第38話 竜の女王に好かれた男

「………………」

 草原に立つ少女。

 陽は昇りきった。彼女の短い影が、視界に差し込んだ。

「……がはっ! ……はぁ、はぁ……。……ちっ」

 倒れる大男。

 舌打ちをひとつ。こんな小娘に見下されるなど、どれ程の屈辱か。

「……ねえ」

「…………なんだよ」

 一思いに殺してはくれない。竜王はそのつもりだったろうが、横入りしてきた人族にそのつもりは無かった。結果的に、彼は生き延びた。

 死なずに、『負けた』のは初めてだった。否、負けたのに『生かされる』のは、彼の国では無いことだった。

 体力も魔力も尽きた。もう、どうにもしてくれとぞんざいに答えるヴェルウェステリア。

「一体何が起きたのさ」

「…………」

 彼女のその言葉は、『爪の国』を僅かでも気に掛けていないと出てこないものだ。『そう思われる』ことなどあり得ないと思っていたヴェルウェステリアは、目を見開いて彼女を見る。

「……ジジイが死んだろ」

「うん」

「王位を巡って内乱が起きたろ」

「……うん」

 彼女は、ヴェルウェステリアの側でしゃがみ込んだ。

「で、俺が一番強かった。それだけだ」

「……アスラハは?」

「…………。奴は、俺に『身体強化魔術』と『お前の居場所』の情報を与えた。それだけだ。今回の進軍も『羽の国』も、『大森林』さえ俺が命令した実行犯だ」

「…………」

 観念したように、全てを打ち明けた。

「正に『飼い犬』だったな。知らぬところでまんまと踊らされた訳だ。『お前がこんなに強い』なんて、夢にも思ってなかったぜ」

「……じゃあさ」

「?」

 ウェルフェアは。

 『汚点』などではなく。

「【やり直せる】よね。『私達の国』」

「!」

 立派な『王女』であると。

 この時ヴェルウェステリアは確信した。

「お前……」

 両親を奪い、国民全てから憎まれ蔑まれた国を。

 我欲にまみれ、魔人に踊らされた哀れな国を。

 『救いたい』と。言ったのだ。

「か。……勘違いしないでよ。あんたに嫁ぐつもりは全く無いから。私は獣王の血は引いてるけど、心は『人族』だからね。人族の為にやり直すの。ラスの作る国の、友好国としてね」

「…………」

 ヴェルウェステリアの瞳はさらに丸くなった。

「文句ある? 『おじ様』」

「はっ!」

 もう。

 その瞳では彼女を『そんな対象』では見れない。

 傷だらけでボロボロになったヴェルウェステリアは、牙を剥き出しにして楽しそうに嗤った。

「無えよ。お前が『勝者』だ。俺達獣人族は、『そういう種族』だからな。お前の決定には誰も逆らわない」

「そ。じゃ早く兵を引いて? 『人族の戦士友好の相手』と戦っちゃってるんだから」

「……おう。すまんが拡声魔法を頼む」

「早くしてよね」

 麓の戦争は、終わりを告げた。ひとりの『少女』が終わらせたと、世界には語り継がれる。


——


「……そんな馬鹿な!!」

 そして。

 レイジと話していたライルが、次に叫んだ。

「——姉さん!」

 竜の峰の最高峰、『雲海の岬』を見上げる。あそこに今。

 否。

 昨日も。

 【姉さんが来ていたというのに】。

「くそっ!!」

「待て」

「!」

 全速でとんぼ返りの体勢を取ったライルを制止したのは、ヴェルウェステリアだった。

「なんだよ」

 吐き捨てるように言う。ライルにとって『姉さん』の事は最も大事なもののひとつだ。

「今、どうせアスラハもあそこに居る。奴はウェルフェアと——お前ら『輝竜』を狙ってるんだ」

「だからなんだよ。それ、姉さんも狙われてるってことだろ」

「返り討ちにあうだけだ。むざむざ『鴨が葱を背負ってくる』ことはしなくて良い」

「!」

 ヴェルウェステリアの言葉に、レイジとライルが反応した。

「……なにそれ?」

 ウェルフェアが首を傾げる。

「獣王……あんたも」

 今のこの世界には無い、『ことわざ』である。

「俺のはアスラハの影響だ。だが……『魔力』も『知識』も負けてる相手に、勝てるとは思い上がらねえ方が良いぜ」

「…………!」

 ライルは一瞬止まって考えた。

「でも! 僕は行く! 相手が誰でも、姉さんが危ないんだ!」

 だが、決意は変わらない。

「……そうか。なら、俺には止める力はねえよ」

 代わりに。

「!」

 揺れる深紅の髪。

 ウェルフェアが立ち塞がった。

「……何のつもり?」

 ライルが睨む。

「……貴方は、レナ様を縛り上げて処刑しようとした。私は忘れてない。貴方が『雲海の岬』に行っても、ラス達の邪魔になるだけだと思う」

 ウェルフェア【も】彼を睨む。

「…………正直、そこの人族の言っていることを鵜呑みにはできない。だけど姉さんの無事を、『ルクスタシアが僕に隠していた』なら、僕は奴を裁かなければならない。当然アスラハも討つ」

 レナリアの無事は、最早公然の事実である。なのに竜王であるライルが知らないなど、普通に考えればありえない。

「でも行っても、アスラハに負けるだけでしょ」

「僕で勝てないなら、この世の誰も勝てないだろ!」

 ライルが凄むが、ウェルフェアは怯まない。

 その『根拠』が、あるから。

「ラスなら」


——


——


「ラス殿……ですか」

 シエラも。


——


「ふぅむ。ラス、か」

 シャラーラも。


——


 皆知っている。

「……ただの人族だろ? 気功の戦士だろうが、気功術くらい僕もルクスタシアも使える。君だってそうだ。君の方が、人族なんかより強い筈だろ」

 ライルすら。

「【そうだよ】」

「!?」

 転生者などという『特別』ではない。

 前の世界の知識などこれっぽっちもない。創世記なんて興味も無い。

 誰か転生者の子孫が、彼の集落に『気功』と『古代語』を伝えたのだろう。それだけだ。

「でもね」


 ただ、故郷を2度亡くし。

 人族の為だけを想って。

 自分を犠牲にし続けて来た。


「ラスは強いよ」

 誰より純粋な【怒り】を持つ者。レイジ世界ではなく。ヒューリ亜人でもなく。

 純粋に『アスラハへの怒り』を、この世で最も強く持つ者。

「——それに、今は『レナ様で造った魔道具』も持ってる。だってあれ、貴方より強いでしょ?」

「!!」

 持つ『者達』。


——


——


 シエラも。

「彼は普通ですよ。人より努力した『戦士』。ただ——」



 シャラーラも。

「あ奴に特別な事があるとするならば——」


——


「「——【竜の女王に好かれた事】」」


——


——


 魔人族の体表にある黒い紋様。それはアスラハの白い肌に似合わないコントラストを描いている。

 それらはシャラーラと同じく、うぞうぞと蠢き、やおら形を成していく。

「——ぁっ!」

「ふん」

 手首の先から延びたそれは、円を描くように集まり、盾となった。

 それにより、ラスの『輝竜刀』による一撃を防いだ。

「ちっ! それなんて魔法だよ!」

「ただの魔素操作だ。魔法ではない」

「そうかい、反則チート野郎が」

「<昏睡魔法ディープスリープ>」

「!」

 何度かの攻防の隙に、アスラハが指先から光弾を発射する。ラスは飛び退いてひらりと躱し、距離を取った。

「……『』じゃねえのか? まあいいけど……そればっかかよお前らは」

「対人族の魔法として最も効率的なのが昏睡魔法だ。……さすが、ここまで来た戦士だな。経験済みの魔法は効かないか」

「ちっ」

 何度目か分からない舌打ちをする。こっちは全力で、死に物狂いで戦っているのに対し、向こうは常に余裕を持っているように見える。その『当たり前』の力関係が、ラスは気に食わなかった。

「らぁっ!!」

 輝竜刀を振るう。閃光が駆け、直後に稲光。そして雷鳴が峰に木霊する。

 宮殿の背に聳える崖が砕け、雲のひとつが消し飛んだ。相変わらず、絶大な威力だ。

「……予想以上だな」

「!」

 当然のように、アスラハには届かなかった。彼は『舟』を傷付けないように位置取り、『最強の魔道具』の威力を分析する。

「魔力の補充は出来ないんだろう? 無駄撃ちは止めておけ。どうせみどもには当たらん」

「当ててやるよ」

 また、ラスはアスラハへ向かって駆け出した。

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