自然な会話表現 「ながら」会話
日常生活の中で、他人と面と向かって話をする機会というのはどれほどあるでしょうか。
学校、職場、友人との食事、デート。
いずれの場面であっても、ただ会話のみをするという場面はほとんどないと思われます。
仕事をしながら、手慰みをしながら、食事をしながら、ゲームをしながら、手を繋ぎながら、身体を寄せ合いながらetc
実は、机を挟んで向かい合い、1対1で対決をするように会話をするというのは、現実の世界ではほとんどお目にかからないシーンであるのです。
では、小説の世界ではどうでしょうか。画面のある漫画や映画と違い、小説においては会話のシーンで登場人物達がどのような姿勢で話をしているのかを明示する必要がありません。
そのためか、「他に何もせずにただ会話をする」という描かれ方をするシーンがしばしば存在します。しかし、日常生活に立脚した自然な会話には、「別の事をする」という要素が不可欠でもあります。
ここでは、しばしば解像度が高いと言われる秋山先生の会話描写に注目し、イリヤの空UFOの夏『第三種接近遭遇』より浅羽と晶穂の会話を取り上げます。
①「『コックリさんに聞け! 試験問題予想実験!』だろ。あれはボツ」
②「どうして!?」
③晶穂が思わず声を荒げたことに、浅羽は少し意外そうな顔をした。④たった三人しかいないこの新聞部にも派閥があるとするなら、水前寺が保守派で晶穂が改革派である。⑤「真面目な紙面」を目指す晶穂なら、何であれ水前寺の手になる企画がぽしゃったら喜ぶだろうと浅羽は思っていたのだ。⑥烏龍茶をひと口含み、まだ何か言うのかなと思って上目づかいに晶穂の様子をうかがった。⑦晶穂はぷいと目をそらし、浅羽が来るまで座っていたパイプ椅子に乱暴に腰を下ろす。⑧目の前にはラップトップ型のパソコンがあって、書きかけだった「子犬あげます」の記事の中ほどでカーソルが点滅している。⑨晶穂はキーボードに手を乗せ、いきなり、
「だって浅羽、色々調べたり準備したりしてたじゃない。あれぜんぶ無駄ってこと?」
秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏その1』第三種接近遭遇 p46
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885579795/episodes/1177354054885590506
このシーンでは、晶穂は浅羽と会話をすると同時に、「子犬あげます」の新聞記事を書いています。⑦⑧において、晶穂は浅羽との会話を切り上げて新聞記事の方に意識を移しているかのように見えます。しかし、⑨において唐突に会話が蒸し返され、話が再開することになります。
前後を読めば分かるのですが、このシーンには、晶穂の浅羽への好意が隠されています。
晶穂が水前寺と対立しているにもかかわらず、その企画がぽしゃったことを喜べないのは、「浅羽が頑張って準備をしていたから」です。
しかし、その想いは晶穂自身ですらはっきりと自覚してはおらず、浅羽に対しては完全に隠されているものです。
そのため、晶穂は思わず声を荒げてしまってから、はたと困ってしまったのでしょう。このまま浅羽の肩を持つような発言を続けたら、「晶穂が浅羽のことを好き」だと思われてしまうのではないか。
だから、晶穂は話を切り上げて素っ気ない素振りで「子犬あげます」に戻ろうとしたのでしょう。
しかし、結局、この程度なら大丈夫だと判断したのか、それとも、堪えきれなくなったのか、長い逡巡の後に話を蒸し返すことになりました。
このように、会話の中で内面の心理描写を行う事が出来るというのも、「ながら会話」を用いる利点であります。
さらに続きを見ていきましょう。
(中略)
烏龍茶を一気に飲み干し、「さて」と勢いをつけて浅羽は立ち上がった。卒業アルバムの山の上から何冊かを手にとってばたんとテーブルに置く。
「でも、今度のもなかなかいい企画だと思うんだ。ほら、古い写真ってそれだけでちょっと気味が悪いところあるしね、それっぽい写真にそれっぽく囲みをつけるだけでもかなり説得力のある一枚にはなるはずだよ。それがほんとに心霊写真なのかどうかはともかくさ」
「とか何とか言っちゃって」
晶穂はそう言って、「子犬あげます」の続きに戻った。浅羽は意味をつかみかね、
「なんだよそれ」
大切にして下さる方のみにお譲りいたします、とローマ字入力し、そこでやっと晶穂は液晶画面から顔を上げて、じっとり湿った目つきで浅羽をにらんだ。
「なあーにが『本物かどうかはともかく』よ。わかってんだから。もうバレバレなのよ、あんたいっつも『ぼくはしかたなく部長につきあってるんです』って顔してるけどね、ほんとはあんただって嫌いじゃないのよそういうの。超能力とか幽霊とか」
生後二ヶ月オス雑種、責任をもって飼っていただける方に、
「その企画あたし手伝わないからね。ふんだ、知らないから(省略)」
浅羽に対する隠した好意と苛立ち、水前寺に対する敵対心。放課後の部活の雰囲気と二人の動作。単なる会話だけでは単調になるシーンが、「ながら会話」によって解像度高く見事に描き出されています。
こうした日常の何気ないシーンですら、秋山先生の手にかかると超絶技巧が満載の名シーンとなってしまうことに、戦慄を覚えずにはいられません。
一体、何をどうすればこれほどまでに平易な表現で情報量の多い文章を書けるのか、分析すればするほどわからなくなりますが、地道に秋山先生の既刊本を拝読し続けたいと思います。
そしていつの日か、新刊をこの手に……。
十二国記がついに完結いたしました。
秋山先生の復活を期待せずにはいられない今日この頃です。
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