一人称的な情景描写
三人称の中の一人称(0人称の活用)
『イリヤの空UFOの夏』は基本的に三人称で書かれています。しかし、純粋な三人称かと思えば、そこかしこに心情描写や作者の語りのようなものが挿入され、秋山節とも呼ばれるような独特の文体を構成しています。
ここからは、三人称の中で一人称的要素のある文章を書く際の技法を見ていきます。
三人称とは、登場する人物を全てうわさ話の伝聞のように外から描写し続ける文体のように思われています。
「彼はこうした」「彼はああした」「と、彼は言った」など。
三人称の文体は、事象を外から描写するのに適しています。
しかし、三人称の文体が強くなった際には、読者が登場人物の心情に入り込むことが困難になります。
つまり、「彼は寂しかった」「彼は怒った」と書かれた言葉は、どことなく余所余所しいものになってしまいます。
では、三人称で心情描写を行う際には、どうすればいいのでしょうか。ここでは『イリヤの空 UFOの夏その1』の第三種接近遭遇より、浅羽が昨日の記憶を失っていることに気づき、茫然自失となったシーンを扱います。
机の一点を見つめて思う。
実は、ゆうべの出来事はすべて夢だったのではないか。
正直なところ、そんな気も少しする。なにしろすべてがあまりにも荒唐無稽だ。夜のプールで出会った女の子と、両の手首に埋め込まれていた銀色の金属球。謎の男と黒服の集団。自分以外の登場人物は全員が正体不明。物的な証拠はゼロ。とどめにバンに乗せられた後の記憶が途切れている。
誰かに話したところで、絶対に信じてはもらえないと思う。
もし誰かにそんな話をされたら、自分だって信じないと思う。
秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その1』第三種接近遭遇
まず、ここまでで「浅羽は」と書いてある箇所は一つもありません。
この部分を読むだけでは、三人称と判断する材料はありませんが、一人称とする表現もありません。
この箇所は、いわば0人称とでも言うべき人称で書かれており、一切の主語を持たない日本語の特徴的な描写です。
日本語は、言うまでもないことは言わずに済ませるという特徴があります。この人称を使うことで、読者と視点人物とを最大限に一致させることができるのだと思われます。続きを見てみましょう。
第一、穴の開いている記憶に信憑性などあるわけがないのだから、プールで起きたあの超現実的な出来事にしたところで、何もわざわざ「超」までつけて「現実にあった出来事だ」と強弁する理由もなくなってしまう。ある種の記憶の混乱があったことと、家のすぐ近くのバス停のベンチで正気づいたこと。そのふたつだけが現実で、プールに忍び込むあたりから始まる一連の出来事は実はすべて夢だったとも考えられる。山ごもりによる心身の疲労、夏休みが終わってしまうことや宿題が手つかずであることのストレス。そのあたりを、記憶の混乱や現実逃避的な夢の原因としてこじつけることもできそうだ。
あれは夢だった、そう考えた方が安心できるのだ。
わけのわからない出来事が自分の身に起こったのだと思うよりも、はるかに。
しかし、その安心に安住しようとしないもうひとりの自分がいる。
――この腰抜け野郎が。いい加減に目を覚ませ。
もうひとりの自分はそう叫ぶ。
秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その1』第三種接近遭遇
ここで、自分に声を掛けるもう一人の自分が現れます。
その人物には「もう一人の自分」という名称が使われ、内面の声の代弁者として存在しています。
内面の代弁者が登場することで、より一層人称を書き込むことなく物事を表現することができるようになります。
――心身の疲労にストレスか。なるほどな。それなら何が見えても何が聞こえてもしようがねえってか。まったく何でもござれの便利な説明だよな。近代合理主義ってやつが一家に一台必ず備えている怪力乱神のごみ箱だ。それで何かを説明したつもりか。いいかよく聞け、お前はな、記憶の一部がなくなっちまったことの恐怖に負けて、ただ単にすべてをなかったことにしようとしているだけだ。心配するほどのことは何もなかった、そう思いたいがために、客観性や再現性のあるなしで言えば占いや民間療法と五十歩百歩の「シンリ学的なセツメイ」を持ち出して、自家製の日常を再構築しょうとしているだけなんだよ。
それこそが奴らの狙いだ。
その手に乗るな。
あれは夢だった、そう思ったらお前の負けだ。
口元が苦笑に歪む。どうかしている。「奴ら」って一体どこの誰だ。いつから「勝ち負け」の話になったのか。まるで超常現象狂信者の言い草だと自分でも思う。
秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その1』第三種接近遭遇
さらに一歩進んでこの箇所では、もう一人の自分が雄弁に話し、浅羽のことを「お前」と呼び続けます。三人称でもなく、一人称でもなく、ここでは一転して二人称表現が使われているとも言えます。
ここまで見てきた中で分かるのは、三人称の中で感情移入をうまく作り上げるための技法として、人称を書き込まない0人称を駆使し、可能な限り一人称に近い表現を行うという方法があるということです。
実際に、イリヤの空UFOの夏では、他の箇所でも0人称による感情表現が多用されています。
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