第21話 人族の怒り

 湖を越えて。4人は進む。平原にあった人族の集落で数日滞在し、サロウの契約書を渡した。

 次の目的地も、人族の集落。谷間にある集落らしい。旅の途中、レナリアの『リハビリ』に付き合うことになり、代わりに空いた馬で、リルリィとウェルフェアの乗馬訓練が行われていた。

「そうそう。そのまま。馬はとても敏感なんだ。まず落ち着け。それが馬へ伝わる」

「おっ……お」

 リルリィが緊張した面持ちで跨がる。ラスにしがみついて乗っていた時には感じない、不安定さを感じている。慌てたいのだが落馬してしまいそうな、その様子がおかしくてウェルフェアは笑ってしまう。

「あはは。変な顔。次私だよリル」

「ちょ……とまっ……。て。おっ……今危ない」

「あははっ」

「……ふふ」

 ふたりの様子を見て、レナリアも笑う。

「おいレナ、よそ見してると」

「え……きゃっ」

 少し大きめの石に杖が引っ掛かり、体勢を崩して転んでしまった。

「おいおい大丈夫か」

「あははははっ」

 ラスが支えて立ち上がる。ウェルフェアはやはり笑っていた。

「ありがとうございます……」

「へいへい」

 赤面しながら立ち上がるレナリア。彼女が言い出したのだ。進行速度は落ちてしまうが、リハビリを行いたいと。


――


「皆に。私は言います。『人族を解放せよ』と。その時、舞台には自分の両足で立ちたいのです」


――


 彼女の意向を、ラスは無視できなかった。そもそも、彼があの時『もう少し早ければ』。レナリアの傷は取り返しの付かない所までいかなかったかもしれない。その負い目は少なからずある。

「わっ……ととっ」

「あははっ。ウェルちゃんも変な顔ー」

「……『ウェルちゃん』?」

 ふたりの会話に、ラスが興味を持った。

「うん。ウェルちゃん。わたしはリル。お互いそう呼ぶって決めたんだよ」

「愛称というものですよ。特に親しい間柄ではよくあることです」

 レナリアが補足する。『それ』も、ラスの居た人族の集落では無かったものだった。

「なるほどな。ウェルちゃん」

「にゃっ」

「?」

 彼も真似して呼ぶと、ウェルフェアは奇妙な声を出した。

「……ラスはなんか違う。『ちゃん』の部分が」

「俺は駄目なのかよ」

「そうじゃなくて……『ウェル』で良いよ」

「分かった。……リルちゃん?」

 続いて、リルリィを見て呼ぶ。ラスも少し楽しくなってきた。

「えへへへ。へへへへへ」

 呼ばれると、リルリィはおもむろに顔をにやけさせながら身体を揺らした。

「リル変。やっぱラスが違うよ」

「なんだよそれ。……レナちゃ」

「やーーめてください。流石に恥ずかし過ぎます」

 続いて。

 レナリアが、言いかけたラスを遮った。ラスはこの会話に流れる『空気』を当然読めていたが、彼にとって新鮮なものである為楽しくなっていた。

「なるほどな。『ちゃん』にはある種の力があるな」

「……別に愛称はそれだけでは無いですよ。また、相手との距離感も違ってきますね。私も『リル』『ウェルさん』と呼ぶので、おふたりには私のことも名前で呼んで欲しいです」

 火照りそうになった頬を少し確かめながら、レナリアはリルリィとウェルフェアを見た。彼女らからは女王様と呼ばれている。なんだか少し距離を感じるのだ。

「良いの?」

 リルリィが目を丸くして訊ねる。なんだかそれは、してはいけないような気がしていたのだ。どこまで行っても、彼女は女王だ。その事実は変わらない。子供であるリルリィにもそれは理解できていた。

「勿論。ここまで旅した仲間じゃないですか。……リル」

「……分かった。『レナさま』」

「えっ」

「………………」

 レナリアは固まった。これでは全然、距離を縮められていないと。

 結局『様』は付くのかと。

「はっはっはっ」

「……!」

 ラスが声を挙げて笑った。リルリィの属する『ジェラ家』という貴族は、相当きちんと躾られるようだ。

「ラス意地悪だよ。……ねえ、レナ様」

「もうっ。ウェルさんまで」

 ウェルフェアも、呼び捨てにはできない。逆にレナリアも彼女に敬意を持っているからだ。その出自と血筋を知れば、竜王として礼を欠くわけにはいかない。

「すまんすまん」

「もう良いです。行きますよ。疲れたので馬に乗ります」

 ぷりぷりと怒った振りをしながら馬へ近付く。怒った振りをしていても、馬へは当然。

「……乗せてください」

「ああ。分かってるよ」

「…………」

 ラスに持ち上げて貰わないと乗れない。その様子がおかしくて、ウェルフェアはさらに笑ってしまう。

「あははははっ。おかしいったらっ」

「……ええ。そうですね」

「えっ?」

 その返答が、当のレナリアから返ってきたことに首を傾げたウェルフェア。

 レナリアは、馬の上から3人を見る。ラスとウェルフェアとリルリィを。

「……『楽しく笑って旅をする』。思えばウェルさんが加わってからですよ。ゴール(虹の国)が近いということや、魔法索敵能力の向上もあるとは思いますが、今までは『使命感』の方が強かったような気がします」

「そうだな。確かに『楽しい』とは思わなかった。……リルは大人しいし、レナは陰気だからな」

「もう。……というような冗談すらありませんでした。あんな悲惨な経験をしても尚、今こうやって笑えるのは喜ばしいことだと思います」

「わたしは楽しかったよ? ラスとレナさまとの旅」

「リル……」

「雪の山で皆でくるまって寝たり。隠れながらだけど『花の国』の街を案内してくれたり。……『鉄の国』で独りで暮らしてたから、なんでも楽しいし嬉しいよ」

 リルリィにも、辛い過去がある。だが今は仲の良い『お姉ちゃん』もでき、ラスが居てレナリアが居る。彼女の小さい世界はそれで満たされている。

「……まあ私も、こんなにふざけてはいなかったかな。女より男の方が多かったし。ヒューリはよく頭を撫でてくれたけど、でも視線はいっつも『亜人』へ向いてたし」

 ウェルフェアも思い返す。ヒューリ達『ブラック・アウト』との怒りの進軍は、とても『楽しい』とは言えない雰囲気の中だった。

「まあそもそも楽しむための旅行じゃない。これは『人族解放』の為に『傷付いたレナ』を、『虹の国まで護衛する』旅だ。目的地が同じだからリルも居る。人族と亜人との関係を良くする為に、ウェルにも協力してもらう。そのための旅だ」

「だけど、ずっとそれだけに集中していては持ちません。息抜きも必要ですよ」

「……そうだな」

 今回、ウェルフェアの我儘と息抜きのお陰で知れたこともある。目的しか見ていなかったら、視野が狭くなってしまう。ラスはラスで、彼女らに学ぶことは山ほどあった。


――


 湖から流れる小さな川。谷に流れる、山に囲まれて隠されたその場所に、ひっそりと人族の集落はある。

「そろそろ着きますかね」

 もう陽が傾いていた。

「ああ。ここまで来ると流石に見えてくるな」

 木々を掻き分けて。連なる山々のさらに向こう側。空に描かれた絵画のように巨大な、縦に細い山。

 それが、ここからでも見えた。

「『竜の峰』。雲を突き破る高さから、地上を過ぎて地下、谷の底深くまで。『縦』に栄えた国です。麓からも勿論街が広がり、大地が広がる。ちょうどこの辺りまでが『虹の国』の国土です。もう、国自体には到着していますね」

「……流石に広いな。『鉄の国』より小さいとは言っても、とんでもねえ」

 いくつもの山のさらに奥にそれは見える。見えてはいるが、あとどれだけ掛かるのか。

「ねえ、レナさま。わたしの家はどこ?」

 リルリィが訊ねた。彼女は自分の家へ帰ることを目的としている。

「ジェラ家は地方領主です。南東の国境近くの街に屋敷を構えています」

「……そっか。でも竜の峰が先だよね」

「!」

 リルリィは、選択できた。ここから東へ進めば、ジェラ家の治める地方へ辿り着く。『鉄の国』でたったひとりで5年生活していた彼女ならば、ここまで来ればひとりでも無事に家へ帰れるだろう。

 だが、彼女はそれを選択しなかった。皆で竜の峰を目指すことを選んだ。

「……良いのか?」

 ラスが訊ねる。人族解放の件は、リルリィには本来関係無い。ここで別れても誰も責めない。

「だって、まだ『お礼』してないもん。ラスにもレナさまにも。わたしは強いから、役に立つでしょ?」

「!」

 笑顔で言った。

 何かをしてもらったら、お礼をする。

「……リル」

 成長期に5年、家を離れていた。だが竜人族として、地上最強の種族としての誇りは失われてしなかった。

「見えてきたよ。『谷の集落』」

「!」

 見晴らしの良い丘から、それは見えた。木と革で建てられた家。素朴な集落。川を挟んで家が密集している。

「――――!」

「……えっ?」

 そこから、【悲鳴のような声が聴こえ、亜人の姿が見えた】。


――


 もう、『何が起きているか』は分かっていた。人族の集落に亜人が居る。当然『襲われている』のだ。ラスは全速で集落へ向かった。身体強化を施したウェルフェアでさえ、驚くほどのスピードで。

「キャアアアア!!」

「ああああ!」

 阿鼻叫喚。地獄絵図。戦う術の無い人族に、魔法を使う亜人をどうにかできる訳は無い。家を破壊し、家人を引きずり出す。襲っているのは、エルフだった。

「あれは……!!」

「待って」

 レナリアが声を挙げた所で、ウェルフェアが制止を掛けた。

 その言葉自体は落ち着いていたが、とても冷たい言い方だった。

 ラスはもう、エルフへ突っ込んでいる。ちょうど、『女性』が襲われていたのだ。

「……リルはレナ様を頼んだよ」

「えっ。でも……」

 先程の話だ。ドラゴンへ変身できるリルリィが最も強い。だが。それとは関係無く。

「『これ』は人族の問題だから。……じゃ」

 短く言い放ち、ウェルフェアも駆け出した。


――


「あっ……! ああっ!!」

「はっはっはっはぁ!」

 家を焼かれた。慌てて這い出たが、そこを捕まえられる。風魔法で腕を、脚を切断される。血を吐くほどの絶叫を愉しみながら、エルフは下半身を露にする。まるで――

「何してんだ○○野郎」

「っ!?」

 それを切り落とし、足を掛け転ばせる。その上から、腹を踏みつける。

「ぎゃ! ……がぁっ!! てっ! てめぇ……っ!!」

「何!! してんだ!! クソ野郎っ!!」

 痛みに悶絶するエルフへ、それ以上の激情を叩き付ける。ラスの口は裂けて血が垂れ、その大声は山彦のように谷に響いた。

「あ……っ!」

 そして断罪。ラスの短剣はエルフの眼球を突き抜けて頭蓋を割り、脳を切り裂いた。

「あ……がふっ……!」

 横たわる【ことしかできない】女性が残る。

「…………」

 ラスが声を掛けようとした時、彼の周りにさらに気配が増える。

「てめえ、何者だ!」

「奴隷の身分で何してんだ!」

 余裕。彼らには『まだ』それがあった。魔法がある。人族には負けない。殺された奴は不意打ちされて死んだだけだ――と。だから、すぐに魔法を撃たず、何者だと訊いたのだ。

 正しくラスが『何者か』を知らずに。

「俺は……ラス」

「!!」

 囲まれたラス。しかしひとりのエルフを気絶させ、突破口とした。

「おい止めろ! こいつ妙な技を使うぞ!」

「待……ぎゃあ!!」

「くそっ!」

 倒れたエルフの顔を踏み潰し包囲を抜ける。その際に近くのエルフが放った火の魔法が背中を掠めた。

「死ね奴隷!!」

 続けて別のエルフが風魔法。当たれば重症は避けられない。

 ラスはそのエルフを気絶させるが、既に魔法は放たれていた。またしても直撃を回避するが、右腕が巻き込まれた。

「……!!」

 だが、ラスは自分の怪我を全く気にしていない様子である。

「なんだ……こいつ!」

 裂けて血が出る口。食い縛った歯。大火傷では済まないだろう背中。ズタズタになった右腕。エルフ達は奇妙な感覚がした。人族が、魔法を浴びて叫ばないなど初めてだ、と。

 寧ろ、【こんな表情】を見たのは。

「!」

 瞬間、ラスの周囲の数人が倒れる。ラスはひとりの身体に、短剣を突き刺した。

「なっ!」

 彼を囲む、残るエルフは4人。全員が動けずに居た。

「俺は……! 人族の【怒りラス】だ!」

「……!!」

 彼は名乗り、迷い無く前進した。

「てめえら全員、ぶっ殺してやるっ!」

「や、やってみろ雑魚野郎!」

 その瞳に、啖呵に、怒りに。一瞬怯んだエルフ達だが、魔法で待ち構える。結局、当たれば死ぬのは変わらない。落ち着いて殺すだけだ。

「がはっ!」

「!?」

 だがそこで、不意にひとりのエルフが倒れた。見ると、『腹に穴の空いたエルフ』と、その背後に赤毛の【猛獣】が拳を振り抜いた姿勢で立っていた。

「こいつ!」

「死んじゃえ」

 燃えるようにざわめく赤い髪と、その小さな口から氷のように冷たく言い放つウェルフェアだ。

「あと2体」

 彼女は努めて残酷に、そう言った。

「……!」


――


 戦闘時間は、10分も無いだろう。ラスとウェルフェアはこの集落を襲ったエルフを皆殺しにした。一瞬で殺すか、【できるだけ苦しんで死ぬよう努力して】殺した。

「急いで治癒魔法をっ!」

 終わると同時にウェルフェアの髪はざわめきを止め、その表情から怒りは消える。

「……して……」

「!」

 ウェルフェアが駆け寄ったところで、起き上がる腕と立ち上がる脚を失った女性の、最期の呟きが聞こえた。

「ころ……して。私、を……ころ」

「……!?」

 泣いて懇願する女性。何もしなければもうすぐ死ぬ。治療したいが、彼女は拒んでいる。ウェルフェアは、どうして良いか分からなかった。

「分かった」

 困り果てるウェルフェアをそっと押し退け、ラスが1歩前へ出た。

「あんたをそんな風にしたエルフは俺が殺した。あんたは俺に。人族の戦士に救われたんだ」

「…………」

「あんたは『エルフ亜人族』にんじゃない。『人族』に、最期をんだ」

「……あり……が。…………と」

「!」

 穏やかに語り掛け、感謝の言葉を聞いてから優しく、できるだけ痛みを感じないよう最大限優しく首を切り飛ばした。

 安らかに目を閉じたその女性の表情は、救われたように晴れていた。

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