第20話 WRATH & WELFARE

「水浴びがしたい」

「……」

 リルリィは口を開けて驚いた。疑問に思った。大丈夫なのかと。そんなことを『言っても良いのか』と。事実、ラスも不思議に思うほど、リルリィは我儘を言ったことは無い。それはラスやレナリアに迷惑を掛けたくないという思いからだった。

 だがウェルフェアは、言った。歩くと汗をかく。耳や尻尾を隠すローブの中は熱気が籠る。汗でべたつき、気持ち悪いのだ。『そんなこと』は旅をしていてごく普通であるのだが、半分獣人族である彼女には耐え難い辛苦であるようだ。

「すぐそこに湖があるのに。休憩しないの?」

 山を降りて、数日。日中の気温はまだ高く、歩けば汗をかく。

 汗をかけば水浴びをしたくなる。当たり前のことである。ウェルフェアはラスへ訊ねた。

「湖には魚人族が居るぞ」

「襲ってきたら殺せば良いじゃん」

「要らん所で要らん恨みは買わん。無駄に戦闘して体力減らす必要は無い」

 巨大な湖を横目に、一行は進む。馬に乗るレナリアと、戦士ラスと竜人リルリィと獣人とのハーフであるウェルフェア。歩いて疲れる者は、この場には居ない。

「じゃあ、どこで休憩取るの?」

「湖を越えるとしばらく平原だ。その途中に人族の集落がある」

「あとどれくらい?」

「日が暮れる前には着く筈だ」

「まだ朝だよ?」

「そうだな」

「…………」

 ウェルフェアは黙ってしまった。しばらくして、彼女は歩みを止めた。

「おいウェルフェア……」

 ラスが振り向く。彼女はぷっくりと、頬を膨らませていた。

「やだ。水浴びがしたい。せめて湖を越えるまでに1回させて」

「……」

 ラスは少し困った顔をした。一刻も早く虹の国へ行かなければならない。しかしウェルフェアを置いていく訳にもいかない。

「たまには良いのでは?」

「レナ」

 助け船を出したのは、レナリアだった。

「実を言うと私もリルリィも最近出来ていませんし……勿論旅を急ぐのはそうなんですが」

「じゃあ、わたしもしたいっ」

 リルリィも手を挙げて飛び跳ねながらアピールした。

「…………分かったよ」

「やた――!」

 リルリィはウェルフェアの所まで駆けていき、ハイタッチした。彼女もよほど水浴びがしたかったらしい。それを察することができなかったラスは、少し反省した。

「……そんなにしたいかね。なあ、レナ」

「えっ?」

 ふとレナリアを見ると、彼女もいそいそと馬を降り、杖を突いて湖畔へ向かおうとしていた。

「…………」

「や。……まあ、『女性』ですので。『自身を綺麗に保ちたい』欲は常にあるんですよ。覚えておいてくださいね」

 少し恥ずかしそうに弁解しながら、進み始めた。

「……リルリィに水魔法ぶっかけてもらったら良いじゃねえか」

「……ラスってヒューリより難しいこと考えるくせにヒューリより馬鹿だよね」

「なに」

「ふふっ」

 呆れたウェルフェアがラスを馬鹿にしながら、レナリアを抱き上げてリルリィと湖まで逃げていった。

「…………」


――


「きゃー!」

「あははっ!」

 真っ先に衣服を脱ぎ捨てたリルリィが走って飛び込んだ。ばしゃばしゃと豪快に水飛沫を上げる。よほど嬉しかったようだ。

「あんまり遠くへ行かないようにしてくださいね」

 レナリアは浅瀬でゆっくりと腰を下ろし、身体を洗う。塵などで曇っていた彼女の鱗が輝きを取り戻していく。

「凄い綺麗だね。竜人の鱗って」

「あら。ありがとうございます」

 光を反射して虹色に光るレナリアの鱗と、翡翠に煌めくリルリィの鱗。この『竜人族』が沢山居る国に、今から行くのだ。

「ウェルフェアさんの赤い髪も、とても綺麗ですよ」

「……そうかな。あんまり言われたことないや」

「洗いますから。そこへ座ってください」

 レナリアはウェルフェアの後ろへ回り、髪を優しく洗う。

「…………にゃ」

 いつものシエラの手付きとは違うが、しかし気持ち良さそうに身体を預ける。

「……ねえ」

 その視線は、岸の方へ向いている。

「こっち見てるけど」

 正確には、ラスの方へ。彼は自分達が脱ぎ捨てて置いた服や荷物の側で座り、休憩しているようだ。

「見張ってくれているんです。今のところ、大丈夫そうですね」

 湖の方を見るが、魚人族の気配は無い。

「本当かなあ。フライトなんかよくシエラの水浴びを覗いてたけど」

 微妙な距離である。獣人族や竜人族の視力だと見えるが、人族でははっきりとは見えないのではないかとも思う。

「……彼にとっては、私はまだ子供の体格ですから。それに、今さら裸を恥ずかしがることもありませんし……」

「えっ?」

 レナリアの回答に、ウェルフェアは思わず振り向いた。

「傷が、私にはあります。頭に背に、腰に」

「……うん」

「リルリィと出会うまでは治癒魔法もありません。止血と応急処置、薬の作製と処方、包帯替え……。彼がその手で私を『治癒』してくれたのです」

「……そうなんだ」

「その点で言えばリルリィもですね。彼女も最初、魔力も尽きていてボロボロでしたから。私達ふたりはもう、身体の隅々までラスに把握されています」

「え…………」

 ウェルフェアは固まってしまった。それを見てレナリアはくすりとした。

「ふふ。とても紳士的なな対応でした。逆に『もう少し何か無いのか』とすら思うほど、治療にのみ専念してくれていました。彼から見れば、私もリルリィも子供なのですよ。……身体は」

「……ふぅん」

 ひとりの男と、3人の『少女』。端から見ればそう映る。最年長が28歳のレナリアとは、ぱっと見ただけでは分からない。ウェルフェアはレナリアを見る。確かに、大人のように落ち着いてはいるが、シエラの『それ』よりはまだ発達途上であるようだと思ってしまった。

「じゃあ、ラスの子は授からないんだ」

「!!」

 その直接的な言葉に、レナリアの手が止まった。

「……女王様?」

 再度、振り向く。

「!………………」

 レナリアは顔を真っ赤にして、目を泳がせながら、遠くのラスをちらちらと見ていた。


――


「貴方も泳げば良いのに」

 ⑦魚人族。水の中で暮らす種族。顎の下にエラを持ち、指の間に水掻きと、人の上半身、鱗に覆われた魚のような下半身を持つ種族。水中で生活ができる人種族は彼らだけであり、人族への迫害も少ない歴史を持つ。水流を操る水の魔法を得意とする。

「……後で服は洗って身体を拭くさ」

 レナリア達を遠くで眺めながら、ラスは休憩していた。そこへ、魚人族の女性が近付いたのだ。美しく整えられた顔に長い茶色の髪。上半身は裸だが、気にする様子は無い。元より水中で暮らす以上衣服など着る文化は無い。

 ラスはできるだけ、彼女の豊満な肉体へ目を向けないようにしている。敵意は感じない。

「マーメイドか。不用意に近付いたな。好奇心旺盛らしいが」

「まあねー。陸のものは何でも珍しいから。そんなに警戒しなくても、湖は誰のものでもないわ。ここへは貴方じゃない人族も沢山来るんだから」

 彼女はぷかぷか浮きながら話している。上半身をすっかり水から出しても、しばらくは問題無いようだ。

「……そうか」

「ねえ。あれ……貴方の『群れ』よね。竜人が珍しいけど」

「……違えよ。なんだ群れって」

「え? ハーレムの」

 雄1頭に、雌が数頭。立派にハーレムの群れである。……彼女らからすると。

「……そんな暢気な旅じゃねえ。皆必死なんだ。今日は休みの日。それだけだ」

 ぱしゃぱしゃと水を掛け合って遊ぶウェルフェアとリルリィ。レナリアはあまり動けないが、楽しそうにしている。その白金に輝いて揺れる髪と笑顔を見ると、水浴びは正解だったのではないかと思えた。

「ふーん。あれ、『虹の少女王』よね。死んだんじゃ無かったっけ」

「!」

 今は裸であるとはいえ。角の片方と尾を失った大怪我人。

 だがここまで来ると、レナリアは広く知れ渡っている。魚人族にすら周知されているのだ。

「死んだと思われているのか」

「違うの?確か『羽の国』から誰ひとり戻ってこなくて、死亡扱いだって言ってた。もう何ヵ月前だろ。湖にも『虹の国』から使者が来てさ」

「……その使者の種族は?」

「え?エルフだったけど。3人だった」

「…………そうか」

 エルフは、大森林での竜王襲撃を黙認した。今尚それを誰にも咎められていない。『花の国』のエルフが大森林から良く思われていないのは知っているが、『虹の国』のエルフはどうだったか。

 個人の感情では、獣人族と同様にエルフも敵という意識だ。だがそれで考えを固定してはいけない。それは分かっているが、レナリアの死を触れ回っているのが竜人族ではないとなると、怪しまずにはいられない。

「……陸のことはあんたらには関係無えよな」

「まあねー。どうでも。一応、『強い方と仲良くして』みたいなこと、首長は言ってたけど」

「魚人族の王か」

「いや。私達に王は居ないよ。数百から数千の『群れ』があって、それぞれ首長が居るだけ。海は広いんだから。……ま、湖の私達にとっては海のこともどうだって良いんだけど」

「なら、黙っていてくれないか。今日『俺達が』ここへ来たこと」

「ってことは、そのエルフ達と貴方達は敵同士なのね」

「まだ分からん。だが……そいつらが死んだと言った王が生きてたら、奴等にとっては都合が悪くなるだろ。なら俺達にとっても、それは言わない方が良い」

「分かった。良いよ。ただじゃないけど」

「何をしたら良い?」

 性格や話し方はさておき、彼女は賢い。ラスは慎重に言葉を選ぶ。

「私の遊び相手になってくれたら、ね」

「……分かった」

「やった! 私はローラ。大波って意味だよ。良い名前でしょう」

 ローラはラスの返答に拳を握り、ぱしゃりと水飛沫を上げて湖へ誘った。

「……『意味』?」

「え?」

 だがラスは、そのローラの言葉に奇妙な違和感を覚えて止まった。

「名前に、意味があるのか?」

 ラスは知らない。少なくとも彼の集落では。名に意味を持たせることはしなかった。彼が知らないだけの可能性もあるが、とにかく自分の名前に意味があるとは考えてこなかった。

「そりゃあるよ。貴方は?」

「……ラスだ。意味は無いと思うが」

「ラス。へえ。……面白い名前ね」

「面白い? 俺の名前にも意味があるのか?」

「……『ローラ』はね、とても古い言葉なんだ。大昔の、ご先祖様の言葉。魚人族の伝説ではね、『創造種』が使ってたって云われてる」

「ALPHAが? それは……」

 あの文字だ、とラスは思い至る。古代人族……『人間』の遺跡の壁に書かれていた文章。あれの訳ではなく、呼んだときの音が、現代の魚人族の名前に使われているのだと。

「ラスー? その魚人族の方は……」

 身体を洗い終えたレナリア達が、荷物番を交代しようとふたりに近付く。

 だから彼女の耳にも入った。


――


「それでいうと『ラス』はね。……【】って意味」


――


「!」

 レナリアは。

 突然雷が落ちたようだった。ふたりの会話の内容は分からない。だがそれだけで。

 彼の『あの表情』の説明が付くような錯覚を起こした。

「…………『怒り』」

「そう。怒り」

 もう一度、彼は彼自身の口から言った。

「誰が名付けたんだろうね。親? 首長?」

 彼の生まれた集落では、子が生まれると名は村長から与えられる。

「……サロウの婆さん……」

 呟いた。サロウは、この意味を知って名付けたのだろうか。

「『サロウ』?へえ。【悲しみ】って意味だよ」

「!」

 ローラは言う。これで、サロウは。少なくともあの集落の大人達は。『人間の言葉』を知っていたのだ。

「ねえ、なんの話?」

 ウェルフェアが訊ねた。彼女は先程レナリアの話を聞いたからか、ラスの前で裸でも平気な様子である。

「……名前の、意味さ。俺は初めて知った。レナ達にもあるのか?」

「……ええ、まあ。ですが……」

 レナリアは少し戸惑った。このマーメイドの前で竜王であると名を明かすのは躊躇ってしまう。

「大丈夫だ。さっき約束した。なあローラ。レナリアってどういう意味だ?」

「!」

「うーん。……さあ。竜人の言葉じゃない? 知らないや」

 だがローラは首を捻った。彼女は創造種の言葉を知っているに過ぎない。

「『レナリア』は、虹の国に咲く花のことです。高山によく見られる花。……『リルリィ』は、古い竜人の言葉で宝石、という意味です」

 レナリアはリルリィの、翡翠に煌めく髪を撫でた。リルリィは目を閉じて気持ち良さそうにする。

「皆、意味があるんだな。俺だけ知らなかったのか」

「ねえ、じゃあ私は?ウェルフェア」

「獣人族の言葉なら分からねえよな」

「どうなの?」

 ウェルフェアがローラへ訊ねる。ローラは、それを聞いて笑った。

「へえ、良いね。『ウェルフェア』。……獣人族の言葉は知らないけど、創造種の言葉なら『』って意味だよ」

「!」

「!」

 名は。

 名付けた者の『想い』が込められている。ウェルフェアは、出生こそ不幸だった。自分の生を、誰も喜ばなかった。両親の顔も知らずに育った。だが。


『彼女らは愛の元、幸せだったのでしょうか』

『エドナが人の子を授かったのです。そこには確かに、愛があった』


 シエラの言葉を思い出す。

「………………!」

 ウェルフェアは涙を流していた。自分へ名付けたのは母ではなく、『人族である父』だった。

 父はどういう想いで、名付けたのか。どういう経緯があって、母を愛したのか。奴隷の彼が、皇女のエドナを。何故、母は父を受け入れたのか。人族の父を、獣人族の母が。

 私は、望まれた子だったのか?

「おとう……さん」

 思い出せる父の顔は無い。想像もできない。だが。

 亡き父の『愛』を。今確かに受け取った気がした。

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