第35話 この世で最も強い獣

「………な……!」

 セシルは、初め何が起きたのか理解できなかった。

 応援要請のあった、南西部へ着いて。『それ』を目の当たりにした。

「……なんだ……これは!?」


——


 バリンと、破裂音が鳴る。窓ガラスを割った音だ。

 その音の出た方向を、魔物達は反射的に見る。

 瞬間、空を飛ぶ魔物は『気絶』し、地上へ落ちてくる。

「——あぁっ!」

 そこを、急所目掛けてナイフを振るう。

「おらぁ! 次だ!」

 その男の名は、ヒューリ。右腕を失った彼が、空飛ぶ『魔物』を、次々に『墜として』いっている。この場は完全に、彼に支配されていた。

「——はぁっ! はぁー!」

 息を荒くして、よろよろと足元もおぼつかない。肩や脚からは出血しており、ぼたぼたと地面を赤く染めている。

 相手は家と同じ大きさの怪物である。『かすった』だけでそうなる。寧ろそんな状態でよくも、『屍の山を築いている』のだ。

「…………!」

 それを2、3度見たセシルは。

「……死ぬぞ、あいつ」

 まず、その感想が出た。

 恐らくギリギリの所で『気を失っていない』のだろうと。弱い弱い人族。それがもう満身創痍だ。次に『かすれば』もう耐えられないだろう。

「……あ……!」

 だがヒューリは。

「あぁ……っ!」

 大きく、裂けるほど口を開けて。

「あああああああああ!!」

 叫んだ。

「俺は! 人族の【怒りヒューリ】だぁあ!!」

「!?」

 まだ、戦うつもりだ。セシルはとうとう戦慄した。

 ……亜人(自分達)は、こんなことをしない。自らの咆哮で己を奮い起たせ、自分の力量を超えた相手に攻撃をするなど。

 そんな、『生存本能に反すること』など。


 ——そう。


——


「我らには、『古代人かみさま』が付いている! 怯むな! 祈れ! 進めぇ!」

 『竜の峰』麓での合戦でも。

 大勢の人族が、勝てない筈の亜人に対して『本気で攻めて行っている』。

「祈れ! 祈れぇ!」

「おおおおおおおっ!」

 皆、死ぬことなど恐れない。負けることなど考えていない。

「これは! 我々が遥か昔に『失』った『神』を! 取り戻す戦いだ! 恐れるな! 行けぇ!」

 脳内麻薬に酔いしれ、恐怖を打ち消し、勇猛果敢に進む。

「くそっ! こいつら!」

「気持ち悪いな、もう!」

 獣人兵達も狼狽えている。弱いのだ。確実に弱い。だが『怯まない』姿勢に、困惑している。

「…………レイジっ!」

「ああっ!」

 その様子を。『人族が眼をギラつかせたまま殺されていく光景』を横目に眺めながら、ウェルフェアはレイジにへばりつくように馬を走らせる。

「これが『宗教』だ。彼らは死ぬまで止まらない。これが……『神』の【威力】だ」

「そんな……!」

「俺はある人から、これを教わった。『意志の統率』にはこれ以上無いほど便利に使わせてもらった。亜人社会には無いらしいな」

「ないよっ! こんな……こんなこと!」

 負けると。勝てないと。死ぬと。『ひと目で分かる』のに、【彼らは負ける気など一切無い】。一兵卒に至るまで全員が『こう』なのだ。

 胸を貫かれようと、首を切られようと。動けるなら攻撃を狙う。相討ち上等。死を恐れぬ軍団は、確実に敵の戦意を削いでいく。

 この世で最も意志の強い『獣』。己の力も弁えず襲い掛かってくる『狂った獣』。

 その子孫達。

「こんな、『人を狂わせる魔法』なんて!」

 ウェルフェアの言葉は、核心を突いていた。魔素を使って行うものだけが魔法ではない。人族にも使える魔法がある。

「だが向かう先は破滅じゃない。きちんと、この神は『存在する』。その為の『道』だ。さあ、そろそろ雷雲に差し掛かるぞ」

 ゴロゴロと、空は嘶いている。まだ昼前だというのに、向かう先は暗い雲の下。

「…………!」

 すぐに倒して、戦いを終わらせてやる。ウェルフェアはそう強く決心した。


——


 だが。

 この世は。

 意志などではどうにもならないことの方が多い。それも圧倒的に。

「……がっはっは」

「…………ちっ」

 ふたりが雷雲の下に辿り着いた時。辺りは全て、黒く焦げた石と、引き裂かれた跡のある地面が広がっていた。既に『彼ら』は交戦中だった。

 互角で。

「妙な技を使うのは人族奴隷だけじゃ無かったようだなぁ。小僧」

 迫力。威圧感。『そんなもの』が実際に見えるようだと。ウェルフェアは思った。輝竜王ライルの視線の先に居る獣人族。全身の毛を逆立たせ、炎を纏っている。

「ふん。……でかぶつ」

「口が悪いな、『世界の王』よぉ」

 まるで爆心地のような場所で、ふたりは睨み合っていた。数人の兵士や戦士が巻き込まれ、倒れている。

「俺は! 獣王! 『ヴェルウェステリア』だ! しょんべんくせえトカゲなんぞに負けるかよ!」

 上半身裸の大男。全身に逆立つ灰色の毛が生えており、燃えるように揺らめいている。頭からはピンと立った、ふたつの獣耳。

 現『爪の国』国王、ヴェルウェステリアである。

「ふん。弱い犬ほどよく吠える」

「ああ!? んだそりゃ!」

「『ことわざ』だよ。知らないんだね」

「知るかっっ!」

 ヴェルウェステリアの爪が肥大化した。身体強化の魔法を極めれば、爪は剣になる。それを以て、『最強の獣』がライルへ斬り掛かった。


——


 大地は裂け、岩は砕かれ、風が渦巻く。

「…………!!」

 本能が。

 生命の危機を告げている。

 ウェルフェアは固まってしまった。目の前で行われている闘争は、もはや自分がどうこうできるような物ではないと。

 所詮自分は『か弱い雌』なのだと『思い知らされる』ような、そんな闘争が視界に広がっている。

「あれが今の獣王、『ヴェルウェステリア・ライカ』か。……オオカミ、か?」

「…………」

「ウェルフェア?」

 レイジは、そんな彼女の心情は分からない。寧ろ、その闘争を見て平常でいられる彼にも、驚きを隠せない。

「……ごめん。えっと」

 だが。

 初心を思い出す。自分の頬を叩く。これは彼女の中の半分の理性がそうさせた。

「……そうだよ。私もあいつも、『狼毛』が基本的に王族。だけど『灰色』だね。遠縁になるかな。普通は継承権無かったようなやつ。私の祖父(前王)も私と同じ『赤色』だったから」

「……ふむ。だが強いな。今まで見た獣人族の誰より素早く力強い」

「だろうね。私も、そう思う」

「…………」

 レイジははたと、彼女を見る。冷や汗をかき、よく見なければ気付かないほど小刻みに震えている。

 恐怖の色だ。

「なに?」

「いや。……大丈夫か?」

 実力的には、恐らくライルの方が上だろう。決着にはまだ掛かりそうだが、あの『雷』を御せる動物は存在しない筈だ。

 だがウェルフェアは、ライルではなく獣王に対して恐怖している。

「ふぅ……。大丈夫だよ。ありがとう」

「よし」

 良くは、無い。

「行くぞ。ヴェルウェステリアを討つ」

 ヴェルウェステリアは、ウェルフェアの遠い親戚だ。

「——うん」

 だが、彼女は覚悟している。

 何が目的で、それを達成するために何が必要で、自分は今ここで何をすべきなのか。

 きちんと、理解している。


——


 そして、『普通』に。

 竜王と獣王の戦いに割って入れる『人族』の男を。

 レイジを見て、ウェルフェアは素直に凄いと思うのだ。

「うおおおおっ!」

「!」

 レイジは魔道具を抜いた。背丈ほどもある、巨大な肉厚の剣。彼が殺したエルフの『魔石』が3つ並んでいる。それは単純に、『3人分』の魔法の威力となる。

 突風が巻き起こった。風の刃は槍となり、雷雲を突き破って太陽を覗かせる。

「あん!?」

 激しく砂や小石を巻き上げる。

「なに!」

 彼らの戦いを止めるには充分な『インパクト』があった。

「…………よぉ、おふたりさん」

 4つの視線を受けてなお、一切怯まずにレイジが話し掛ける。不意打ちなどせず。正々堂々と。

 それは人族では『あり得ない』戦い方だった。

「あぁ? 雑魚奴隷じゃねえか。死にてえのか」

「(……レジスタンスか。あの魔道具。ということは奴がボスの……)」

「おお、怖いな。死にたくはない。……が、お前も俺を放っとけないんじゃないのか?」

「……はぁ?」

 ライルが注意深く観察するが、ヴェルウェステリアは威圧する。

「……!!」

 だが見付けた。ふたりとも。

 彼らの刺すような視線は、声を掛けた大男の『隣の少女』へ移った。

「な……!」

「おま……っ!!」

 赤い髪。ぴょこんと獣耳。人の顔に、腰から尻尾。

「——『汚点ウェルフェア』!!」

 爪の国が。

 追い求める『獣王』の血筋にして、忌むべき『奴隷』の子。

 ヴェルウェステリアが真の王となるのに必要としている存在。

 アスラハが、『新世主』となるのに必要としている存在。

 社会変革の鍵のひとつ。

「……こぉんな所に……なあお前」

「……! あんた、『ライカ』の出でしょ! 王家じゃないよ!」

 ぺろりと舌を出した。まさに、喉から手が出るほど『欲しい』のだ。血を絶対とする獣人族にとっては。

 王家唯一の生き残りである彼女が。

「『だから』、お前を娶って王になるのさ。さあこっちへ来い。ウェルフェアぁ!」

「……!」

 手を広げて吼える。もう、その凶悪な口からは涎が垂れている。ここへ来たのは間違いだったかもしれないと、そう思わせるほど……ヴェルウェステリアの様子が一変した。

「【俺は】」

「!」

 また、疾風が一陣吹き荒ぶ。

 鋭い矢となったそれは、ヴェルウェステリアの頬を掠めた。

「……てめえ……!」

 わなわなと、怒りを震わせる。雑魚が邪魔をするなと。

 だが。

「!」

 彼から『感じられる』空気の方が、『遥かに濃い』。

 ライルはびりびりと、その振動を感じていた。『こんな人族』は、さっきも見たと。

「俺は人族の【怒りレイジ】だ。——なあ獣王。『俺はお前の国から来たんだ』。人を人とも思わない、イカれた国から」

「あぁ!? 雑魚が! 意気がってんじゃねぇぞ!」

 表情は、笑っている。だが血管が浮き出ている。握り潰すかと思うほど魔道具を握り締め、ヴェルウェステリアへ翳すレイジ。

「——ライル王。不本意だろうが助太刀する。貴方は早く、貴方の姉御ともう一度『話す』べきだ」

 呟いたその言葉に。

「……!?」

 ライルの思考は停止した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る