第30話 【ブラック】

 『墓』という概念は、人族にはあまり馴染みの無いものだ。

 人族の集落には、共同墓地のようなものはある。都市や国にも、一応奴隷用の墓地はある。

 だが、『隣に立つ愛する者が明日には死んでいる』ことが茶飯事である彼らにとって、『死』という概念の捉え方は亜人とは異なっている。平和な亜人達は、明日の食事をどうしようとか、明日の仕事はなにをしようとか、明日はどこに出掛けようとか。


 根本的に違う。


 『今日、殺されやしないか』『今日は何か食べられるだろうか』『今日は安心して眠れるだろうか』と。

 身の回りの、生活の、『安全度』が全く違う。亜人は明日もこれからも安全で健康に生きている『前提』で物事を考える。だが人族には、その前提は無い。今日、今、この瞬間、『食べるもの(生きる手段)に困っている』のだ。

 死は、常に隣り合わせ。それは生物ならば全てに当てはまるだろう。しかし人族と亜人とでは、その『死』がやってくる『可能性』は全く違う。


 失った命を嘆くのは、その日の晩だけ。


 いつかラスが言っていた言葉である。それはいつまでも嘆いていても仕方がないという理由からだ。だがその主旨は。

 死者へ思いを馳せる『暇など』無いからだ。その間に、生きるためにできることは沢山ある。『やらなければならない』。

 魔物を狩れる人族の戦士など、全体の1割も居ない。

『墓』は、安全で裕福な者のみが持つことの許される『贅沢な物』なのだ。

 人族の建てる墓は、偲ぶ為のものではなく、もっと効率的で機能的なものなのだ。


――


「――『暇』かよ。おい」

「!」

 彼は、大体いつもそこに居た。『竜の峰』の麓にある、人族【用】の共同墓地。谷底のゴミ捨て場と直線で繋がっている場所。

「日に一度の飯と睡眠。それ以外全部『墓参り』だ。贅沢な奴だな、お前」

「……俺を知ってるのか」

 彼に声を掛けたのは、男勝りな言葉遣いをする、つり目の女性だった。

「誰が眠ってるんだ? お前の親か?」

「……この国にいる皆の親は大体ここだろう」

「はっ。らしいな」

 虹の国にも、人族のコミュニティがある。だが彼は今日、初めて彼女を見た。

「俺達家族は、『爪の国』から逃れて来たんだ。だけどここでも、奴隷の扱いは酷いらしい。君は……」

「あたしは違う」

 彼女は、彼の言葉を遮った。

「あたしの親に墓なんて無い。……この大地全部と、大空全部が墓さ。この星は、あたしら全員の墓だ」

「…………」

 彼女の言葉を不思議に思った。そんな風に考えたことは無かった。

「あたしは『人族の反乱軍』に入りたくてこの国に来たんだけどな。もう死んでるらしいじゃんか」

「……俺の両親さ」

「そうか」

「『ご主人様』にバレたらしい。遺体を見たけど、酷く『あちこち』損傷してたよ」

「……そうか」

 以降、彼は墓へ入り浸るようになる。希望が全て奪われたのだ。これからどうやって生きていくのか。今は両親の仲間が食事を運んできてくれるが、愛想を尽かされたらもう終わりだ。

「継がないのか?」

「……俺には無理だよ」

「何故だ?」

「…………無理だよ」

 力無く項垂れる。彼女は段々イライラしてきた。

「仇を討とうとは。思わないのか?」

「……どうやって」

「殺すに決まってるだろ。待ってろ」

「…………?」


――


 その翌日。

「ボス達を殺ったエルフが殺されたらしい!」

「なんだと!?」

「誰がやったんだ!?」

 人族はざわめいた。噂は都を駆け抜け、彼にも届いた。

「あたしだ――っ!」

「はぁ!?」

 墓の前。誰も近寄らない『人族の住処』にて、両手を挙げて表明する彼女。

「はっはっはぁーっ! どうだ! 人族だって、亜人に勝てるんだ!」

「お、おい……。それは本当か?」

「見ろ」

「!」

 訝しげに訊ねた男性へ、彼女は赤い石を見せ付けた。

「魔石だよ。奴の。これが証拠だ」

「!!」

 その場の全員が固まった。

「あんた何者だ!? どうやってエルフを!?」

「ふふん。『教えて』やろうっ!」

 彼女は皆が見えるように位置取り、高らかに声を挙げた。

「あたしはアンガー! 人族の【怒りアンガー】! 亜人を殺す方法を知りたい奴は集まれっ!!」

 彼女の名はアンガー。

 弱く臆病な人族の中で、類い稀なる『カリスマ性』を持って現れた女性。

「お前はっ?」

「……レイジ」

「おう。いい名前だ。大切にしろっ!」

「…………!」


――


 アンガーは、『気功』の技を持っていた。それを用いて、峰に住むエルフの貴族を殺したのだ。当然、指名手配をされることになる。亜人の国の法では、人族は保護されない。それはレナリアの居るこの国とて例外ではなく、寧ろこの国が模範となり『積極的に亜人を保護』しているのだ。

「レイジっ! 修行だっ! こっちへ来い!」

「……うん」

 最初は、ほぼ強制的に付き合わされていた。だがいつしか、彼にも『自信』が付くようになった。

「……アンガーが来てから、反乱軍も勢いを取り戻したな」

「ああ。まさか魔法に対抗できる力があるとは。長い修行が必要らしいから、蜂起はまだ先になるだろうが」

 ここの人族全体に、期待が満ちていた。


――


「なあ、反乱軍に名前は無いのか?」

「えっ」

 アンガーは、色々なことを知っていた。時に奇妙なことを言うのだ。

「無いよ。そう言えば前に俺の名前を良い名前と言っていたけど、あれはどういう意味なんだ?」

「よし。なら今日は『言葉』を教えてやろうっ」


――


「皆! 連れてきたぞ! 『魔道具』の職人だ!」

「!」

 また、ざわめいた。人族のコミュニティに、亜人が現れたからだ。

「ど……ドワーフじゃないか……!」

「なんでアンガーがドワーフを」

 彼女の行うことの真意を、汲み取れずにいる。

「ふむ。……『反乱軍』のう。ボスはどいつじゃ」

 連れてこられたドワーフの男は、品定めするように彼らを見る。

「こいつだっ」

「えっ」

 アンガーに指名され、ドワーフの男はレイジに狙いを付ける。

「ならばお主。ワシと勝負せい」

「!?」

「ワシが勝てば、この話は白紙じゃ。ただの夢想家に付き合う矜持は無いわい。良いなアンガー?」

「おうっ。レイジは強いぞ!」

「ちょっと待てアンガー。勝負って、ドワーフに勝てるかよ」

 勝手に進む会話に、レイジが待ったをかける。

「大丈夫だ。なあクリューソス」

「うむ。何も命懸けの死合では無い。勝負は『相撲』じゃ」

「…………スモウ? なんだそれ」

 首を傾げるレイジを余所に、クリューソスは地面に『円』を描いた。

「この円から出るか、足の裏以外の身体が地面に着けば負けじゃ。魔法、気功は禁止。純粋な肉体での勝負。……良いか?」

「……!」

「遥か昔、『創造種』の時代の決闘方法さ。良いだろ」

「…………分かった」

 レイジは頷いた。

 円に入り。ふたりは向かい合う。

「お主が勝てば、『魔道具』を作ってやろう」

 身長は既に、レイジが勝っていた。彼はもう、人族の中でも一番の体格を有している。

「では位置について」

「!」

 筋肉と筋肉が、激しくぶつかり合う。


――


「――【ブラック】! どうだ?」

 クリューソスの造った最初の魔道具。それはレイジの両親を殺したエルフの魔石が埋め込まれた剣だった。それを眺めるレイジに、ある日アンガーが話しかけた。

「……それが、俺達の名前か?」

「そうだ。『黒い』という意味の他に、『過酷な労働環境に対するボイコット』の意味も含まれてる。あたしらは、ブラックなんだよ」

「……?」

 アンガーは立ち上がり、両手を広げて空へ向いた。

「この世は【ブラック世界】だ! 不条理をあたしらに強いる世界だ! そこから逃れるには、死ぬしかない!? そんなの嫌だろ! あたしは生きたい! 違うか!?」

 夕暮れ時。アンガーはよく叫んでいた。空へ向かって。

「反乱軍『ブラック』! この亜人の世界の影と闇! 『思い知らせてやろう』じゃんか!」

「…………!!」

 彼女が。


 どこから来たのか?

 何故こんな言葉を知っているのか?

 何故あんな戦闘技術を持っているのか?


――


 それを知る前に。

 彼女は殺された。

 普通に。いつものように。路地裏に、転がっていた。

 魔道具の材料を獲りに都へ潜入していた時だ。

 裁判になどはなる筈も無い。いくら気を使える戦士だとしても、国の中では四面楚歌だ。狙い撃ちされれば、勝てる訳は無い。

 生き急いだ。その勢いのまま。

「――お前は逃げたんじゃあない。アンガー。戦って――『勝った』んだ」

 彼女は、唯一、『亜人に恐れられた』人族だった。魔力媒体を狙い、亜人を暗殺すると、指名手配さえされた異常な人族だった。

 墓を背に。レイジは立ち上がった。隣にはクリューソスが控えている。あれからもう、10年経った。

「俺達は『革命軍ブラック・アウト』。国に喧嘩を売る反乱じゃ無い。世界に、変革を起こす」

「「おおおおおお!!」」

 一斉に、彼らは立ち上がった。

「まずは、竜王に俺達の『存在』を『認めさせる』。行くぞ」

 遥か高みを見上げる。頂上を雲に覆われた『竜の峰』。

 レイジは決意した。


――


 そして。開戦から約1時間後。

「レイジ!!」

「どうした?」

「竜王が! 広場へ出て来たぞ!」

「……なんだと?」

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