同じテーマの繰り返し(リフレイン)
物事の印象を強めたいとき、もっとも単純な方法は、同じ事柄を繰り返すことでしょう。
人間の脳は、印象的な事柄であっても、簡単に忘れてしまうモノです。
それが、二度三度四度と繰り返されるうちに、たとえ覚えたくないものでも、頭の隅にこびりついて離れなくなってしまう、繰り返しにはそんな作用があります。
そして、小説においても、シーンをより鮮明に描き出す手法として、同じ内容の反復を行う事があります。
ここでは、『イリヤの空 UFOの夏その3』無銭飲食列伝から、効果的に繰り返しを用いているシーンを取りだし、その表現効果について見ていきたいと思います。
《第1回》
放課後の昇降口で待ち伏せしで、声をかけようとして息を吸い込んだその瞬間
、伊里野とまともに口をきくのはこれが初めてであることに唐突に思い至った。恐くて足が震えた。
「伊里野」
その一撃で伊里野は石になる。危なっかしく身を屈めて、下から二段目の下駄箱からスニーカーを引き出そうとしたまま動かない。やがて首だけが斜めに振り返る、白い顔の鼻から下が肩から流れ落ちる髪に隠れ、瞬きもせずに見つめ返してくるふたつの目は、火災報知器の赤いランプよりも表情に乏しかった。
怯んではならない、と晶穂は思う。
《第2回》
「――あのさ、人から話しかけられたときはもうちょっと」
伊里野がカウンターする、
「何か用?」
今さら後には引けない。
絶対に怯んではならない。
一歩たりとも譲ってはならない。
そして晶穂は唐突に、にっこりと笑みを浮かべた。
《第3回》
ただならぬ空気を察したのか、バス待ちの一年坊主どもが先ほどから横目でふたりの様子をうかがっている。通りの彼方にある交差点からバスが姿を現してゆっくりとこちらに向かってくる。
敗者復活戦が始まる。
今さら後には引けず、絶対に怯んではならず、一歩たりとも譲ってはならない。
《第4回》
思わず口を半開きにして見守った。伊里野は山盛りのパフェをざくざくと切り崩し、呆れるほどのペースで食って食って食い続けている。「うまい」でも「まずい」でもないまったくの無表情で、スプーンの先が容器に当たる「かち」「かち」「かち」という音は気味が悪いくらいに規則的だった。お上品な細いスプーンが使いにくいのか、口のまわりもスプーンを操る手もべたべたになっていたが、そんなことはまるで気にしていないように見える。いちごも生クリームもすでに無く、伊里野のスプーンはコーンフレークの層を瞬く間に突破して、いちごの果肉入りアイスクリームにぐりぐりと突き刺さっていく。
今さら後には引けず、
絶対に怯んではならず、
一歩たりとも譲ってはならず、
わけのわからない対抗心に翻弄されて、晶穂もまたパフェを平らげにかかった。
《第5回》
気持ちの悪い汗が全身を濡らしている。テーブルの向かいで伊里野はどうせ、いつも通りのすずしい顔でこちらをじっとにらみつけていることだろう。
弱みを見せてはならない。
今さら後には引けず、絶対に怯んではならず、一歩たりとも譲ってはならない。
《第6回》
「ぜったいまけない!」
「上等ぉっ!!」
如月十郎が頬の裂けるような笑みを浮かべる。
再び戦いが始まった。ふたりは中華丼に顔を突っ込むようにして食う。野次馬どもがヤケクソの大歓声を上げる。晶穂も伊里野も互いに目をそらさず、中華丼が親の仇であるかのように食い続ける。晶穂は左手をテーブルに備えつけの自家製ラー油の壷に伸ばす。中身をすべて中華丼にぶちまける。「味に変化をつける」といった生ぬるいレベルの話ではない。まさに気つけ薬である。伊里野も食う、鼻血のせいで麻婆丼になってしまった器の中身をレンゲでぐちゃぐちゃにかき混ぜ、ひたすら口に運び続ける。
食い続ける。
今さら後には、絶対に、一歩たりとも――
秋山瑞人(2002)『イリヤの空UFOの夏 その3』無銭飲食列伝より抜粋
『無銭飲食列伝』の中で、「絶対に怯んではならない」というその言葉は、形を変え、意味を変えながら何度も反復されて使用されています。
第1回から見ていきましょう。ここには「怯んではならない」という感情の萌芽があります。その後、第2回以降では、不安を感じる自分を奮い立たせる言葉として、より強い武装を伴って使用されるようになりました。
今さら後には引けず、絶対に怯んではならず、一歩たりとも譲ってはならない。
ともすれば不安に足を取られそうになる晶穂にとって、「いまさら後には引けない」という言葉は、一番手っ取り早い勇気の言葉なのかもしれません。
その等身大の決意が、晶穂の行動を支えていきます。
この場面では、この言葉を契機に、晶穂は急速に自分のペースを取り戻していきます。
続く第3回は、第2回で固めた決意をもう一度表明し直している形だと考えられます。敗者復活戦が始まるその時、圧倒的に不利な立場にいる自分は一体どんな決意で望まねばならないのか。晶穂は自らの態度を決定づけるための言葉を確認し、自らにもう一度言い聞かせています。
場面は変わって第4回。
ストロベリーフィールズで取材を始める晶穂と伊里野です。
不退転の決意で敗者復活戦を始めた晶穂でしたが、一度時間をおいて冷静になってみると、不戦勝を望んでいた卑怯な自分に気づき始めます。
まさか伊里野が取材に同行してくるとは思っていなかったし、敗者復活戦を受けて立つとも思っていなかった。そんな思いに気づいて戸惑う晶穂。
そんな晶穂の目の前で、伊里野は晶穂への対抗心から山盛りのパフェを無心で平らげ始めます。これでいったん冷静になっていた晶穂にもう一度火が点きます。
とはいえ、一度迷いを持った晶穂にしてみれば、もう一度奮起するだけの感情をかき集めるのは一苦労です。
そんな晶穂を手っ取り早く行動に駆り立ててくれる言葉として、第4回目の「今さら後には引けない」が引っ張りだされて来ることになります。
そうして晶穂と伊里野は「わけのわからない対抗心に翻弄されて」意地の張り合いを続けることになります。
続く第5回でもまた、苦境に立たされた自分を奮起させる言葉としてフレーズの繰り返しが用いられています。
訳の分からない対抗心に翻弄されて始められた大食い対決は、予想以上の過酷さであり、おまけに伊里野はいつも通りの涼やかな表情を見せるのみ。苦しくて苦しくて堪らないその状況において、晶穂には、もう一度自分の原点に返る必要があったのでしょう。
このように、それまで自らを奮起させる言葉として用いられてきたフレーズが、しかし、第6回においては全く異なった使われ方をしています。
第6回の途切れがちになったフレーズ。
これは、対抗心の象徴だった言葉が、徐々に溶けてなくなっていく様子を表しています。
第1回から第5回まで、繰り返されることで強く堅くなっていった決意が、第6回において溶けてなくなる。これによって晶穂の感情の移り変わりを見事に表しています。
以上をまとめると、
第1回では、対抗心の萌芽として。
第2回では、萎えそうになる自分を奮起させる言葉として。
第3回では、不退転の決意の表出として。
第4回では、訳の分からない対抗心の根源として。
第5回では、苦境に立たされた自分を奮起させる言葉として。
第6回では、対抗心が溶けて消えていく様子の描写として。
となります。
無銭飲食列伝は、お互いを人間と見なしていなかった晶穂と伊里野が、鉄人屋での死闘を通して理解を深め、相手に抱いていた対抗心が友情に代わる物語だと捉えることが出来ます。
その中で、今回繰り返されたフレーズは晶穂の伊里野に対する「対抗心」が形になったものなのでしょう。
その対抗心は決して迷いのないものではなく、格好良いものでもなく、怯えと戸惑いに満ちた等身大の少女の感情です。
繰り返されるフレーズは、登場のたびに細部が異なって描かれています。
それは、晶穂の感情の変遷を表しており、それこそが、無銭飲食列伝において描かれた晶穂の成長なのでしょう。
この無銭飲食列伝は、「二人の少女がお互いの意地を賭けて大食い対決をする」というただそれだけの話です。
それだけに、秋山先生の超絶技巧を改めて思い知らされる傑作だと言えるでしょう。
一体、どこの世界に、女子高生のフードバトルをラノベ界屈指の名作に仕上げられる人間がいるというのでしょうか。
こうした奇跡を目の当たりにできるからこそ、新刊が何年もでていなかったとしても、今日も秋山先生の著作を開かずにはいられません。
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