交わらない他者との距離が埋まる瞬間
秋山先生の作品には、しばしば「交わらない他者との距離」というテーマが扱われます。
猫の地球儀では、誰もが持つ「自分の中の他者像」が他人への押しつけになることを「いい」でも「悪い」でもなく「悲しいこと」と表現し、DRAGON BUSTERでは、王族の少女と被差別民の交流が悲劇的な結末を暗示させながら描かれます。
その中にあって、本来ある絶望的な距離を埋めて「家族」「相棒」「友達」になりうる存在としてロボットというモチーフが描かれています。
以前、E.G.コンパットを取り上げた際に登場したGARPはもちろんのこと、猫の地球儀のクリスマス、海原の用心棒の
『鉄コミュニケイション』は、たくま朋正原作の漫画のノベライズです。
漫画のノベライズというと、原作の人気にあやかった無難なコンテンツと思われがちですが、この『鉄コミュニケイション』は、ノベライズという羊の皮を被った三つ首の怪物といっても過言ではありません。
もはや、はじめから秋山瑞人原作なのではと思わせるほど、登場人物たちが「生きて」いるのです。
この作品は実は、ノベライズという既成概念を打ち崩した作品として、未来永劫語り継ぐ必要のある傑作なのではないか、と私は考えています。
今回はその一端を紹介し、秋山節の重要な要素だと思われる「縮まらない他者との距離」というモチーフの裏返しである「絶望的な距離が埋まる瞬間」を取り上げます。
ただ、今回取り上げるのは、文章技法というよりもモチーフであるため、内容面に踏み込む必要があります。
『鉄コミュニケイション』未読の方は、ご注意ください。
以下ネタバレあり
『鉄コミュニケイション』は、コールドスリープから目覚めた人類最後の生き残りハルカが、5体のロボットたちと暮らす日々を描いた漫画であり、ノベライズの本作では、軍用ロボットの生き残りであるルークと、ハルカと全く同じ顔をしたロボットのイーヴァがハルカたちのもとへやってくるところから始まります。
途中を省略しますが、様々な出来事の後にイーヴァは敵ロボットに連れ去られ、ハルカは救出を進言しますが、ロボットたちには全く聞き入れてもらえない、
そんな中、ハルカは「自分が人間で、イーヴァがロボットだから」「人間が偉くて尊いから」という理由でロポットたちが救けにいこうとしないのだと主張し、ロポットたちが自分を大切にしてくれる理由も「2が1より大きい」というような無条件で機械的な理由に過ぎないのだと悲嘆にくれ、ハンガーストライキを決行します。
(ハルカの日記より)
①わたしが人間だから。みんなロボットだから。ただそれだけの理由で、みんなはわたしのことを守ってくれていたのかもしれません。みんなは、ロボットよりも人間のほうがエラくて尊いって思っているのかもしれません。みんなは、わたしのことが好きだからじゃなくて、わたしが人間だから、自分たちロボットよりもわたしのほうがエラくて尊いって思っているから、だからわたしを守ってくれていたのかもしれません。
②2は1より大きいからっていう、ただそれだけのリクツだったのかもしれません。
(中略)
わたしは、そんなふうに守ってもらうのはいやです。そんなのはサベツです。自分たちよりもわたしのほうがエラくて尊いなんて考えるのはヒクツなドレイ根性だと思います。
③そんなの家族じゃないと思います。
(このハルカの主張に対しての回答が、別のシーンでロボットたちのブレイン役であるクレリックの口から語られます)
「たった今、正確には三分ほど前のことですが、ハルカ様の健康状態を監視していたルーチンが『準優先警告』を吐きました。これはどういうことかというと、ハルカ様に今すぐ適切な処置を施さなければ、むこう七十二時間以内の生存確率が70%を割り込むということです」
(中略)
④「ですが、今回ばかりは我々はハルカ様を救けません」
(中略)
⑤「実際のところ、このドアを蹴破って部屋に踏み込んで、ハルカ様を眠らせて、強制的に栄養剤を点滴することはたやすい。また、ハルカ様の言葉に盲目的に従ってイーヴァの救出を強行することも、我々にとってはたやすいことです。我々はロポットで、ハルカ様は人間ですからね。しかし、我々は奴隷で有りたいわけでは決してない。奴隷の主人に甘んじるハルカ様であってほしくもない」
(中略)
⑥「結論を申し上げましょうか。早い話がですね、我々とハルカ様の立場には毛ほどの違いもなく、奉仕隷属強制命令したりされたりするくらいなら死んだほうがマシであり、つまるところがアイザック・アシモフはクソして寝ろってわけですよ。我々は、我々自身の意志を肯定するように、ハルカ様の意志も肯定します。ロボットであるか人間であるかに関係なく。同じ思考する物体として、どこまでも対等の存在として、我々はハルカ様の意志と行為を肯定します」
そして、クレリックは、ドアを突き破り、家中に響き渡るような大声で宣言した。
⑦「我々は、ハルカ様の圧力には断固として屈しません。ハルカ様に盲目的に従うことも、ハルカ様を一方的に守ることもしません。ハルカ様が自らハンガーストライキを断念し、自らを求めるのでない限り、我々は絶対に手を出しません。これが、我々の総意です」
⑧言葉は忘れた。
⑨クレリックの宣言は、ドアを突き破り、家中に響き渡り、福音となってハルカに届いた。
⑩このドアの向こうには、自分の家族になってくれる「ひと」がいるのだ。
⑪目の前が、涙でぐしゃぐしゃに歪んだ。こらえきれなかった泣き声と笑い声が、一緒になって口からあふれた。
秋山瑞人(1999)『鉄コミュニケイション②』p225~
いかがでしょうか。
おそらく、これが私が秋山作品でもっと好きなワンシーンです。
中略が多すぎて伝わらない部分も多いかと思いますが、以下、考察をしていきます。
まず、①はハルカの独白です。
この文の特徴は「~かもしれません」を多用している点です。
秋山先生の作品では、「他者との距離」を演出する際に、こうした推量形を用いることが多々あります。
②においては、秋山先生独特の比喩で、論理に従って生きるロボットと人間の情との差を表現し、ハルカの孤独感を浮き立たせています。
ちなみに、この比喩は、敵であるナイトとビショップがともに行動している理由の際にも用いられており、重層的な表現を生み出しています。
そして、③において語られる「家族」という言葉は、原作である漫画から引き継ぎ、ここまで小説版が丁寧に描いてきた「ロポットと人間の家族の物語」の否定となっています。
こうしたハルカの孤独に対し、クレリックは④で「救けない」と宣言をすることで救い出すという非常に美しい構成になっています。
強い意志を表現する方法として「あえて破滅的な状況に踏み込む」という手法は非常に有効です。
それを最も端的に表しているのはジョジョの奇妙な冒険の名言「だが断る」だと思いますが、ここではそれと同等の効果が生み出されていると感じます。
そして、⑥は実に秋山先生らしいセリフで、まさに秋山節全開というところでしょう。
普段品行方正な先生キャラであるクレリックが見せる意図的な口汚さ。
そこには、思考する物体としての強い意志と誇り、そしてハルカへの愛情が感じられます。
そして、原作のキャラクターを崩さないまま、「感情の盛り上がりによって見せた異なる一面」という路線で生きたキャラクターを作り上げているのは驚嘆すべき点でしょう。
さらに、『思考する物体として対等』という表現も、何気なく使われていますが、男女、人種、障害の有無など様々な差別を超えた非常に深い一文です。
そして、⑧の「言葉は忘れた」という一文は、三人称では、ともすれば「ハルカは言葉を忘れた」と書いてしまいがちな箇所です。
あるいは「言葉を忘れた」。
「言葉は忘れた」という一文、ここには主語として「ハルカ」が省略されているわけではありません。
つまりこれは、描写ではなく独白なのです。
三人称の地の文に、描写ではなく独白を忍ばせる。
それによって、文章の一人称性が高まり、より強い感情移入を導くことができるのでしょう。
そして、⑨⑩⑪では、③で否定された「家族」という概念が、福音となってハルカを包みます。
いかがだったでしょうか。
私は、一番ライトノベルとしての完成度が高い作品は『イリヤの空UFOの夏』
一番凄い作品は『E.G.コンパット』
一番おすすめの作品は『猫の地球儀』
だと思っていますが、
一番好きなのはこの『鉄コミュニケイション』です。
絶版となって久しいこの作品ですが、ぜひ復刊をしていただき、日本中の人に見てもらいたい、歴史的な一冊として未来永劫語り継いでもらいたい、そんな作品です。
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