ラブレター 4/19

 これはきっと、相手の神経か何かの具合を調べるテストなのだと思う。


 どれが本命の質問なのかをわからなくするために、ダミーの質問がどっさり混ざっているのだろう。それとも、質問には本命もダミーもなくて、何でもいいから次々とテーマを与えて考えさせることがねらいなのかもしれない。質問に何と答えたかは実はどうでもよくて、そのときにどんな反応を見せたかが重要なのかも。知らず知らずのうちに手がふるえるとか目玉がきょろきょろ泳ぐとか。


 だけど、


 それにしても、


「──それ、その質問って、絶対に六月二十四日じゃなきゃいけないんですか?」


 答えではなく、質問が返ってきた。


「気分が悪くなったとき、どうが早くなったりとかは?」


「──それは、なかったと思います」


「球形プラズマ、しんろう、観測気球。あなたが写真にるとしたらどれ?」


「──あの、」


「マンテル。チャイルズ=ウィッティド。その次は?」


 聞き覚えがある。答えが頭の中から転がり出てくる。UFOもくげき史上における三大事件。マンテル大尉ついらく、チャイルズ=ウィッティド目撃、


 だから三番目は、ゴーマン空中戦。


「気分が悪くなったとき、目の前が真っ白になったり、ちかちかする光が見えたりした?」


「──いえ」


「さっきからずっとあなたの後ろにいるのはだれ?」


 身動きもできない。


「幻覚やげんちようは? 自分の手の指が七本あるように思えたり、誰かがあなたの臓器を抜き取る相談をしている声が聞こえたりはしなかった? せんアダムスキーせきずい受信体、って言葉に聞きおぼえがある気はする?」


 保健室の外で、セミが鳴いている。


 ──何なんだ、この人。


 窓の外には、物の輪郭を白く溶かすほどの夏の日差しが満ちている。


 保健室の中はうす暗く、不自然なくらいに涼しく、古びた薬の匂いがかすかに漂っている。窓際のカーテンが音もなく風をはらんでゆうれいのようにはためく。そこかしこに目につく赤十字のマークはせい者を安心させるためのわななのかもしれない。喫煙の害を説く掲示物と病巣にまみれた肺のカラー写真、手術室を思わせるタイル張りのかべ、温かみのまるで感じられないベッド、戸棚の中に並ぶ毒々しい色のガラスびん、血も涙もない大きなピンセット、取りつく島もないだいとう製薬の蒸留水、何百人分ものしやぶつを受け止めて表情ひとつ変えなかった白い洗面器。


 考えてもみろ。


 くろ先生は、いつの間にかいなくなっていた。


 病気りようようのための長期休暇。


 あんなに元気そうだったのに。


 代わりにしい先生がこの学校にやってきて、あっという間に人気者になってしまった。


 すべては、宇宙人のいんぼうなのではないか。


 ここは、薬の匂い漂うせいけつな地獄ではないのか。自分の目の前にいるこの人も、実は宇宙人の手先ではないのか。椎名先生は確かによく見ればすごい美人だし、話のわかる感じだし、男子にも女子にも人気があるけれど、誰も見ていないところでは頭がぱっくり割れてそこから触手がびゅるびゅる飛び出したりしているのではないか。夜になるとこの保健室にはUFOが連れ去ってきた人々が運び込まれ、スリッパぺたぺた触手びゅるびゅるの椎名先生が血しぶき飛び散る恐ろしい人体実験を


「──あさくん? ねえ浅羽くんどうしたの!? また気分が悪いの!?」


 浅羽が我に返ったのは、大声で呼びかけられたからではなく、肩を揺すぶられたからでもなくて、しいの髪がほんのりと漂わせているシャンプーの匂いを感じたからだった。それほど近くにあった椎名真由美の顔がさらに近づき、ひたいと額をくっつけ合わせて浅羽の熱をみた。


「──だ! 大丈夫です平気です、あの、ちょっとぼんやりしただけです」


 途端に恥ずかしくなって、浅羽はあわてて頭を引いた。


「ほんとに?」


 椎名真由美は浅羽をじっと見つめている。


 ものすごく心配そうな顔をしている。


「──それじゃ、これを見て」


 浅羽の目の前にボールペンが突き出された。ボールペンのボディは透明なプラスチック製で、その中に赤い水着姿の金髪女性がいる。その水着が実は赤く着色された細かい砂でできており、浅羽の目の前で砂がさらさらと流れ落ちて、金髪女性はすぐに素っ裸になった。浅羽が思わず人生の意味について悩み始めると、


「ボールペンを動かすから、この先っぽを目で追いかけて」


 椎名真由美はボールペンを上下左右に動かし、浅羽の目の動きをじっと観察した。浅羽は動き続けるボールペンの先に意識を集中させようとしたが、いくらもしないうちに目のずっと奥のあたりに「じわり」とにじむような痛みを感じた。


「──頭が痛い?」


 浅羽がうなずく。椎名真由美は目隠しをするように右手を浅羽の顔に当て、左手を後頭部に添えて、浅羽の頭を仰向けにした。途端に目の奥の痛みが引いていく。


「もう痛くないでしょ?」


 浅羽がうなずく。椎名真由美は天井を仰いでしばし何ごとかを考え、小さくため息をつき、何かの結論が出たのか、「よし」と気合を入れてから立ち上がった。


「もう大丈夫だと思うけど少し横になって身体からだを休めた方がいいわ。それとこれ飲んで。よく眠れるから」


 有無を言わせぬ口調だった。黄色の錠剤がふた粒と麦茶の入った紙コップが差し出され、浅羽は言葉の勢いに押されて言われるがままにその薬を飲んだ。もたもたとベッドに横になってタオルケットをかぶる。


「ゆっくり休んでね」


 そう言って、椎名真由美は仕切りのカーテンを勢いよく閉めた。


 横になった途端に、身体のしんからじわりと眠気がき起こってきた。さっきの薬がもう効いてきたのだろうか。いくらなんでも早すぎる気がする。それとも、知らず知らずのうちにそこまで体力を消耗していたということなのか。


 仕切りのカーテンの外で、しいが小声で「──ったくもう」とつぶやいた。


 スリッパの足音がぺたぺたと保健室を横切っていく。にどすんと腰かける音、受話器を取り上げる音、電話機がガタつくほどの勢いで乱暴にボタンを押す音。眠気にゆっくりと塗りつぶされていく意識の中で、あさはカーテンの外から聞こえてくる物音のひとつひとつを追いかけていた。


 椎名先生が、どこかに電話をかけようとしている。


 自分が三限目の授業を休むことを先生に連絡しようとしているのかと思ったが、違った。番号のけたが長い。外線だ。どこにかけているのかは、もちろんわからなかった。


 眠い。


 電話の相手は、すぐに出た。


「──もしもし。バックアップの椎名だけど。そう、保健室の。──わかってるわ、あんたに言われるまでもないわよそんなの。いいからえのもとに、──ちょっと? もしもし!?」


 切りやがった、という椎名真由美のつぶやきが聞こえた。受話器のフックがたたきつけるように押され、再び乱暴にボタンが押され、しばらくしていきなり、


「てめぇざけんなよこら上司の電話たたっ切るたあいい根性してんなこの野郎!! っさいわね大きなお世話よさっさと榎、あ──もうっ!! いいからっ!! 何か言われたらあたしがケツ持ってやるからさっさと榎本出しなさい!!」


 ぶ厚い眠気の底で、浅羽はぼんやりとおどろいている。


 榎本ってだれだろう。


 ずいぶん長い間があって、ようやくその「榎本」が電話に出た。


「──どうして電話したかわかってる?」


 ごく短い間、


「はずれ! 勤務中にそんなことしてんのあんただけよバカ!」


 間、


 椎名真由美がせせら笑い、


「とぼけちゃって。いいわ、ヒントあげる。いまここに誰が来てると思う?」


 短い間、


「しらばっくれるのもいい加減にしなさいよ! あんたゆうべ浅羽くんにミストカクテル使ったでしょ!? どうしてそういう危ないことするわけ!? あれでもう何人も、」


 自分の名前に反応して、眠気の底に沈みかけていた浅羽の意識がわずかに浮上する。


「知らなかったですむ問題じゃないわ!! もし万が一のことがあったらどう責任取るつもりだったのよ!? 虫を入れるにしたってほかにもっとマシな、」


 そこで唐突に言葉が途切れ、受話器から聞こえてくる弁解の言葉にじっと耳をかたむけているかのような、長い長い間があった。


 やがて、鼻から受話器に吹き込むようなため息が聞こえ、


「──で、何を入れたの?」


 一単語分の間。


「そう」


 間、


「──いえ。無難な選択だと思うわ。わたしでもそれにしたと思う」


 から立ち上がる音、スリッパがぺたぺたと歩き回る音。電話機を手に持って歩きながら話しているのか、声が窓際の方に移動していく。


「ええ、違うわ。虫が当たってるんならもうとっくに死んじゃってるはずだから。詳しい検査でもしなきゃ断言はできないけど、ミストのフラッシュバックだと思う」


 間、


 窓を閉める音、


 さらに間、


「当たり前でしょバカ。とにかく、これだけは言っとくわよ。今のあたしは、あくまでも中学校のいちよう教員なんだからね。二日酔いの朝なんかトイレに隠れてブドウ糖打ってんだからね。なりふり構わず大っぴらにやってあんたの計画がぜんぶパーになってもいいんなら別だけど、ミストの過剰摂取オーバードースショックを赤チンとラッパのマークで何とかしろなんて言われたってぜったい無理だからね。へんに頼りにされても困るの。連絡のてつていは、もう、ぜったいに、これっきりにして。いいわね?」


 そして、一秒たりとも返事を待つことなく、殴りつけるような勢いで受話器がフックに戻された。


 保健室に静寂が戻った。


 窓からの光を背に受け、ベッドのすぐそばに立っているしいの姿が、仕切りのカーテンにうすい色の影となってぼんやりと浮かんでいる。カーテンを通してあさの姿が見えているかのように、椎名真由美の影は浅羽の枕元のあたりをじっと見下ろしている。


 やがて、


「──浅羽くん? 起きてる?」


 ちんもく


「あのね、ちゃ──、」


 椎名真由美はそこで言いよどみ、半ばひとり言のような口調でこう続けた。


さんと、仲良くしてあげて」


 そして、そのときにはもう、浅羽はとっくに眠り込んでいた。

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