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加速描写による物語の緩急のつけ方(結末先行法)
物語の中では、基本的に時間の流れは現実世界と異なっています。
特に小説では、ただひとこと「あれから500年が経った」と書きさえすれば、いくらでも未来に時間を飛ばすことができます。
ただし、展開を楽しむ物語において、意味もない加速描写はともすれば手抜きと受け取られかねません。
そんな加速表現ですが、効果的な使い方も間違いなくあり、ここでは、秋山先生の傑作『猫の地球儀』から、極端な加速表現によって結末を先に提示し、様々な表現効果を上げている例を見てみましょう。
①焔と黒猫が咆えた。
②恐ろしかった。
③楽は夢中で座席の下に転がり込んだ。④懸命にも震電はとっくにそうしていた。⑤もう逃げ出すこともできない。⑥ドアは開かないかもしれないし、震電の力では蹴破れないかもしれないし、何よりも、この座席の下から出ていく勇気などまるでない。
⑦あと数瞬もすれば、ここは戦場になる。
⑧日光と月光が荒れ狂う、宇宙空間も同然の場所になる。
⑨楽は、見ていた。
⑩戦いが終わるまで、なす術もなく、ただ見ている以外になかった。
⑪戦いは、十二秒で終わった。
⑫焔は負けた。
秋山瑞人(2000)『猫の地球儀』焔の章 p129
この箇所の最大のポイントは、⑫にあります。
「戦いは十二秒で終わった。焔は負けた。」
並の小説であれば、こうした重要なシーンは等速表現で一から十まで描写をし、時にはスローモーションを駆使して読者を引っ張るところでしょう。
それが、ここでは、散々に決闘の前振りを盛り上げておきながら、ほんの一言で戦いの結末を書いて終わりにしてしまっています。
しかし、この表現によって、このシーンは次のような様々な効果を生み出しています。
①相手の強さを強調できる。
②「遭遇」のシーンとしては適切
③実は、等速描写でもある。
④物語がわかりやすく構造化される
⑤十二秒というフレーズを情報のトリガーとして利用できる。
⑥情報に穴を作り、読者を引き込むことができる
順に見ていきましょう。
まず、戦いが簡潔に終わったことを描くことで、焔があまりにもあっさりと負けたことを印象付けることができています。
このシーンの物語上の意味は、「焔の敗北」であり「幽の登場」です。
その両方を鮮烈に印象付ける方法として、ここでの加速表現は有効に機能しています。
次に、このシーンは、決して物語上のクライマックスではないことに注意が必要です。
焔があっさりと負けたこのシーンにおいては、その描写を簡潔にすればするほどあっさりさが際立ち、クライマックスにある再戦が盛り上がりを増していくのです。
また、物語のわかりやすさという点でも、この描写は効果を発揮しています。
ライトノベルの主要な読者層は若年層であり、決して重厚な描写ばかりを求めているわけではありません。
秋山先生の文章は、超絶技巧によって支えられてはいるものの、SF的な世界観で描かれる『猫の地球儀』のロボットを操りながら戦う戦闘シーンは、それなりに難解な描写になるのを避けられません。
事実、ほんの十二秒で終わったはずのこの戦闘は、次章の回想シーンにおいて、およそ6ページにわたって描写されています。その冒頭を掲載します。
楽は、夢を見ている。
あの日のあの時の、十二秒の夢だ。
楽の夢の中で、日光月光が床を蹴った。車両を揺るがすような踏み込みと共に、焔は大加速で突撃した。
何か、突拍子もない罠がある。
焔は、そう考えていたはずだ。「仲間はいない」という黒猫の言葉も信じてはいなかっただろう。黒猫の相棒であるあの天使は、あまりにも非力に見えた。ということは、黒猫と天使は最初からオトリで、本命は別にいるということなのか。あるいは、何かよほどの仕掛けを隠し持っているのか。
いずれにせよ、焔は一瞬たりとも躊躇うことなく、その「何か」の中に真っ向から踏み込む道を選んだ。そこには、戦いの場を楽と震電から可能な限り遠ざけようという意図と、日光月光の突進力に対する信頼と、相手がどんな奇抜な手を目論んでいるのか見てみたいという願望があったはずである。
日光が先行し、焔を肩に乗せた月光がそれに続いた。
秋山瑞人(2000)『猫の地球儀』焔の章 p136
つまり、「十二秒で負けた」という加速表現は、決して手抜きをしたわけではなく、後に回想シーンとして丁寧に描写し直される類のものであり、むしろ、情報に穴をつくることによって読者に興味を抱かせる装置として機能しているとも言えます。
「あれほど強い焔が、どのようにしてあっさりと負けたのか」
そのような問題意識を持って文章に臨むことで、難解な描写に対しても自分の理解力の範囲内で作品を楽しめるようになります。
同様の技法は、たとえば『エヴァンゲリオン』のアニメ第弐話『見知らぬ、天井』でも使用されています。
結末を先に提示し、回想という形で戦闘を細かく描写する。
こうした展開が物語の中でしばしば用いられるのは、物語の主眼が戦闘ではなく人間を描くことだからだと考えられます。
そして、実際に戦闘が十二秒で終わっているということを考えると、「十二秒」の加速描写は実は等速描写でもあることがわかります。
つまり、読者を感情移入させる体感時間の共有化の観点からは「十二秒で終わった戦闘シーンを読むのには十二秒以上かかってはいけない」のです。
また、この回想に入る目印として、「あの十二秒の夢だ」というフレーズが用いられているのにも注目が必要です。
つまり、「十二秒」の加速表現を用いたことで、今後、この戦いのことを「十二秒」という三文字であらわすことができるのです。
絵画と違い、小説ではテキストの量をいくら増やしても、文章の密度を上げることはできません。
テキストが増えた分、読むのにかかる時間も増えてしまうからです。
そのため、短い言葉で別のシーンを呼び出すことのできるトリガーフレーズは、非常に重要な存在になります。
秋山先生の作品内では、他にも様々なトリガーフレーズを用いて描写の密度を高めていますが、ここでもその一端を垣間見ることができたのではないかと思います。
この文章論でイリヤ以外の作品を扱ったのはこれが初めてですが、やはり、秋山先生の偉大さを再確認させられました。二冊に分かれているこの作品ですが、ハードカバーで一冊にまとめて出版してほしいという希望を常々持っています。
また、この作品のどこかには、この文章論のタイトルの元ネタになった,「夢はいつかノーベル文学賞を獲り、「日本国 秋山瑞人」で手紙が届くようになること」の記述があリます。
まだ未読の方も既読の方も、ぜひ探してみてください。
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