妄想による不安の表現
休校対策の一貫で「キミラノ」でイリヤが1巻分読めるそうです!
https://kimirano.jp/kakuyomu_contents/work/117
とはいえ、カクヨムで2巻の序盤まで読むことができることを考えるとあまり意味がないのかもしれませんが、少しでも秋山先生の作品が世に広まることを願っています。
渇きの声で世界が満ちれば、ぞれだけ新刊の降臨が近づくかもしれません。
さて、今回は、妄想表現を取り上げようと思います。
以前にも、妄想の表現取り上げましたが、https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054888318676/episodes/1177354054891259734
前回がコミカルな妄想だったのに対し、今回は、不安や恐怖を伴った妄想を扱います。
一人称的な思考として、漠然とした不安や恐怖というのは大きく心を揺さぶる要素になり得ます。
それはちょうど怖がっている人を見ると自らも怖くなってしまう心理と関係があるのかも知れませんが、恐怖感というものは一人称で描写することによってその強度を増すように思われます。
ここでは『正しい原チャリの盗み方(後編)』より、浅羽夕子が伊里野の得体の知れなさの一端に触れた後、それを自らの想像力によって増幅してしまうシーンを取り上げます。
①思考が妄想の中に墜落した。②たとえばセミの鳴く昼下がり、誰もいない廊下を夕子は歩いている。③廊下の行き着く果てには校舎の正面入り口があって、伊里野加奈がこちらに背を向けて受話器を耳に当てている。④その足元にはバレーボールが転がっており、伊里野加奈は人間には不可能に思える角度で首を右に傾けており、受話器から漏れる女の声は夕子の耳にも微かに聞こえてくる。⑤お客さまのおかけになった電話番号は現在使われておりません、⑥番号をお確かめになってもう一度おかけ直しください。⑦今すぐ逃げようと夕子は思う。⑧しかし身体が動かない。⑨やがて、伊里野加奈の受話器から漏れ聞こえていた女の声がこんなことを言う――背後をお確かめになってもう一度おかけ直しください、お客さまの背後に誰かがいます。⑩突然、伊里野加奈が獣のように振り返る。⑪顔面から首にかけて、何十枚もの絆創膏がびっしりと貼り付けられている。⑫目も鼻もないその顔に唯一残された口だけが耳まで裂けて夕子を
「⑬この電話の話はバスの話ともからむ。⑭さっき言った新しい路線の新しいバス停には、不思議なことに必ず電話があるんだな」
⑮水前寺の声に救われた。
秋山瑞人(2001)『イリヤの空UFOの夏 その2』正しい原チャリの盗み方(後編)p37
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885579795/episodes/1177354054886002241
まず、現実から思考の世界に足を踏み入れたことの目印として①の一文があります。
ここでは墜落という比喩を使ってその事が表されています。
墜落には『死』『地獄』『逆さま』『脱出不可能』などの関連する言葉が存在するために、この暗喩によって夕子は逃れられ難い恐怖の世界に落ち込んでしまったことが示されます。
②では、一旦思考を泥沼から話して客観的な視点を持ち始めます。
いつどこで、誰が何を、と基本的な順番通りに描写を行っていきます。
この時のカメラワークは客観描写で、外から夕子を見ている印象になります。
③では、行き止まりという存在を書き込んで恐怖を煽っています。
④のこの一文を書くにはかなりの描写力が必要になるでしょう。
一旦注目している対象物から視線を離し、足下に転がるバレーボールに注目するのです。
それによって脳裏に描かれるのは、顔の隠された伊里野です。
これは漫画などでもしばしば使用される表現ですが、登場のワンシーンに一コマを挿入することで溜めを作ることが出来、その後の描写がより強い効果を持つのです。
「予期」を利用した高度なテクニックだと言えるでしょう。
そして、次の描写において伊里野は「人間には不可能に思える角度で首を右に傾けて」いるのです。
⑤⑥は、一般的な繋がらない電話の応答があり、これが⑨の伏線となっています。
ここで、②~⑪まで、妄想の中に墜落しているシーンが全て現在形で書かれている点にも注目すべきでしょう。
妄想とは自分の脳裏に映った像を見ているのであって、距離的には非常に近いものになります。
特に、過去を思い出す追憶と異なり、妄想では今まさに創造されつつある世界を体感しているのです。
そのために、臨場感の高い妄想を表現するには現在形で描写をする必要があるのだと思われます。
しかも、その描写方法は、印象的なコマを大写しで映すかのように⑪⑫と続き、緊張感が最も高まったところで唐突に終わります。
それはちょうど、夢の中から現実に引き戻されたときの感覚とぴったり符号します。ここでのポイントを総合すると、
(1)導入部分で思考の中に「墜落」させる仕掛けを作ること
(2)全体を現在形にし、臨場感を持ってまとめること
(3)文章にタメを作り、「登場」を演出すること
(4)日常的な言葉をもじって恐怖の言葉を作ること
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