走馬灯のように去来するイメージ
文字を媒体とする小説は、一度に一つの情報しか提示することができないため、多くの情報を伝えるためには文章表現が長くなってしまう傾向があります。しかし、文章量を増やしたとしても、情報の密度はさして高まらず、むしろ、冗長な表現とあいまって退屈な文章となってしまうことがあります。
でば、疾走感のある文章表現を行うためにはどのようにすればよいのでしょうか。
ここでは、逐次的にしか情報を提示できない小説という媒体において、可能な限り密度の濃い表現をする方法について考えてみましょう。
次の文章は、浅羽夕子が水前寺とのガチンコの喧嘩の末、自分の中で荒れ狂っていた本心を吐き出すシーンです。
①悔しいという気持ちだけが空回りする。②古傷の中に埋もれていた記憶がこぼれ落ちていく。③ギーの怒鳴り声と織田の笑い声が、「浅羽の兄貴は変熊兄貴」と「いやーんお兄ちゃんのえっち」が、兄を追い出した部屋でひとり兄を呪った夜が、ウイルス兵器の予防注射と意地悪な高さの飛び箱が、いいことなどひとつもない名字と出席番号が、
④わざわざ教室まで挨拶にやって来た水前寺の晴れがましい笑顔が、
⑤もう百年も昔のことに思える、どちらもまだ小学生だったころの、庭先に椅子を出して髪を切ってくれた兄の手の感触が。
⑥泣き声で叫んだ。
⑦「ほ兄ちゃんは変態じゃないもん!!」
秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏その2』正しい原チャリの盗み方・後編
この文章の一番の特徴は、これまでの過程で丹念に描写されてきた様々な事柄が、短文の形で次々と提示されていることです。
まず、②では、描写を行うための下準備をしています。
ここでは比喩を用いて記憶が『こぼれ落ちていく』と表現していますが、この表現をすることで記憶=涙という連想をさせることが可能になっています。
あるいは、記憶=心情という連想から心情の吐露を意味しているのかもしれません。
また、強がりな気持ちに隠されていた本心が少しずつ見えてくることの象徴なのかもしれません。ともあれ、この『こぼれ落ちる』という表現には様々な意味が込められています。
③で『こぼれ落ちていく』記憶は、物語の出発点となったシェルター事件にまつわる諸々の記憶です。
誰にも頼らず、一人で先頭を歩いていかなければいけなかった自分の人生についての独白。しかし、兄に対する反発と敵愾心は、同時に、兄への愛情の深さも表しています。
兄は腰抜けではない。兄は変態ではない。兄は腰巾着ではない。
一つ怒りを深めるごとに一つ愛情を深めていき、やがて夕子はかつて兄への思慕を素直に出せていた小学生の頃の思い出に行き着きます。
ここで、注目すべきなのは、③において、描写されている出来事は時系列の逆順になっていることです。これはあるいは偶然かもしれませんが、自然な流れで小学校の記憶に到達するには重要な配慮だと思われます。
そして、分厚い強がりの奥から愛情の象徴となった記憶が掘り起こされたとき、夕子は泣き声で叫ぶことになるのです。
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