秋山節の正体

秋山節の正体① 三人称多元視点

秋山先生の文体の魅力はどこから生じるのか。いわゆる秋山節と言われる独特の語り口はどこから生じるのか。


ここでは、いわゆる「秋山節」「秋山文体」と呼ばれる独特の語りや文体について解明をしていきたいと思います。


秋山文体の特徴として、以下の要素が挙げられます。

①三人称多元視点

②無力な語り部

③解像度の高い人物・情景描写

④疾走感のある行動描写

⑤ライトノベル的なディフォルメと生身の痛みの混合


まず、秋山先生の文体の特徴として挙げられるのが、三人称多元視点です。基本的には三人称でありながら、ところどころ一人称が混ざる文体。

特に、『イリヤの空 UFOの夏』では、各話に1人か2人の主人公が設定されており、物語は時折その人物たちの視点に乗り移ります。


 ①榎本?

 水前寺はヘッドホンに中指をあてて耳をそばだてた。

 ②伊里野には航空自衛軍士官の兄がいる、という話は水前寺も知っていた。が、「榎本」という名前は初めて聞いた。いくつかの疑問が浮かぶ。

(中略)

「――浅羽くん、『榎本』という名前に聞きおぼえは――な、なんだねその顔は」

 夕子ゆうこは目を見開き、あんぐりと口を開けていた。声が裏返る、

「――転校生なの?」

だれが?」

「――だから、あの伊里野いりや加奈かなって人」

 ③水前寺すいぜんじは「何をいまさら」という目つきをする。

 ④夕子の頭の中で、すべてがようやく一本の線で結ばれた。

 ⑤転校生がそう何人もいるとは思えない。

秋山瑞人(2001)『イリヤの空 UFOの夏その2』正しい原チャリの盗み方(後編)p19


この文章の特徴は、①の独白は明らかに水前寺だったものが、⑤では夕子の独白に移っている点です。

あまりにも何気なく行っているため気が付かないかもしれませんが、普通これほどの頻度で一人称を切り替えて、読者に混乱させずに話を進めることはできません。


裏にはやはり秋山先生の超絶技巧があります。

①から⑤に一足飛びに行くのではなく、③で、「何をいまさら」という心の声をわざわざ「目つき」という外見で表し、④で「夕子の頭の中」という文言で「思考」を視覚的に距離感を持って描写し、徐々に水前寺を離れて夕子の独白に移る下準備をしているのです。



この三人称多元視点は、三人称の豊かな描写力・説明力を持った上で、一人称の感情移入のしやすさを追加できる非常に絢爛豪華な人称ではあるのですが、上記の視点の切り替え一つをとっても、かなりの技巧が必要になることがわかります。


今後、本論で一人称性を強める要素について扱っていきますが、ここである程度まとめてみましょう。


①独白orゼロ人称表現

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888318676/episodes/1177354054888325475


②「~と〇〇は思った」「と思う」「~~かも」などの思考や推論文


③「〇〇の頭の中で」、「〇〇の視界の中で」、といった表現


④感情付きの情景描写

例)何部のヘタクソが引いたのかもよくわからないぐにゃぐにゃした白線

→明らかに浅羽視点の描写


⑤触覚、聴覚表現

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888318676/episodes/1177354054888411810

https://kakuyomu.jp/works/1177354054888318676/episodes/1177354054888351670


⑥描写に感情を混ぜる

→鼻血はもう収まりかけているようだったが、バスタオルを染める赤にどきりとする。


こうした要素を取り入れて、秋山先生がどう鮮やかに人称を変更するか見てみましょう。



 ①今をさかのぼること二ヶ月前の、六月二十四日の放課後。

 ②春からのテーマである「心霊しんれい現象」に対する水前寺の興味きょうみはいささかの衰えも見せず、浅羽は肉体労働にいそしんでいた。③両手で抱えた荷物の重さによろめきながら歩き、④やっとの思いで部室長屋にたどり着く。⑤荷物を一度床に置くのが面倒で、晶穂がもう来ているかもしれないと思って声をかけてみる。

⑥「あきほー。いるならドア開けてくれー」

秋山瑞人(2001)『イリヤの空 UFOの夏その1』第三種接近遭遇p44



改めて、秋山先生の技術力の高さに驚かされます。

①、②までは、この箇所は明らかに外から語り部が見た三人称だったわけです。それが、

③の「よろめきながら歩き」という描写が視覚と触覚の橋渡しをし、④の「やっとの思い」という文言で描写に感情が混ざります。そして気がつけば一気に転換がなされ、⑤で「面倒」と語ったのも「晶穂が来ているかも」という推論をしたのも明らかに浅羽の一人称的表現に移っているのです。


こうした技術によって人称を自由自在に操れることが秋山先生の文体を支えており、「今を遡ること二ヶ月前」のような語り部による言い回しも自然に挿入できているのでしょう。


次回は、「無力な語り部」について取り上げたいと思います。


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