流し読みできる小説の書き方(改行多用文の活用)
小説においては、読者は自分の好きなように読むことが許されています。
これは作家にとっては怖い話で、極端な話、最初のページを読んだら結論を確認する、という読み方さえ可能ではあるのです。
そうなると、重要な伏線が読み飛ばされてしまったためにギミックが全く機能しないということもあり得ます。
もちろん、何もかもを作家の意図通りに読ませる必要はありませんが、意図しない読み飛ばしのために読者が最も美味しい部分を食べ損ねるという現象が発生するのは避けなければなりません。
そのためには、どのような工夫をすればよいのでしょうか。
『イリヤの空UFOの夏』は基本的に描写の非常に多い作品ですが、特に読みにくいという印象は受けません。
それどころか、「流し読み」をすることすらできます。それは、物語が動く各所に改行を多用した「まとめ文」が存在するからです。
例えば、次のような箇所があります。
①目的地であるプールは体育館の並びにあって、浅羽の隠れている焼却炉からは30メートルほどの距離がある。プールの周囲はフェンスではなく、合成樹脂のパネルをつなぎ合わせた背の高い壁で囲まれている。あれこそ悪名高きベルリンの壁、「これじゃ女子のプールの授業を見物できない」という男子生徒の怨嗟の声を一身に受けてなお揺るぎない難攻不落の壁だ。しかし今の浅羽にとって、あの壁は味方だった。あの壁のおかげで、夜中にプールで泳いでいる自分の姿が外から見られることもないわけだから。進入ルートの目途もついている。更衣室の入り口のドアはすっかりガタがきているので、鍵が掛かっていようがお構いなしに力いっぱいノブを回せばロックが外れてしまうことを、浅羽はよく知っていた。
②あとは度胸だけ。
誰もいるはずがない。絶対バレない。
だけど――という不安を拭い去れない。万が一にでも見つかったら大目玉だ。
走った。
③ダッフルバッグをばたばたさせて、身を隠すもののない最後の30メートルを走り抜けた。更衣室の入り口をくの字型に目隠ししているブロック塀の陰に転がり込む。呼吸を整え、再び周囲を見まわしてやっと少しだけ安心する。更衣室入り口のドアノブを両手で思いっきり回す。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885579795/episodes/1177354054885590321
秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その1』p16
注目すべきは②です。
もちろん、①と③も世界観に深みを出すために欠かせない部分ですが、これがなかったとしても話は通じます。
ある意味、物語の本筋とは関係のない描写だからです。
物語の筋と関係があるのは主人公の浅羽が「どこで」「なにを」「どうして」「だれと会って」「どうなったか」そして「それはなぜだったか」そういった事柄さえきちんと押さえていれば、途中を読み飛ばしてしまったとしても、読むことに不都合はありません。
②においても、『あとは度胸だけ』という文章によって、ここまでの準備が順調に行われた琴が示され『走った』という文章によって、次のシーンが浅羽が走る様子を描いたものであることが分かります。
つまり、この②は、それまでの描写の結果の『まとめ文』であり、今後の動きを読者に予測させる『前触れ文』となっているのです。
そして、②が非常に重要な箇所であるために、改行を多用することで注目度を高めているのです。
では、次に、この改行を多用した単文の箇所だけを集めてみましょう。
以下は『第3種接近遭遇』の冒頭部分。浅羽が学校のプールに潜入して伊里野に出会うまでの文章のうち、改行を多用したまとめ文だけを書き出したものです。
めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と
だから、自分もやろうと決めた。
山ごもりからの帰り道、学校のプールに忍び込んで泳いでやろうと浅羽直之は思った。
北側の通用門を乗り越える。
部室長屋の裏手を足早に通り抜ける。
校舎の真ん中にある時計塔は、午後八時十四分を指している。
そんじょそこらの午後八時十四分ではない。
中学二年の夏休み最後の日の、午後八時十四分である。
そして今、浅羽に残された時間はあと十三時間にも満たない。
あと十三時間だ。
死刑囚だって最後にタバコくらいは喫わせてもらえるのだ。
だから自分は、夜中に学校のプールに忍び込んで泳ぐくらいのことはしてもいいのだ。
当然、やるべきなのだった。
あとは度胸だけ。
誰もいるはずがない。絶対バレない。
だけど――という不安を拭い去れない。万が一にでも見つかったら大目玉だ。
走った。
そのとき、パトカーのサイレンが聞こえた。
まただ、と思った。さっき焼却炉の陰に隠れていたときにも聞こえた。
サイレンは溶けるように遠のいていき、唐突に途絶えて消えた。
深呼吸をした。
更衣室のドアをそっと開け、中をのぞいてみる。
真っ暗だった。
山ごもりからの帰り道、だったのだ。
というわけで、自分は今、海パンを持っていない。
ものすごくがっかりした。
突飛な考えが頭をよぎる。
こうなったら、素っ裸で泳ぐか。
そのくらいの無茶はやってやろうか。
シュラフの中で眠るときにはいていた、学校指定の体育の短パンだ。
でも、そんなにおかしくはないと思う。
せっかくここまで来たんだし。
スイングドアを押し開けて、夜のプールサイドに出た。
夜のプールサイドに、先客がいたのだ。
女の子だった。
どうでしょうか。目に付きやすい改行多用文だけを取り出したものが、大筋の流れを示していることが分かると思います。
このように、改行多用文でアウトラインを描くことによって、文章の読みやすさは飛躍的に向上すると考えられます。
秋山先生は、元々、表現に凝るあまり読者を置いてけぼりにするような描写をするタイプの作家だったと金原瑞人先生、古橋秀之先生との対談の中で語られています。
それが、イリヤの空UFOの夏では、ライトノベルの読者にも読みやすいと思われるような文章を完成させています。
そこには、様々な苦労と努力があったのだと推察されます。
その痕跡を、これからも追い続けられればと思いまず。
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