時間的特異点の描写(同時多発視点)
近代以降、時間というものは量的に表現がなされ、誰もが平等な時間の中を生きていると考えられています。
しかし、本来、人間が意識の中で感じる時間とは量的に表現されうる無味乾燥なものではなく質感を伴って彩色がなされた存在です。
時間の相対性を説いたアインシュタインは、小さな子どもから相対性の意味を尋ねられた時にこう答えています。
「退屈な授業の時間は長く感じ、好きな子と一緒にいる時間は短く感じる、これが相対性だよ」と。
映画や小説などフィクションの中では、この質的な時間をより強く描き出す工夫がなされています。
一瞬を詳細に取り出し見せるスローモーションなどはその最たるものです。
このような表現が使用されるのは、『物語』があくまで感情を描く存在であるからでしょう。
物語にとって、主体を離れた客観的な時間というものはほとんど意味をなさないのです。
では、小説において決定的な瞬間を演出する方法にはどのようなものがあるでしょうか。
一つは先述のスローモーションです。
小説においてはテキストの量が経過時間を決めるという原則があります。
それを利用して、一瞬の出来事を事細かく描写することで短い時間を引き延ばして見せる。
しかし、この描写が許されるのは、既に何かの重大な事態が進行していることを読者が知っている状況下でのみになります。
そのため、例えば平凡な日常が一変する、というような表現を行う際にはスローモーションは適切ではないことが分かります。
では、シーンの転換点を表現するためには、どのような描写を行うのが良いのでしょうか。ここでは、『イリヤの空UFOの夏 その1』ラブレターより、第一次空襲警報によって平和な日常が一変するシーンを取り上げます。
①「伊里野、ちょっといいかな」
②プラン27。③伊里野がいないスキを見計らってカードを机の中に放り込んでおく。
④もう遅い。
⑤「――えっと、大事な話が」
⑥その
⑦そのとき、西久保と
⑪そんな、まったくいつも通りの昼休みの
⑫校舎の中にあるすべてのスピーカーが、一斉に、大音量のサイレンを鳴らし始めた。
⑬第一次
秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その1』ラブレター p147
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885579795/episodes/1177354054885616317
この箇所で特筆すべきは⑥から⑪までの描写の仕方です。
まず、⑥において秋山氏はここで何かが起こるぞという警鐘をならします。
そして⑦以降、元々事態の中心にいた浅羽と伊里野から、西久保と花村(教室)→晶穂(教室)→川口泰三(職員室)→椎名真由美(保健室)→水前寺(購買部)へと次々に視点が移っていきます。
この描写には二通りの意味があります。
一つは、描写量を増やすことでこのシーンへの注目度を高めること。
もう一つは、次に起こる出来事が浅羽と伊里野だけでなく多くの人物に影響を与える重大な出来事だったということ。
これらの描写のおかげで、⑬において鳴り響いた第一次空襲警報が単に伊里野と浅羽にとっての出来事ではなく、学校中でパニックを引き起こしたであろう重大事件だったということが、後追いの描写ではなく極めて自然に演出されていることが見て取れるでしょう。
これが漫画であれば、一斉に別々の場所でコマ割りされた複数のキャラクターの顔が並び、それぞれの反応を見せるという演出がなされるような箇所だと思われます。
この描写は、時間表現だけでなく空間表現としても非常に広がりのある深い表現を可能にしているということが分かると思います。
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