聴覚の一人称的性質の利用(音声類推法)

 一人称視点は、視点が肯定されているために情報の整理がしやすく、初心者が小説を書く際にも扱いやすいということがよく言われます。

 しかし、それは本当でしょうか。

 確かに、一人称は視点がめまぐるしく切り替わることがないために、突拍子もない文章を書く心配が少なくなります。

 一方で、一人称で描くことの出来る情報は非常に限られており、限られた情報のみで小説を動かすには様々な技術が必要になります。

 ただ、それでもなお一人称は一つ大きな強みを持っています。

 

 それは、『感情移入がしやすい』という点です。

 

 一人称とは、いわば視点人物と読者とが一体化している状態です。

 もちろん、あえてそれを逆手に取り、視点人物の奇矯な振る舞いに違和感を強める仕掛けをする小説もありますが、基本的に一人称は感情移入がしやすい描写方法です。

 ただ、一人称の効果を高めるためには押さえなければならない様々な技術が存在します。

 ここでは『イリヤの空UFOの夏その1』の『ラブレター』より、椎名真由美が保健室の電話で榎本に怒鳴りつけるシーンを取り上げます。

 並の作家ならば浅羽を眠らせてしまい3人称で描くであろうこのシーン。

 このシーンは朦朧とベッドの上に横たわる浅羽が視点人物を務めるという構成になっています。



 ①スリッパの足音がぺたぺたと保健室を横切っていく。②椅子にどすんと腰かける音、受話器を取り上げる音、電話機がガタつくほどの勢いで乱暴にボタンを押す音。③眠気にゆっくりと塗りつぶされていく意識の中で、浅羽はカーテンの外から聞こえてくる物音のひとつひとつを追いかけていた。

       秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その1』ラブレター

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885579795/episodes/1177354054885616296


 まず圧巻なのは冒頭の導入です。

 一見して気づくのは、すべてが聴覚情報による推測からなりたっている点です。

 これは、音という曖昧な情報を、あたかも事実であるかのように書くことで、相対的に『浅羽の認識』を浮かび上がらせています。

 ここで描かれているのは

 あくまで、すべてはでしかありません。

 椎名真由美が保健室を横切ったのも、椅子に腰掛けたのも、受話器を取り上げたのも、乱暴にボタンを押したのも、あるいは一瞬で部屋に入り込んできた別の人間がしたことかもしれません。

 しかし、これらを全てで描写することによって、視点人物との感覚の共有が極めてスムーズになったと言えるでしょう。



 ①ぶ厚い眠気の底で、浅羽はぼんやりと驚いている。

 ②榎本って誰だろう。

 ③ずいぶん長い間があって、ようやくその「榎本」が電話に出た。

④「――どうして電話したかわかってる?」

 ⑤ごく短い間、

⑥「はずれ! 勤務中にそんなことしてんのあんただけよバカ!」

 ⑦間、

 ⑧椎名真由美がせせら笑い、

⑨「とぼけちゃって。いいわ、ヒントあげる。いまここに誰が来てると思う?」

 ⑩短い間、

⑪「しらばっくれるのもいい加減にしなさいよ! あんたゆうべ浅羽くんにミストカクテル使ったでしょ!? どうしてそういう危ないことするわけ!? あれでもう何人も、」

 ⑫自分の名前に反応して、眠気の底に沈みかけていた浅羽の意識がわずかに浮上する。

⑬「知らなかったですむ問題じゃないわ!! もし万が一のことがあったらどう責任取るつもりだったのよ!? 虫を入れるにしたってほかにもっとマシな、」

 ⑭そこで唐突に言葉が途切れ、受話器から聞こえてくる弁解の言葉にじっと耳をかたむけているかのような、長い長い間があった。

 ⑮やがて、鼻から受話器に吹き込むようなため息が聞こえ、

⑯「――で、何を入れたの?」

 ⑰一単語分の間。

⑱「そう」

 ⑲間、

⑳「――いえ。無難な選択だと思うわ。わたしでもそれにしたと思う」

       秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その1』ラブレター

https://kakuyomu.jp/works/1177354054885579795/episodes/1177354054885616296

 次に注目すべき点は、「間」の使い方です。

 ⑦⑩⑭⑰⑲と、このシーンで作者は執拗なまでに

 間

 を強調して描写をしています。

 これは、浅羽の視点から見た電話の風景です。

 さらに、椎名のセリフに「はずれ」「とぼけちゃって」「しらばっくれるのも」と、相手と言葉のキャッチボールをしていることがはっきりと分かる間投詞的な言葉を入れることで、会話に真実味を持たせています。

 しかもそれを説明風には決してせず、あくまで浅羽が

 の世界を描ききっています。

 このように、主人公と読者との一体感を強めるためには、『情報の制限』をしっかりと行って、主人公と読者の感覚共有を図ることが重要であることが見て取れたと思います。


 いやあ、ほんっとに、秋山先生の文章は最高ですね。


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