音のない世界の描写
漫画の表現方法として、「音のない描写」というものがあります。もっとも有名なのはスラムダンクの最終巻、山王戦のラストシーンでしょう。
読者に馴染みの薄いバスケットというスポーツを、絵のみで描写し尽くした名シーンとして今なお語り継がれています。
これらの描写では、台詞はもちろん、擬音や擬態語に至るまで一切の「記号」が書き込まれていません。しかし、それでもなお、読者の耳には聞こえないはずの「音」がはっきりと聞こえています。
小説において、文字を書かないというのは不可能なことです。
しかし、秋山先生はこの「音のない描写」とほぼ同等の表現を小説において行っています。
ここでは、『イリヤの空UFOの夏その3』の『無銭飲食列伝』より、晶穂と伊里野の大食いバトルの最後のシーンを取り上げます。
①それから、晶穂の意識は何度も途切れた。
②――オラあけっぱれ! だらしねえぞ、それっぱかしが食えねえのか!
③――ウェイクアーップ! 起きナサーイ! あとスコシでーす!
④そのたびに、そんな周囲の声援に意識を呼び覚まされた。
⑤食い続けた。
⑥それから後のことは、晶標はあまり憶えていない。⑦ただ、長い戦いの最後の瞬間だけが、なぜか音のない記憶として頭の中にはっきりと残っている。⑧その記憶の中で、晶穂は伊里野よりも先に食い終わった。⑨そのとき伊里野の器はオニギリ程度の飯が残っているばかりだったが、伊里野はしばらく前からぐったりとうつむいたまま動かなくなっていた。⑩晶穂は席を蹴って立ち上がり、伊里野の椅子の足を蹴りつけて、テーブルをばんばん叩いて何かを懸命に叫んだ。⑪野次馬がうねり、伊里野の身体がぐらりと傾いてテーブルに倒れ込んだ。⑫ちょうど顔を器の真ん中に押しつけるような格好で、髪の毛が器全体を隠してしまっていた。⑬如月十郎がストップウォッチを大きく振りかぶり、ボタンを押して六十分を切り取ったそのとき、伊里野の身体が床に滑り落ちた。
⑭仰向けになった白い喉が、ごくりと動いた。
⑮そして、伊里野の長い髪の毛が遅れて滑り落ちて、その下から空っぼの器が現れた。
⑯ものすごい大騒ぎになった。⑰晶穂も何かを叫んだはずだが、その内容は記憶にない。
⑱憶えているのは、すぐそばで泣きながら飛び跳ねていたおじさんのおでこにナルトがひっついていたこと。⑲黒人の兵隊さんがテーブルの上に飛び乗ったひょうしに天井の照明器具に顔を突っ込んでしまったこと。⑳二人のコックさんが腕を交差させてお互いの口の中に紹興酒の瓶を突っ込んでいたこと
音のない記憶は、そこで途切れている。
秋山瑞人(2002)『イリヤの空UFOの夏 その3』無銭飲食列伝 p73
どうでしょうか。
音のない世界が、ノイズのかかった遠い記憶のように、しかし、臨場感を持って鮮烈に迫ってくる映像のように再現されていると思います。
このシーンは全体が「晶穂の回想」という形で描かれており、そのために中心的な描写部分である⑧~⑮では文末表現がすべて過去形になっています。
これは、臨場感を出すための「現在形の反復」とはちょうど対をなす表現方法で、ここでは「過去形の反復」と呼ぶことにします。
では、この過去形の反復によってどんな表現効果が生まれるのでしょうか。
一般に、目の前の対象を捉える現在形はカメラで言えばズームアップに相当します。一方対象を回想の中で捉える過去形は、カメラをズームダウンし、引き気味に捉える効果があります。非常に単純な文章で印象の違いを比べてみましょう。
(1)兎がいる。亀がいる。ライオンがいる。動物園はにぎやかだった。
(2)兎がいた。亀がいた。ライオンがいた。動物園はにぎやかである。
現在形は目の前で見ている光景を描写しているような効果を生み出します。
(1)では、一つ一つの動物をカメラで映し出しており、まるで子供が動物園ではしゃいでいるかのような感触があります。
一方(2)では、様子を客観的に捉えている感触が伝わってきます。ちょうど、物語の語り部が誰かに話を聞かせているような感じでしょうか。
ここで本節と深く関わるのは、その「賑やかさ」の違いです。
現在形はいわば「生放送」であるため、臨場感が伝わってくる上に、空気感が「賑やか」になります。
一方、過去形においては、対象から一歩引いた位置からの写し取りであるために「静けさ」を生み出すことができます。
⑧~⑮では、その効果を使い、音のない記憶を再現していると考えられます。
では、順に見ていきましょう。
①それから、晶穂の意識は何度も途切れた。
②――オラあけっぱれ! だらしねえぞ、それっぱかしが食えねえのか!
③――ウェイクアーップ! 起きナサーイ! あとスコシでーす!
④そのたびに、そんな周囲の声援に意識を呼び覚まされた。
⑤食い続けた。
まず、①~⑤は晶穂の途切れがちな意識を上手く再現しており、この後に続く音のない記憶に移入するための下地を作っていると思われます。
そして、⑥、⑦ではこれから語られることの事前情報が与えられています。つまり、次の話が、「途切れがち」で「あまり覚えてない」記憶の話であり、しかも「音のない」記憶であるということの説明です。
⑥それから後のことは、晶標はあまり憶えていない。⑦ただ、長い戦いの最後の瞬間だけが、なぜか音のない記憶として頭の中にはっきりと残っている。
これによって、読者の中には次の過去形の反復を「音のない記憶」として捉える準備が整ったことになります。
ではつぎに、⑧~⑮において、どんな表記上の工夫がなされているか見ていきましょう。
ここには単純に過去形の反復を行った以上の工夫が多く見られます。
例えば、⑩においては、「音のない記憶」にはそぐわない騒々しい動作が行われています。
「席を蹴って立ち上がり」「伊里野の椅子の脚を蹴りつけて」「テーブルをばんばん叩いて」と乱闘顔負けの激しい動作です。しかし、次の描写である「何かを懸命に叫んだ」という文によって、そこまでの狂騒的な描写はまったく正反対の属性を帯びることになります。
この文章の視点人物は須藤晶穂です。
その晶穂が、自分の叫んだ内容を把握していないというのはどういうことでしょうか。それはつまり、晶穂の記憶には、「映像」はあっても「音声」は欠けているということを表しています。
しかも、晶穂の動作が激しければ激しいほど、それでもなお無音を保つ世界の静謐さが際だっていくのです。
また、表現を視覚表現に統一した点にも注目が必要です。
たとえば、⑭では「喉が鳴った」ではなく「喉が動いた」とあくまで視覚表現を追求しています。
これらの工夫によって、⑧~⑮では無声映画を見ているかのような厳かな静謐さが生み出されています。先を続けましょう。
⑯ものすごい大騒ぎになった。⑰晶穂も何かを叫んだはずだが、その内容は記憶にない。
⑱憶えているのは、すぐそばで泣きながら飛び跳ねていたおじさんのおでこにナルトがひっついていたこと。⑲黒人の兵隊さんがテーブルの上に飛び乗ったひょうしに天井の照明器具に顔を突っ込んでしまったこと。⑳二人のコックさんが腕を交差させてお互いの口の中に紹興酒の瓶を突っ込んでいたこと
音のない記憶は、そこで途切れている。
⑯では結末を「ものすごい大騒ぎになった」という一言で簡潔にまとめています。これは、先に続く描写を予測させて期待感を増し、さらに理解を促進する先行情報として機能すると考えられます。
⑰では、これまでの語りがすべて晶穂の回想だったことを再確認しています。また、ここでは文末が現在形であることにも注意が必要です。
この現在形には、ここで回想が終わり、物語が、晶穂のいる現在に戻り始めたことを表示していると考えられます。
その流れを受け継いで⑱~⑳においては、体言止めの連続でリズムを作り、「ものすごい大騒ぎ」の具体的な内容について、断片的な描写を行っています。
そして、最後の一文。
ここでもう一度「音のない記憶」であることを強調することで、読者はそれまでの描写を頭の中で再構成し、余韻に浸ることができると考えられます。
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