第6話 神の啓示

 昴成を見送った永慈は、引き続き遺留品がないか調べ始める。

 そのとき、人の気配を感じた。

 境内に外灯はひとつ。社の正面を照らしているだけで、後は暗闇である。月明かりは街全体の灯火に負けてしまっている。

 それでも、永慈の鋭敏な感覚は誤魔化せない。五メートルほど先の闇に沈んだ場所、雑木林の境に誰かいる。さすがに顔まではわからないが、ふらふらと覚束おぼつかない足取りで歩いている。

 酒酔いか。

 一言注意しておこうと永慈は立ち上がった。


 視界に、異物が映った。


 まるで黒い布に絵の具を滴り落としたかのように、夜の虚空から黄昏色の気体が溢れ出した。闇と同化することなく、はっきりと色合いが識別できる。

 前兆なし。無音。強烈な非現実感。

 二度目のカテゴリー2――。


「おいっ、そこのあんた!」

 永慈の声が聞こえていないのか、闖入者ちんにゅうしゃは足を止めない。それどころか自ら腐界に近づいている。

 永慈は駆け出した。五メートルの距離を全力で詰め、闖入者に飛びかかる。相手は小太りな男性だった。

 横目で、腐界の魔の手からギリギリで逃れたことを確認する。この世の自然現象と異なり、腐界の気体は風が吹いても流れることはない。一歩でも影響範囲の外に出れば大丈夫だ。


 安堵の息もそこそこに永慈は怒鳴った。

「なに考えてるんだ。あんたにも腐界は見えてただろう!」

「あ、ああ! みみ、見えている、とも!」

 舌をもつれさせながら、予想外に強い口調で返答してきた。手足をばたつかせて抵抗するが、体格と筋力で上回っている永慈の拘束からは逃れられない。男の目は、まっすぐ腐界に向けられていた。

「こ、これはオレにとって、けけ、啓示なんだ」

「啓示?」

「だだ、だってそうだろう! カカ、カテゴリー2なんて、全国で年に何回あるか、どうか。その場にに、二度も立ち会えるなんて。こんな……ここ、こんなオレに」

「あんた……もしかして、最初から死ぬつもりで」

「そうだ!」

 はっきりとした肯定。男は涙を流していた。

「どっ、どんなに技術を磨いても! どど、どんなに知識を得ても! オレの、オレの見た目と性格じゃあ、誰もまっとうに見てっ、見てくれねえ!」

 手を、腐界に伸ばす。

「だったら! あの黄昏色の先に、オレの望む世界があるって、信じたいじゃないか!」

 手は空をつかみ、地に落ちて、爪先が土を削る。

 男の目の前で、二度目の腐界はあっけなく姿を消した。


「わかった」

 永慈の言葉に男が視線を向ける。

 永慈は白い歯を見せて、力強く言った。

「だったら今度、俺にあんたのワザを見せてくれよ。俺があんたの、一番最初のファンになってやる」

「な……」

「死んでも構わないほど手前てめえの全部懸けてスキルを磨くなんて、そうそうできることじゃないよ。あんた、自信持っていいぜ」

「自信? オ、オレが……?」

「おうよ。ここで会ったのも何かの縁だ。俺の名前は永慈。三阪永慈。あんたは?」

「オレ、は……」

 上半身を起こしながら男が言い淀む。辛抱強く次の言葉を待つ永慈を、男はすがるような目で見ていた。暗闇の中ではお互いの表情はぼんやりとしかわからない。だが永慈の方は胸襟きょうきんを開き、男の方は心を解きほぐそうとしていることは、ちゃんと互いに伝わっていた。


 だからこそ。


「永慈さん! うう、後ろっ!」

 お互いが相手に集中していたからこそ、

 男の警告を受けて振り返った永慈の眼前に、黄昏色の気体が広がっていた。


 発生場所やタイミングが予測不能だとしても。

 それが神の啓示と言うにはあまりにも無慈悲な。

 三度目の、カテゴリー2。


 永慈は無意識に二つの行動を起こしていた。

 男を突き飛ばすこと。

 そして、我が子二人の名前をつぶやくこと。

 直後、彼は意識を失った。

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