疾走感のあるバイクチェイス

 言葉のみで描写を行う小説において、スピード感のある映像描写を行うのは非常に難しいものです。

 

 映像作品ならば、カメラワークや効果線を工夫することで疾走感を生み出すことができますが、小説においては文章量=時間であるため、、疾走感を減じてしまいます。


 かといって、文章量を減らして極端な加速表現をしてはイメージが希薄になり臨場感を減じてしまいます。

 その中にあって秋山先生は、『疾走感のある描写』を非常に得意とする作家として評価を得ています。では、その疾走感を生み出しているのはどのような文章構造なのか、順を追って分析していこうと思います。



 ①恥ずかしいの照れくさいのと言っている場合ではなかった。②伊里野の腰に力いっぱいしがみついていないと振り落とされそうになる。③伊里野が右へ左へと進路を変えるたびに、ただでさえ安定のよくない車体は恐ろしいほどに傾き、滑りやすいシートから尻がずり落ちる。④伊里野の背中のナイフがほっぺたにごりごりして痛い。⑤おまけに、風にあおられた伊里野の髪に顔面を洗われて周囲の様子がろくに見えなかった。⑥スニーカーのすぐ下をアスファルトが目茶苦茶な勢いで流れていく、路面の白線が弾き飛ばされるように右へ左へと踊る。⑦時速200キロくらいで走っているのではないかと思う。

 ⑧突然、背後でクラクションのブーイングが巻き起こった。

 ⑨追手はすぐそこまで乗ていた。⑩30メートルほど後方、ごみ箱を轢き殺しながら路地から横っ飛びに飛び出してきたバイクが車体を傾けて遠心力を強引にねじ伏せる。⑪かなり年季の入った感じのスーパーカブで、乗っているのはマスクで顔を隠した男。⑫後ろに二人乗りで誰かを乗せているようにも見えたが、伊里野の髪が邪魔でそれ以上ははっきりしなかった。

 ⑬――あの排気音、


 秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏その2』正しい原チャリの盗み方・後編


 まず、①②③では、浅羽のを行い、乱暴な運転の中で強烈な遠心力に耐える浅羽の様子を描写しています。

 

 さらに、④⑤でもの触覚描写を行う事によってより臨場感を高めています。


 また、一人称表現を使うことで、文章量が増えても時間の流れが間延びしていないことにも注意が必要です。

 これはおそらく、一人称における文章量が『主観的な時間』を表しているからでしょう。主観的な時間の中では、一瞬のうちに人生全てを体験することすら不自然ではありません。

 むしろ、その一瞬に多くの文章を費やすことによって、一瞬を密度濃く描写することができるようになります。


 ここまでで十分臨場感を込めて描写した後、⑥⑦と、表現は視覚表現に移ります。

 このような順番にすることで、秋山先生は、情報を受け入れる下地を作っているのだと想像出来ます。何の前触れもなしに「アスファルトが目茶苦茶な勢いで流れて行く」と書いたとしても、それほどの疾走感は感じられません。


 しかし、触覚描写を先に行うことで、読者の視点は視点人物である浅羽と一体化します。そして、危うい状態にある浅羽の視点から見るアスファルトは、本当の臨場感を持って読者に迫るのでしょう。


 しかも、『目茶苦茶な勢い』や『弾き飛ばされるように』、『右へ左へ踊る』など、高速で動く物体を上手く連想させる表現が選ばれており、これによって読者は疾走感を感じるのだと思われます。


 続いて⑨~⑫の間も、『ごみ箱を轢き殺し』『横っ飛びに飛び出し』『車体を傾け』『遠心力を強引にねじ伏せ』などの強い表現を使っています。また、全体としてアスファルト、白線、車体、髪などの景色や小道具を動かすことで視覚的に速さを体験させるという工夫をしているのも重要な要素となっています。


 以上のことより、このシーンでの疾走感を生み出しているのは、


 ①触覚による動きの描写:体験が臨場感を持って迫る

 ②主観的な表現であれば、描写量が増えても間延びしているように感じない

 ③景色や小道具を使って、左右、弾く、流れる、飛ぶなどの運動表現を行う

であると考えられます。






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