第13話 『ブラック・アウト』

 その日は大雨だった。朝からゴロゴロと雷も鳴り、風も吹き荒れて雨粒を壁へ叩き付ける。その音で起きてしまった彼は、若干の苛立ちを覚えながら自室を出る。

「お早うございます、リーダー」

「ん」

 木造二階建ての小屋。やや広めのリビングで彼を出迎えたのは、エプロンを着た黒髪の女性。どうやら朝食の準備をしているようだ。

「よく眠れましたか?」

 女性は彼を気にかけるように訊ねる。水を注いだコップを渡す動作だけで、女性が彼を慕っているのが分かる。

「全然だ。雨も何も煩くて仕方無い」

 リーダーと呼ばれた彼はやれやれと席に着き、左手でコップを受け取る。女性は何か嬉しそうにくすくすと笑う口元を手で抑えた。

「皆が起きてくるまで、もう少々お待ちくださいね」


――


「おあよ~……」

 しばらくしてリビングへ降りてきたのは、赤く長い髪の寝癖をそのままにした少女。眠そうに眼をこすりながら、リーダーの隣の席に座った。

「お早うございます、ウェルフェア殿」

「んー……ふあ」

 ウェルフェアと呼ばれた少女はおおきく欠伸をした。


――


 全員が起きてきたのはその数分後。全部で5人。エプロン姿の女性は自分を除いた4人分の朝食をテーブルへ運ぶ。

「さすがだ」

 それを見て、リーダーの向かいに座る大柄の男性が感嘆する。

「はい。『朝食は焼き魚、ご飯と味噌汁』と、昨日仰っていたので」

 得意気に手を胸に当てる女性。並べられた品々を差して説明する。

「ああそうだ。それが正しい朝食だ。獣人族のような無骨な肉でも、エルフのようなただの草や水じゃない。……だろ? リーダー」

 大柄の男性はリーダーへ眼を向ける。見るとリーダーは、朝食に手を着けようと左手でフォークを持っていた。

「あー待て待て。皆集まって『いただきます』が先だ。それにフォークじゃない。シエラ、『箸』だと言ったろう」

 リーダーを止め、エプロンの女性に注意する男性。女性は困った顔をした。

「申し訳ありません。『ハシ』という道具が分からず……」

「こんな長さで、大きさの、2本の棒だ。……まあいい。今渡しても使えないだろう。今日はフォークで良いさ」

 やれやれとフォークを取る男性。それを見て、隣に座るもうひとりの男性がふんと鼻を鳴らす。

「どうでも良いわそんなん。食えりゃなんでも。美味けりゃなんでも。『ALPHAかぶれ』もいい加減にしろよドレド」

 と、悪態を付いて食べ始める。

「『いただきます』だ馬鹿野郎フライト。こう手を合わせてだな……」

「ドレドうるひゃい」

 細かく説明する大柄のドレドに、冷たく言い放ったのは赤毛のウェルフェア。

 彼女は既に焼き魚を平らげ、ご飯の咀嚼に移っていた。

「なっ! ウェルフェア! 焼き魚と米は一緒に食うんだ! 順番じゃないぞ!」

「知らない。うるさぃ。そもそも、合わす手が無い人はどうするのよ」

「……あー……」

 ドレドはちらりと、リーダーを見た。コップを持つのも、フォークを掴むのも。全て左手で行っている。右手は、肘から先が無い。リーダーは気にしていないが、ドレドは仕方なく、フライトとウェルフェアを見逃した。


――


「……さてお前ら」

「!」

 そんな喧騒は、リーダーの一言でぴたりと止まった。朝食は終わり、シエラが片付けながらドレドがひとりで手を合わせて『ごちそうさま』と呟いていた時だ。

 静まる一同。沈黙が、外の大雨を思い出させる。

「偶然か運命か、俺達がここへ集まってそろそろ1週間経つ。まだお互いの理解は深くない。だが、志と旗は同じだ。……ドレド」

「おう」

 やがて口を開いたリーダーは、その場の全員の顔を見回す。呼ばれたドレドは得意気に返事をする。

「お前は考古学者だったな。奴等の知らない情報は武器になる」

「おうよ。その為に今まで危険な遺跡とかにも行ってたからな」

「でも私、ドレドの『サホー』嫌い」

「うるせえ」

 ウェルフェアが口を尖らせたが、気にせずリーダーはその隣の男を見る。

「フライト。お前は道具屋だったか」

「ああ。『鉄の国』と『花の国』で奴隷やらされてた。大抵は作れる。武器、薬、役立つ道具、罠、その他諸々」

「魔法に頼らない武器や罠は貴重だ」

「あ、戦闘は無理だぜ」

 フライトは軽く言い放つ。彼も得意気だ。

「……シエラ」

 リーダーは脇に立つ、エプロン姿のシエラを見る。美しい黒髪で、妖しげでもある漆黒の瞳。その笑顔は惜しみ無くリーダーへ注がれている。

「お前には本当に感謝している。お前が居なければ何も始まらなかった」

「いえリーダー。『始まり』は貴方です。私こそ、貴方にいくら感謝してもしきれない」

 リーダーの言葉に、シエラは勿体無いと頭を下げる。その時うなじから、ちらりと【黒い羽毛】が見えた。

「始まりは、今、ここだ。来てみろ」

「えっ?」

 リーダーは立ち上がり、部屋を出た。そこは玄関だ。木造の小屋から、そのまま外へ。大雨の降り頻る外へと、出ていった。

「は? おい……」

 フライトが呆気に取られる。

「……」

 その横を通り過ぎ、ウェルフェアがリーダーを追って外へ出た。

「ウェルフェア? お前」

「早く来いフライト。リーダーの指示だ」

 ドレドも続いて、玄関へ向かう。

「……おいおいなんだってんだよ」

 居心地の悪くなったフライトも、観念して外へ出た。


――


 そこは崖だった。下には森が広がっている。だが雨と風でまともに目も開けられない。

「おい危ねえぞ!」

 その先頭に、リーダーは立っていた。追随するようにリーダーのすぐ後ろで袖口を掴むウェルフェア。その後ろで腕を組んで森を見据えるドレド。

 フライトは腕で風を防ぎながら、ドレドの隣に立った。

「なんなんだよ、おいリーダー」

「……シエラ」

「はい」

 フライトを無視して、リーダーが呟く。シエラはいつの間にかリーダーとフライトの間……彼らの真ん中に陣取っていた。

 そしてリーダーの合図で、シエラはエプロンを脱ぎ捨てた。シエラはエプロンの下に、黒い服を着ていた。体に密着した、薄い生地の服。そして背中の部分が開けられていた。それにより露になったのは、彼女の背中から腰に生える、カラスのような黒い羽毛。

「……<スプレッド>」

「!」

 シエラが唱えた瞬間。雨が止んだ。いや、そんな錯覚を、フライトは覚えた。

「(……これがっ)」

 事実、5人に雨は当たっていなかった。だが嵐は止んでいない。何故か。

 フライトは見上げた。

 雲では無い。

 彼らの上を覆っているのは、『シエラの黒い翼』だった。

 あの羽毛が、魔力により巨大な翼へと変化したのだ。5人を覆ってまだ余裕のある、巨大な翼へ。

「(……これが『翼人族』の魔法っ!)」

 フライトは驚愕した。自分達とは違う、亜人の力に。その強大さに。

「……風邪を引かれますよ、ヒューリ様」

 そしてそれが、味方であるという事実に。目の前のリーダー……ヒューリが、彼女を手懐けていることに。

 そのヒューリは、振り返らずにただじっと崖の向こうを睨み付けて言った。

「ここで『結成』だ。『人族解放戦線――ブラック・アウト』。この世界に、俺達の国を創る。奴等亜人どもに、俺達の怒りを

 この場の、シエラ以外、全員人族。この時、メンバーの全員が、思い出していた。

 亜人に虐げられてきた記憶を。フライトは奴隷として酷使されていた。男娼のようなこともさせられた。日夜、命を削られた。そして飽きたのか、捨てられ、死にそうな所をヒューリに助けられた。ドレドは色んなことに興味を持つ冒険家だったが、この世界には人族が足を踏み入れてはいけない亜人の大地で覆い尽くされていた。同志も居たが、皆殺された。姉も恋人も、なぶられて死んだ。彼はひとりで遺跡探索をしている途中、うっかりエルフの森に入ってしまい、追われている所を助けられた。

 ヒューリは。腕の無くなった右肘を、前へ突き出した。存在しない手で、何かを掴むように。

「……!」

 一番近くに居たウェルフェアはその表情を見て、どきりとした。心臓を貫かれるような鋭く光る視線。その表情は、まるでこの世の『怒り』を全て集めたかのような形相だった。

「……【思い知らせてやる】」

 ウェルフェアは、その恐怖を、ヒューリへではなく、彼の視線の先へ向けた。

 屈してなるものかと強く誓い。自慢の赤い髪を……燃えるような怒りの髪を。

 風に晒し、荒ぶらせた。


――


「!」

「雨が……」

 その時、急に雨が止んだ。雲間から陽光が差し、ずぶ濡れの5人を照らす。

「よく見えるな。見ておこう。……ちょうどあの森の向こうだ」

 ヒューリの言葉に、全員がそれを見た。


 彼らの視線の先には。

 人族が打倒してやまない、悲願の国。人族を虐げる、時代の象徴の国。

 高山から深い谷まで続く『縦』の首都を中心に広がる、山脈をまるまる領土とした国。


「……虹の……国」


 シエラが呟いた。崖の向こうで、空には綺麗に七色が弧を描いていた。

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