜人戦士の二人は違った。彼らが進むことで生まれた波紋は滑らかで綺麗だった。ただ『歩く』ことだけでも技量の違いが表れるのだと永慈は知った。
気配は強くなっていく。静かな水の流れを無理矢理撹拌したようなイメージ、違和感だ。それは永慈の不慣れで無様な行軍の有様とぴったり一致していた。
複数の気配が派手に暴れている――そこまでは理解できた。
永慈は新たな発見をした。目標に近づけば近づくほど、逆に大気を読み取るのが難しくなってきたのだ。撹拌されて、細かな数や動きの把握ができなくなってきた。
永慈は大きく一度、息を吐いた。興奮と不安を足下の沼に捨てる。
トトリ、シタハルが無言で武器を構え、さらに身を低くした。永慈も
沼が大きく右に折れていた。その先は木の枝と蔦が複雑に絡まり合って、行く手を阻むカーテンとなっていた。いったん停止するようトトリが身振りで示し、蔦のカーテンに取り付く。
そのとき、図らずもその場にいた全員が釣り糸で引っ張られるように上を向いた。
一瞬、月の光が陰ったのだ。
直後、数メートル後ろで派手な水柱が上がった。一度だけでなく、二度、三度。
正体は、大人の一抱えほどはある巨大な鱗の欠片。頭上を飛来したそれが着水して激しくバウンドしたのだった。
「
シタハルと永慈の声が重なった。
仲間の警告に素早く反応した彼女の頭上で、蔦のカーテンが引き千切られ吹き飛ぶ。ぼちゃぼちゃと四方に残骸が着水する音。
頭部をかばった永慈。視界の端に光るモノを見つけ、腕を下ろす。
すぐ側に落ちてきたモノを拾い上げた。
黄金色に輝くライフル銃――。
軍事知識は素人の永慈でも、これがマテリアル製であることはすぐにわかった。銃口が明らかに大きく、素材そのままを貼り付けたような過剰な装飾。そこから溢れ出る存在感。
永慈は自然な仕草で残弾を確認した。これもマテリアル製の大きな弾が三発、
沼地を見る。
蔦のカーテンを突き破ってきたのは、見慣れない男の肉体だった。手足が複雑骨折したまま沼面に頭部を沈める男に、永慈は眉をひそめ口を引き結んだ。
「
仲間の呼びかけに振り返る。
無残に千切れた蔦のカーテンの向こうから、何かが近づいてくる。永慈は沼の端まで下がった。側にはシタハルが身を低くしていた。
腹の底に響く、低くて、重くて、規則正しい音と振動。それが足音だと気付いた直後、周囲の木々ごと蔦のカーテンを破壊して、巨大なモンスターが突進してきた。
体高約四メートル。二足歩行のトカゲ姿はブラーガを連想させるが、迫力と装甲の厚さは次元が違った。胴体部分に盾のような巨大な鱗が何枚も張り付いているのだ。
胴体の一カ所だけ、鱗の一部が剥がれている。
飛来してきた欠片は、この巨大モンスターの身体を守っていたものだったのだ。
重装甲による鈍重さを補うように、巨大モンスターの両脚は凄まじい筋肉で膨れあがっていた。蹴り上げられただけで即死するのではないかという恐怖を植え付けてくる。近接武器で懐に飛び込むのは自殺行為に思えた。
攻撃が通りそうなのは頭部と尻尾――だが、いずれも位置が高く、狙いにくい。
「
シタハルがつぶやく。
「おそらくブラーガの亜種だろうが、まったく別のバケモノだ」
あのシタハルがわずかだが動揺している。
紫姫が身振りだけで指示を出した。うなずいたシタハルが永慈の二の腕を叩き、破壊されてぽっかりと穴が開いた蔦のカーテンの先を指差した。
この隙にここを離脱するのだ。優先すべきはあくまで人質の救出である。
永慈はうなずいて腰を上げた。その手にはしっかりと黄金のライフル銃を握りしめていた。シタハルは目線でそれを捨てるよう伝えてきたが、永慈は従わなかった。
ふっ、ふっ、ふっ――。
息づかいは荒く。動きはぎこちなく。
眼光は鋭く。力強く。
寿命という欠陥を抱えた自分の身体を受け入れてなお、この生死に関わるような状況に正対し、あわよくば立ち向かおうとさえしている永慈の姿に、亜人の戦士は一瞬、飲まれたように黙り込んだ。
動かない永慈たちに業を煮やしたのか、紫姫とトトリがこちらに駆け寄ってくる。
まだアンノウンはこちらに注意を向けていない。
ミツルギメンバーがようやく揃って移動を開始した――直後。
声がした。
「おおおおおおぉぉぉっ!」
雄叫びがした。
夜闇の底から月光のただ中に身を躍らせ、一人の男が一直線にアンノウンへと飛びかかる。装備の力を最大限引き出した、弾丸のごとき跳躍。
急速に迫ってくる声にアンノウンが反応した。水面から顔を上げ、振り返る。
その顔面に。
虹色の残光をともなって、ふた筋の斬撃が叩き込まれた。
鮮血が飛ぶ。襲撃者はアンノウンの横顔を蹴りつけて空中に身を
赤い飛沫と夜闇を背景に、柔らかく美しい姿が宙を舞う。
「慧!」
両の足でしっかりと着水した慧は、深津浜エリュシオンで見たときと同じ鎧姿で、同じ気迫と緊張感を
「昴成さんは無事だ!」
慧は叫んだ。
「さっさと行け!」
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