第15話 花の国にて

 人族解放戦線――ブラック・アウト。『その噂』は、『花の国』から始まることになる。

「知ってるか? 人族が蜂起するらしいぜ」

 とある酒場にて。盃を傾けながら、エルフの男は語る。

「はー? そんなもんカスだろ。俺ひとりで充分だっつの。あんな『魔無し』がいくら束になろうが」

 返すのは翼人族の男。自慢の羽毛を撫でながら酒を呑む。人族など問題にならない。それは常識である。

「じゃあ、試してみるか」

 不意に声が聞こえた。

「あ?」

 昨日までは。


――


「治安部隊が到着した時にはもぬけの殻。被害者は種族も分からん程グチャグチャ。誰が何をしたのかは分からん。だがもう、3件目らしいな」

 オーガの男。その巨大な手にしては小さすぎる新聞を眺める。

「気になる記事でも?」

 隣にはドワーフの女。恰幅の良いその女は金槌を振り回しながら訊ねる。

「共通点はふたつ。『人族を馬鹿にすると現れ』『相手を気絶させてからトドメを刺す』」

「……グレン」

 名を呼ぶ。彼は狂暴な笑みを隠しきれていない。

「……はっ!『狩人』の血が沸くぞ。『失神ブラックアウト』。……ラスという男」


――


「――『神』?」

 ウェルフェアは、再度呟いて訊ねた。聞いたことの無い言葉だったからだ。

「ああ。……神。まあ、説明は難しいんだがな。何て言うか……ドレド、どうだ?」

 受けてヒューリも、詳しくは答えられない。なんとなくは分かるが、説明となると難しい。

「端的に言や『祈る相手』だな。なんとかしてくれる、可能性のある存在。人智を超えた存在」

「……なにそれ。祈れば助けてくれるの?」

 ここは『花の国』、彼らの隠れ家。世界で最も奴隷の数が多いこの国で、まずは仲間を集めようとしていた。王はエルフ族。森を出たエルフである。森のエルフからは嫌われているが、同じく森を捨てたエルフを主体とする国民からの支持は厚い。

「いや。都合良く助けてはくれない。もしそうなら人族は迫害されてないだろ」

 隠れ家はどこかの路地裏と繋がる、決して建物とは呼べないようなボロ小屋だ。最低限の生活用品のみを残し、後は全てゴミである。

「じゃあ祈る必要ないじゃん」

 ウェルフェアは、ボロボロのソファに座っている。

「違うんだよウェルフェア。『それでも』祈るしか無いんだ。そして『救済』が、『生きている内』とは限らない」

「……?? 死んだらもう助かってないじゃん」

 ウェルフェアが傾ける首の角度がどんどん鋭くなっていく。

「……『神』。一応、私達のお伽噺にも出てきましたね」

 見かねて、シエラが口を挟んだ。ヒューリへの給仕を止め、ウェルフェアの隣に座る。

「どんな?」

 シエラはにっこりと、ウェルフェアへ微笑みかける。

「全ての種族を束ねる王の王。強大な魔力を持ち、全種族を滅ぼす最強の兵器。いずれ世界に終焉をもたらす『終世主』だと」

「……?? 王さまなのに滅ぼすの?」

「ええ。自由自在なのです。生かすも殺すも彼の『気分次第』。それだけ強大ということ。逆らえば絶滅。どこにいても監視していて、一瞬で誰でも殺せる。だから悪いことはできないぞと雛――子に、教育するのです」

「……そんな怖いやつに祈るの? ドレド変だよ」

「いやいや待て。そんな物騒な説明あるかよ。全知全能で救いの主だろ。全てを見守ってくれている」

「『全知全能』は証明できない以上可能性はありますが、『救いの主』は確実に否定できますよ。だって『貴方も誰も、救われてなどいない』」

「……ぐっ!」

 シエラの黒い瞳が、焦るドレドを映し出す。

「そんな伝説が、翼人族にあるのか」

「……はい」

 呟いたのはヒューリ。左手で食べることには慣れてきた様子。

「私は個人的にですが、それは『種族ALPHA』だと思っています。この世界と種族を創造した『創造種』ですから、世界を終わらせることもできると」

「ふん。……まあ、誂え向きだな」

 ヒューリは立ち上がった。雑談はここまでだ。穴の空いた壁の向こうから、偵察を終えたフライトが戻ってくるのが見えた。

「ウェルフェアの言う通り、俺達に助けてくれるような『神』は『居ない』。大昔の人族には居たとしても時代の流れと共に『失った』。……都市部へ行こう。奴隷が多い筈だ」

「そろそろチンピラをボコすのも飽きてきたしな」

「あれはただの訓練だよ。ドレドにもフライトにも、『気』の使い方を伝授するための」

「リーダー! ニュースだ!」

「なんだ?」

 戻ってきたフライトは新聞を握り締めていた。放り投げると、ヒューリが左手でキャッチする。

 勿論彼はエルフの文字を読むことができる。

「指名手配。……『俺の名前じゃないな』」

 シエラが脇からそれを覗いた。

「ですが『ブラック・アウト』の名前は伝わるようですね」

「ああ」

 ヒューリは少し興奮していた。自分が始めたことだが、『後追い』で同志が生まれたと思ったのだ。

「……【ラス】か。いつか会えると良いな」

 その名前は。

 一気に『花の国』に広まることになる。


――


 この世界の『人種族』と呼ばれるものは大まかに9つ。


 ①『人族』。何も持たない種族。奴隷の種族。今日も街を歩けば、鎖に繋がれた人族が苛烈な労働に従事させられている。馬車を牽き、畑を耕し、荷物を持っている。力も無く魔力も無く、病気に対する免疫も低いためすぐに死ぬ。今日もまた、往来で人族が倒れている。

「ちっ。また壊れたか。じゃ、帰りに道具屋寄るぞ」

「はーい」

 道具。この国ではそう呼んでいる。父親は面倒臭そうに倒れた奴隷を蹴り、子供達はそれを意に介さず付き従う。文化とは『慣れ』である。常態化である。『それが普通』となれば、誰も異常に気付かない。この国では『異常ではない』のだ。


――


「……う……」

 道端に捨てられた彼はどうなるのか。『死体の処理』をするのも、奴隷である。基本的に労働は奴隷の役目である。賃金も安く済み、食事も寝床もそこまでしなくて良い。死ねば、処理はまた奴隷。今この国は、奴隷制度のお陰で『虹の国』に匹敵する力を身に付けようとしていた。

 何故、ここまで人族が『居て』『要る』のか。彼らも彼らで、『仕事が無ければ生活ができない』からだ。『花の国』には奴隷に対して需要がある。つまりここへ行けば、取り敢えず仕事はある。『集落』の恩恵に与れない『野良』の人族は、自らの意志で奴隷になることも少なくない。

「……畜生……」

 だが。人族以上の種族の『基準』で労働を強いれば、多くは命をも落とすことになる。彼ももう、力尽きかけていた。

「大丈夫ですか?」

「!」

 声を掛ける。手を差し伸べる。救う。『人族を』。死にかけの彼は、『最後に』。

「……ひどい怪我。早く治療をしましょう。立て……無いですよね」

 『彼女』を見た。美しく輝く救いの手を。それだけで彼は満足したのだ。

「ぁ……」

「?」

 虹色に輝く宝石のような瞳。黄金に輝く角。白く美しい肌。ふわりと上品な香りのする、流れるような白金の髪。

「……女神様……」

「えっ」

 そして、気を失った。死んだわけでは無いと、鼓動を確認する。

「……ラス」

「ああ。運ぼう。全員は勿論無理だが、『救えるだけ』は救う。そう決めたからな」

 ラスは彼とレナリアを馬へ乗せる。フードを深く被っていれば、すぐに『人族』とはバレないものだ。

「人族の暮らす区画があるらしい。亜人の『国』で暮らす以上、自給自足とは行かないから、奴隷でも働くしかないんだとよ」

「ひとまずそこへ行きましょう。ここまで来ればもう、『虹の国』は目と鼻の先ですから」


――


 彼らはあの暖かい集落で寒波を越え、1ヶ月でここまで辿り着いていた。

「わっ」

 開口一番、リルリィが鼻と口元を押さえた。異臭を感じたのだ。

 悪臭。鼻をつんざく刺激臭。腐乱臭。下水、汚水の臭い。涙さえ出そうになる。

「……ラス」

 流石のレナリアも、顔を歪めた。だが。

「そうか。ふたりは初めてだな。覚えておいたら良い。これが『人族の臭い』だ。正確には『人族の世界』のな。虐げられ、隅へ追いやられた者の世界。衛生なんてこれっぽっちも無い。だけどなんとか。生きるしか無いんだ」

「……!」

 レナリアは、これまで王族として世界最高級の待遇だった。生まれてから王になるまでずっと、こんな臭いは嗅いだことも無ければ存在することも想像しなかった。

「見ろ。汚水で顔を洗い、ハエの集る残飯を家族で分け合う。俺も。俺『でさえ』恵まれていたんだ。『森の集落』はここほどじゃあ無かったろ」

「…………ええ」

 本当に、酷い。この世のものとは思えない。だが現実だ。『花の国』は栄えある国だが、一歩踏み外せばこんな側面がある。これを、恐らく国民の殆どが知らないのだろう。

「……無理はしなくて良い。俺だけで行ってくるよ」

「!」

 ラスは先程拾った男性を馬から降ろす。馬の鼻も敏感である。これ以上先へは進めない。

「大丈夫です」

 レナリアは即答した。そして樹の枝で作った杖を頼りに、よろよろと進み始める。

「……リハビリの成果だな」

「ええ。まだ杖が必要ですが。今に自分の両足のみで立ってみせましょう」

 我先にと、レナリアは歩む。未だ臭いには慣れていないだろうに、ラスはその『姿勢』を、美しく思う。

「リルリィは?」

「だっ。大丈夫だよっ」

 レナリアを見て。否。ラスの説明を聞いて。ここで『くさい』と言って拒絶しては、『ダメ』なのだと直感で理解した。深くは考えていない。だがここで引いては大好きなラスに『がっかりされる』と思ったのだ。

「……ぅ」

「おっ。起きたか」

 ラスに担がれる男性が、目を覚ます。その視界には、亜人の少女が映る。

「…………助けられた、のか」

「ああ。一番にアンタの手を取ったのが、杖を突いてる方。ちっこい方が竜人族でね。俺達の協力者だ。亜人ても、全員が全員人族を馬鹿にしてる訳じゃないらしい。優しい子だ」

「……そう、だな」


――


 ②『竜人族』。別称ドラゴニュート。角と尾、鱗を持つ種族。その角は高度に魔素を感知し、尾は吸収した魔素の体内でのバランスを取る。自身の質量すら変える『変身魔法』という大変高度な魔法を使い、『亜人最強』の称号を持つ。例え子供でも、モンスターの出る危険地帯でひとりで生活できるほどの力を持っている。

「……人族ふたりに、竜人族の子供がひとり。随分風変わりな『一行パーティ』だな」

 そこでは人族がひっそりと身を寄せ合って暮らしていた。ラス達を迎えてくれたのは倒れた男性の家である。とても家とは呼べないボロボロの『小屋もどき』であるが、3人は迎え入れられた。

「リルリィは怪我をした『はぐれ』だ。虹の国へ送ってやる最中だ」

「……何故?」

 男性は首を傾げた。人族が、竜人族を『送ってやる』と。決死の旅をして。いつその辺で死ぬとも分からない弱い弱い人族が。

「…………」

 ラスは言わなかった。ここの人族は、花の国の人族だ。竜王の事や奴隷解放の事を話せば、どこから漏れるか分からない。人族の結束は固いとは言え、全ての人族が同じでは無い。

「命の恩人だからさ」

 ラスは隣に座るリルリィの頭を撫でた。彼女は眼帯をしている。その左目はオーガに抉られた。レナリアと同じく彼女も重傷者だ。この旅は、本当に危険な旅なのだ。

「ラスが。わたしの恩人なんだよ?」

 リルリィはぽかんとして訂正した。

「……そうだな」

「で、君達は夫婦なのか」

「!」

 男性のひと言。レナリアはびくりと反応した。

「まさか。歳の差があるだろう」

「!」

「では何故旅に? そんな大怪我をしてまで」

「ある約束があってね。色々あるのさ」

「!」

「ふむ。もしかして伝説の『王族』とか」

 男性とラスの台詞の度、反応するレナリア。

「なんだそれ?」

「人族の中の、王だ。その美しい髪。肌。瞳。『人とは思えない』ほどだ。もしかして、な」

「…………」

 人族に、王がいる。そんなことは考えられない。国すら持っていないのだから。

 ふたりは顔を見合わせた。


――


 カンカンカン、と。

 その時、激しい音が鳴った。この集落中全てに聴こえるような大きな音である。

「!」

「なんだ?」

 ラスは立ち上がった。同時に、男性も外へ目を向けた。

「……そうか。もうそんな時間か」

「何か始まるのか?」

 ラスが訊ねると、男性は渇いた薄い笑いを浮かべた。

「そこから出て、右の路地を抜けたら少し大きい道に出る。まっすぐ行くと広場だ。行ってみれば良い。私は今回は遠慮しておくよ」

「??」

 レナリアと顔を見合わせる。ラスの知らない人族の何かだろうか。

「分かった。行ってみるよ。じゃああんた、元気でな」

「……ああ。ありがとう」


――


 ③『森人族』。通称エルフ。森に棲む人種。他の種族より、人族に対して抱く嫌悪感が強い傾向にある。様々な魔法を使う種族。

「…………!」

 ざわざわと、雑多な会話が聞こえる。広場には沢山のエルフが居た。この国の国民はエルフが多い。美男美女の多い、エルフの声が四方から聞こえる。

 その声は、笑っていた。しかも嘲け笑っている。それは、やはり人族に対してのものだった。

 広場には、舞台があった。その上に、エルフ達が居た。

 舞台の下に。人族が集まっている。

「これは……何かを、投げている……?」

 視力の良い、レナとリルリィが最初に見た。

「…………この……っ……!!」

「――ラス?」

 だが、最初に『理解』したのはラスだった。つい先程まで落ち着いていた彼の感情は、刹那の間に沸騰した。

「…………ギリッ!」

 強い歯軋りの音。リルリィは驚いてしまった。レナリアは、注意深く広場を見て彼の『怒り』の理由を探る。

「……もしかして」

 舞台の上から、豪華な衣服を着たエルフ達が投げ入れている物。『それ』に、人族が必死に群がっている。隣の者を蹴飛ばしながら『それ』を手に入れようと、醜く争い合っている。

「お金……?」

 レナは気付き、はっとして口を抑えた。ラスを見る。煮えたぎる怒りを握り締め、わなわなと震えている。

「食い物もだ。あれには子供が群がる」

 広場は凄まじい光景だった。まるで獣のように群がる人族と、それを嘲笑しながら眺めるエルフ達。人族を奴隷どころか、家畜か何かとすら思っていそうな、そんな光景。

 【】光景。

 これが華やかなこの『花の国』の、人族目線での現状だった。

「…………!」

 ラスはしばらく固まっていた。彼も初めて見るものだった。人族は、自分の尊厳すら捨てても、『それら』が欲しいのだ。生きるために。家族を生かすために。

「……行こう」

「良いの?」

 だが彼はそのぶつけ先を見付けられず、仕舞い込んだ。

「…………今は、俺だけじゃ何もできない。先を急ごう」

「……分かった」

「うん」

 今、例えば広場へ突っ込んで暴れても、エルフ全員を相手にはできない。それに、騒ぎを起こせば今後このような『餌付け』は行われないだろう。

 皮肉だが、これで助かっている命がある。これからもこの国に住む人族の地位をこれ以上貶める訳にはいかない。

 ラス達は広場を去った。先を急ぐ。レナリアが奴隷を解放すれば、彼らも救われる。

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