【UFOの日】描写しない描写

 また、この日がやってきました。

 前回の更新もUFOの日だったことを考えると、もう1年も更新していないとは、信心が足りないのかもしれません。。。

 今も先生がEGFの原稿と格闘していることを確信しながら、再びイリヤを開いて更新をしたいと思います。


 さて、絵画は視覚の芸術、音楽は聴覚の芸術、というのを否定する人はほとんどいないかと思いますが、では、小説はどの感覚の芸術なのでしょうか?

 文字を読む、という意味では視覚でしょう。

 ただ、言葉が音として再生されるという意味では聴覚的でもあります。

リズムやタイミングなど音の時間性を踏まえての技法も多々ありますし、「情景が目に浮かぶような」という形容があるように、視覚的な表現に関わる技法も多くあります。

 そうした中で、小説が他の媒体と大きく異なる点が一つあります。

 それは、小説に関わるすべての感覚は、あくまで「文字を媒介として呼び起こされた、読者の想像の産物」だということです。そういう意味では、小説を読むという行為は、記憶や経験と切り離しては語れないことになります。

 

 今回とりあげるのは、イリヤの4巻から、逃避行の最中に立ち寄った駅で、絶体絶命の状況に置かれた際に、駅員のお姉さんの助力で「最後の道」が見え始めた際のやり取りで、ここで使われているのは、表情や行動を直接描写をせずに読者の想像に委ねた技法です。これも、秋山先生が目指す「小説でしかできない表現」の一つだと私は思います。




 この人は、自分たちに最後の道を教えてくれたのだと思う。たとえその道の先に何があっても、この人にるいが及ぶようなことがあってはならない。

① 「ぼくも知らないって言います。拷問されてもしゃべりませんから」

②「なぁーにを偉そうに。拷問なんかされたら人間なんでもしゃべるっつの。だいたいね、あんたみたいなガキなんか拷問するまでもないわよ」

③ 調子に乗って威勢のいいセリフを口走ったことが急に恥ずかしくなって、浅羽はことさらに不愉快そうな顔をした。それを見た駅員は鼻息で笑って、ガラステーブルの上に身を乗り出して、

④「何か言いたそうじゃん。よし、それじゃテストしてやる」

⑤「テスト?」

⑥「そう。テスト。あんたがどれくらいヒミツを守れる男か。用意はいい?」

浅羽あさばは腹に力を入れて何が来るかと身構える。

⑧「――いいよ」

⑨「あの子のこと好きなんでしょ?」

⑩「!!っ」

⑪その瞬間しゅんかんの浅羽の顔を見て、駅員は五分以上笑い続けた。

            

             秋山瑞人(2003)『イリヤの空 UFOの夏その4』p197


 このシーンの肝は、もちろん⑪になります。

「その瞬間の浅場の顔」という文言は、実は何も描写をしていません。それがどんな表情だったのか、質的な表現は何もされていないにも関わらず、いかがだったでしょうか?

 これほどまで多彩な情報量を伴って脳内に迫ってくるのは、ほとんど奇跡としか思えないバランスによって成り立っているのだと思わずにいられません。

 読者の脳裏には、浅羽の不意打ちをされて衝撃とともに顔を赤らめる表情がありありと再生されているかもしれませんし、まったく違う表情を想像したかもしれません。それよりも、浅場自身の気恥ずかしさや、身構えた末の「してやられた」という感情などに同調したかもしれません。

 そして、「駅員は五分以上笑い続けた」という表現も、極めて小説的な加速表現です。5分間を一瞬で表現することによって、浅場が見せた表情の「度合い」を端的に表現するとともに、俯瞰表現としてズームアウトすることによって表現に余韻を持たせています。

 この表現が成り立っている一番の理由は、強烈に差し込まれた駅員の「テスト」である⑨「あの子のこと好きなんでしょ?」という言葉のあまりの破壊力があるからです。

 そもそも、この「イリヤの空UFOの夏」という物語において、浅羽はこの時点ではまだ一度も「伊里野のことが好き」だとは口にしていません。口にしていないどころか、浅羽自身の内面描写の中にさえ、一度もはっきりとは言語化されていない非常にデリケートな感覚です。たた、

 伊里野の助けになりたい

 伊里野がそこにいてくれればそれでよかった

 こういう想像に伊里野を持ち出してはいけない

 など、直接的な表現を避けつつ浅羽の心の深いところに伊里野がいることは読者には周知の事実として認識されています。

 そして、この駅員とのシーンは、浅羽の罪悪感と劣等感からくる罵倒によって、伊里野が決定的に破壊されてしまい、退行症状を発症してしまったあとのシーンでもあります。


 そうした中で投入された「あの子のこと好きなんでしょ?」というテストは、あまりにもズルく、そして、短い時間の中でも駅員が浅羽の「青さ」の中に青春の匂いを感じ取ったことが推測されます。

 

 はじめから見てみましょう。このシーンでは、浅羽は特に「青い」少年として描かれています。①の「拷問されても」という決意の籠もった言葉は、大人の視点からは微笑ましく思える未熟さに映ります。②の最後の「あんたなんか拷問するまでもない」というセリフでテストへの流れを作り、③で浅羽が「ことさらに不愉快そうな顔」を作ったのも、子供っぽさを強めています。

 そして、④~⑧の掛け合いは、リズムやタイミングをはかる上ではこの上ないやりとりになります。「テストしてやる」という言葉に「テスト?」と返し、「そう、テスト」と続ける。こうした決まり切ったやり取りでリズムを作られた後、⑦のように身構えたのは、浅羽だけではないはずです。

 私たち、読者は、浅羽とともに、次の質問を身構え、身を固くしたはずです。

 そして、そこに不意打ちのように差し込まれる ズルい質問。

 

 緊張からの、してやられた、という感覚。

 そして、物語冒頭から自分でも言語化できていなかった「伊里野が好き」という感情。それを会ったばかりの他人に指摘されてしまった気恥ずかしさ。シーンの最初から描かれていた「青さ」と相まって、

 「その瞬間の浅羽の顔」

 は、読者の脳裏に圧倒的な情報量と含意をもたらします。


 1年ぶりの更新になりましたが、やはり、イリヤを読み返すたびに秋山先生の偉大さを再確認せずにはいられません。

 

 しかし、EGFはついに名指しで書いているとの情報が出ております。

 ここまで来たからには、たとえどれほど時間がかかろうとも、出版がなされるその日を待つのみです。決して、プレッシャーをかけるのではありませんが、祈りを届けるために対空ミサイルのように6月24日の空に叫んで終わりにしたいと思います。

 

 EGFマダ------------------------------------------------------------!

 からり、とっ。


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ノーベル文学賞をとりたいなら秋山瑞人に学べ!! 我道瑞大 @carl

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