ラブレター 12/19

 プラン26。


 まずは昼休みになるまで待つ。ねらい目は四限目終了のかねが鳴った直後。そのタイミングなら教室の中がばたばたしているし、みんな腹ぺこで昼メシのことしか頭にないはずだから。さりげなく立ち上がり、さりげなく歩き、教室の一番後ろの、廊下側から三番目の席の前に立つ。


 ここでセリフ、


 ──、ちょっといいかな。大事な話があるんだけど。


 伊里野を連れてさりげなく教室を出る。つかず離れずで廊下を歩いて階段を上る。目指すは時計塔の機関室。あそこなら人目につかない。機関室にたどり着いたら有無を言わせず一気に押し倒して


 違う。セリフだセリフ。


 ──昨日のことなんだけど、伊里野のかばんを勝手に開けたことあやまろうと思って。


 適度に口ごもるのはよし。反省していますという感じの表情が作れたらベストだ。そしておもむろにポケットに手を入れ、


 ──これ、何だろうと思ってポケットに入れたまま返しそびれちゃったんだけど、ごめん。


 グレーのカードを取り出して、伊里野に返す。


 よし。


 これならいけるかもしれない。



 二限目も、三限目も四限目もどうにか生き延びて、昼休みがやって来た。


 四限目終了のかねが鳴った途端に、食欲が渦巻いていた教室の中の空気が一挙に解放された。なかごみの号令で全員が起立し、全員が礼をし、約半数が着席して弁当箱を取り出し、残りの半数は購買部めがけて教室から駆け出していく。


 昨日、の鞄の中身をあさろうとしたとき、頭の中にいたもうひとりの自分はいみじくもこう言った。


 ──自分がもう首までドブにつかってるんだってことがまだわからないのか。


 まさしくその通りだった。


 うすっぺらな日常の向こう側にある巨大な何か。それまでは見えていなかった、たとえ目には見えていても脳ミソには見えていなかった、自分たちのあずかり知らぬところで進行していく何かの「胎動」のようなもの。そうしたものの気配に、浅羽はようやく気づき始めていた。


 自分は、重要な場所から足を踏み外しかけている。


 せめて、伊里野のかばんからったものを返そうと思う。たったそれだけのことで事が収まるのかどうかはわからない。しかし、とにかく、何かせずにはいられない。


 おくれにならないうちに。


 昼休みのけんそうの中で、あさは深呼吸をする。


 ──プラン26、アクション。


 さりげなく立ち上がり、


「よお浅羽、今日は弁当なしかよ」


 西にしだった。


「──いや、そういうわけじゃないけど」


 二限目から今までかかって、やっとの思いでなけなしの勇気をかき集めたのだ。もう後には引けない。浅羽は乱雑に並ぶ机のあしつまずきながら、伊里野の席に向かってまっすぐに歩いた。ポケットに片手を突っ込み、グレーのカードのふちを指でなぞる。伊里野は手下げ袋を手に席を立とうとしていたところで、浅羽の接近に気づいて身を固くしている。


「伊里野、ちょっといいかな」


 プラン27。伊里野がいないスキを見計らってカードを机の中に放り込んでおく。


 もう遅い。


「──えっと、大事な話が」


 そのしゆんかんだった。


 そのとき、西久保とはなむらから身を乗り出して、浅羽が伊里野にどんな話をするのかと耳をそばだてていた。晶穂はどでかい弁当箱のふたを開けようとしていた手を止めて、やはり浅羽と伊里野を横目で注視していた。職員室にも昼休み特有のかんした空気が流れており、かわぐちたいぞう三十五歳独身は出前のメニュー片手に椅子の背もたれにふんぞり返って、今日はカツ丼にするべきか盛りそばにするべきかを検討していた。保健室ではしいがカップうどんにポットのお湯を注ぎ、購買部ではいつも通りのパンやおにぎりの争奪戦が展開されていて、小銭入れを口にくわえたすいぜんが行く手に立ちふさがるライバルどもを蹴散らしていた。


 そんな、まったくいつも通りの昼休みのいつしゆんだった。


 校舎の中にあるすべてのスピーカーが、一斉に、大音量のサイレンを鳴らし始めた。



 第一次くうしゆうけいほうだった。



 全員がぎもを抜かれた。


 戦争だ。


 ついに戦争が始まった。


 全員がそう思った。


 第三次以上のサイレンが鳴ったら生徒はすみやかに廊下に出て、床にうずくまってたいばく姿勢をとり、別命あるまでその場に待機するということになっている。一方、教師たちには生徒を安全になんさせる義務があり、そのはら中学校の場合には自衛軍の講習を受けて「三級避難誘導員」の資格を取得した教師が五人いて、その五人が中心となって生徒の行動をかんとくし、防空壕シエルターまで誘導する。そういう仕組みになっている。


 そんなもの、ハナクソほどの役にも立たなかった。


 この世の終わりを告げるサイレンに、だれひとり、生徒はおろか教師たちですら、身動きひとつできなかった。日常に突如として口を開けた深淵は、それほどまでに底が知れなかった。


 ──今日は、防空訓練の日。


 そのことを最初に思い出したのは、一体誰だったのだろう。


 これ訓練だろ。今日って訓練の日だよな。そんなつぶやきが校舎のあちこちで上がり始めた。そのつぶやきは次第に声の大きさを増しながら、伝言ゲームのように校舎の中を伝わっていった。それを耳にした者は例外なく安堵に胸をなで下ろし、次いで周囲の者たちと半ば照れ隠しのいきどおりをぶつけ合った。やっぱりね、訓練だと思ってたんだ、ほんとに戦争なんか始まるわけないんだよ、それにしても人騒がせだよな、訓練なら訓練だって放送流してからサイレン鳴らすのが普通だろ、けどさっきのあんたの顔ったらなかったわよ、こーんなに口開けちゃってさ、目玉なんかもう飛び出しちゃいそうでさあ──


 サイレンは鳴り続ける。


「おーい! 訓練だってさー!!」


 廊下で誰かが叫んだ。二年四組の凍りついた空気も、その叫びをきっかけに、たちまちのうちにぐずぐずに溶けていった。


 あさもまた、安堵のため息をもらした。


 あきの言葉を思い出す。


 ──なかむら先生がはりきっちやってさ、『今回のテーマはリアリズム』とか言って。


 それで、予告なしの一次警報か。


 いくらなんでもやりすぎのような気がする。防空訓練ではまず、これは訓練であるというむねの放送があって、サイレンが鳴るのはその後と決まっていた。いきなりというのは今回が初めてだった。


 サイレンは鳴り続ける。


 しかし、それだけに、確かに効いたとあさは思う。


 少なくとも、問題点はこれ以上ないほどはっきりと浮き彫りになった。サイレンが鳴ったらすぐに廊下に出てカメにならなければいけない決まりなのに、いざとなったらだれひとりとして身動きひとつできなかったのだから。どいつもこいつも訓練だと気づいて安心した今になってようやく面倒くさそうに廊下へと出て行く有り様だ。なかむらは今ごろ放送室で「してやったり」という笑顔を浮かべているのかもしれない。そんなことを思いながら、ふとの方を振り返り、


 そして浅羽はそこに、本物の恐怖の表情を見た。


 いつも表情のない伊里野の顔に浮かんだ、それはまさに、混ぜもののない生の恐怖だった。


 伊里野は腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。完全に追いつめられた者の目つきでサイレンを鳴らし続けているスピーカーを見上げ、立ち上がろうとしたはずみに机の足につまずいて顔から転ぶ。


 慌てて助け起こそうとした浅羽と、恐怖に塗りつぶされた伊里野の目が合った。


 サイレンは鳴り続ける。


 ──ひょっとして、


 伊里野は、このサイレンを本物であると誤解しているのだろうか。


「大丈夫だよ──」


 サイレンに負けないように、大声を出した。


 ──これは訓練だから。


 そう言おうとした。


 それよりもいつしゆん早く、浅羽を見つめている伊里野のひとみの中で、何かが決断された。

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