数字を利用したスペック描写

 絵画が訴えるのは視覚であり、音楽が訴えるのは聴覚であり、料理が訴えるのは味覚です。では、小説が訴えるのは、どの感覚なのでしょうか。


 小説が対象としているものも確かに五感を通して得られたものですが、小説が他の芸術と異なっているのは、扱う感覚が全て意識の中から呼び起こされた表象である点です。それらは主に、読者の過去の体験によって作り上げられています。つまり、例えば「可愛い顔」と書かれた文章を見たときに読者が想像する顔は、一人一人異なっており、読者のに依存するのです。


 それゆえ、小説では質的な事柄が伝わり難いという現象が生じることになります。とすると、それを逆手に捉えて、質の対極に存在する量的な表現を中心に据えて描写を行うという方法が考えられるのではないでしょうか。元々が抽象化された存在である『数』は、小説とは相性がいいのだと考えられます。例えば、次は、第1巻の『第3種接近遭遇』の一節です。


①園原中学校の三年二組に水前寺邦博という実にハイスペックな男がいる。②出席番号は十二番で、十五歳にして175センチの長身で、全国模試の偏差値は81で、100メートルを十一秒で走り、顔だってまずくはない。

    秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏その1』第三種接近遭遇 p41



 水前寺、という人間の凄さを表すものとして、個人的な体験を越えて客観性を持つ数字というものは、分かりやすい指標となります。実はこれは、普段の人間社会の中でしばしば行われていることでもあります。


 入学試験、入社試験、お見合い、合コン。見知らぬ相手を知ろうとするときに、年収やテストの点数、出身校の偏差値などを参考にすることはないでしょうか。もちろん、以前と比べて数字だけで何もかもが評価されることは少なくなりましたが、むしろ、今では最低限満たしていなければ門前払いになるという意味合いで数字を求めるようになっています。


 このシーンでも、数字の羅列は水前寺の全てを表したものとして書かれたのではなく、あくまで、登場前の露払い程度の意味合いで使われています。


 数字を扱うことの利点はもう一つあります。数字による描写は圧縮がしやすいのです。この描写のすぐ後に、次のような描写があります。


 三年二組で十二番で175センチで81で十一秒に加え、水前寺邦博は自称・園原中学校新聞部の部長兼編集長でもある。


 特徴的な数字であったために、二度目にはそれが何の数字だったのかを説明せずともイメージを伝えることが出来るようになります。しかも、一言の中に詰め込まれている情報量は非常に多いのです。


 数字を利用した描写は、いわばキャラクターのスペック表ということもできるでしょう。もちろん、これをあまりに全面に出しすぎると作品全体がデフォルメされすぎてしまいますが、水前寺の非凡な「漫画のような奴」というキャラクター性を出す描写する上ではピッタリの表現ということができます。

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