第16話 受難と受難


 ――そして。

「よろしくお願いします」

 自己紹介という大事なを終えて席に着いた永慈は、天を仰いで息をついた。


 そうか……今の高校生はこのネタがわからんのか……。


 渾身のネタが空発――どころか、一気に場を凍らせてしまったことに少なからずショックを受ける。

「あと三、四年したら酒のつまみに教えてあげられるのになあ」

「そこ、三阪君。ぶつぶつ言わない」

「はい、すみません先生」

 背筋を伸ばし張りのある声で応えると、周りからクスクスと笑いが漏れた。

「三阪永慈君、うちのクラス委員長も君と同じ名字だ。色々と教えてもらいなさい」

「はい」

 窓際に座る明依をちらりと見る。愛娘は両手で顔を覆いうつむいていた。

 お父さんのバカッ!――明依の無言の罵声に心の中で土下座した――ほんとすまん。



 ホームルーム後の一限目、数学――。

「……なんだこの問題」

 どうやって解くのかさっぱりわからない。

 授業の体感スピードも早い上、そもそも席上に設置してある個人用タブレットの使い方がいまいちわからない。もちろん元社会人なので端末操作の経験はあるが、どうやらこの高校、最新式を導入しているらしい。役場の方が情報機器で遅れを取っていたと知り愕然がくぜんとする。


 冷や汗をかいている永慈を目聡めざとく教師が見つける。

「ではこの問題を三阪、解いてみて」

「すみません。わからないので教えて下さい。あと端末の操作方法もできれば」

「清々しいほどド直球に聞いてくるな、お前は」

 教室が笑い声で湧く。


 永慈は辺りを見回し、頭をいた。

 こりゃあマズいなあ……。

 別に笑い者になるのは構わない。実際にできない、知らないのだし、事実は事実として受け止め正直に申告するのは当然だ――と思う。が不十分だった自分自身が迂闊うかつなだけだ。

 とは言え、このままでは紫姫のフォローどころか、まともに高校生活を送れるかどうかも怪しい。

 明依たちのことを想えば、それは看過できない状況である。


 クラスメイトたちの嘲笑を意識から蹴り飛ばし、タブレットとにらめっこを始める。

 できないなら、できるようになるだけだ。どうせゼロからのスタート。ビビってちゃどうにもならん。

 笑い声がなかなか収まらない中、永慈は気持ちを切り換えていた。


 周囲の奇異の視線。嘲笑混じりの笑い声。あるいは無関心。

 永慈は持ち前の精神力で受け流し、午前中の授業を乗り越えた。



 教室が昼休憩の喧噪けんそうに包まれる。

 クラスメイトは永慈を遠巻きに眺めている。どうやら完全に『変人認定』されてしまったらしく、あちこちで陰口を叩かれていた。

 永慈はタブレットのマニュアルと格闘しながら、操作の習得に努めていた。


「ここを……こうか?」

「いいえ。こうですよ」


 ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。隣から伸びてきたたおやかな手が、タブレットの画面を動かした。

「最近のOSはだいぶ勝手が異なりますから」

 そう言ってにこりと微笑んだのは、絵に描いたような美少女だった。

 絹布けんぷのようなストレートヘア、細い肩、気品のにじみ出る仕草。深窓しんそうの令嬢という言葉がこれ以上ないほど似合う。身にまとうオーラが違うためか、クラスメイトと同じ服を着ているとは思えないほど華やかに美しく見える。

 たとえいい歳の大人であっても、彼女の笑顔を前にすれば牙を折られて相好そうごうを崩すだろう。

 永慈は白い歯を見せて笑い返した。


「いや、助かったよ

「いえ。これくらいお安い御用ですわ。


 クラスにどよめきが走った。ほぼ全員の視線が永慈の席に集中する。

 空気の変化に永慈は首を傾げる。

「なんだ?」

「……おと――永慈君!」

 床を踏み抜きそうな勢いで明依がやってきた。右手には弁当箱の大きな包みを持っている。

「お昼! 一緒に食べよう!」

「いや、俺はもう少し――」

「いいから! ほら、二人分作って来たのが無駄になるでしょ」

「ではわたくしもご一緒させていただきますね。お天気も良いので中庭に行きましょう」

「さあ永慈君。タブレットは片付けて」

「お、おう」

 右手を明依に、左手を深窓の令嬢にしっかりと掴まれ、半ば引っ張られるように教室を出る。


 クラス中の視線が背中に突き刺さった。動揺しきったクラスメイトの声も耳に入ってくる。

「おいマジかよ。永久ながひささんだけじゃなくて三阪さんまで、なんであんなに親しげなんだ?」

「ていうか名前呼びだったよね。ウソ、もしかして親戚? 名字同じだし」

「いやいや。だからってあんなにぴったりくっつかないでしょ普通。恋人じゃあるまいし。美女と野獣」

「そうだ。そうだよ。きっと穂乃羽さんと明依さんが優しいだけだってははは――おいお前ら偵察に行くぞ」

 廊下に出てからもぞろぞろと足音が付いてきて、さすがの永慈も軽い恐怖を覚えた。


 

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