第16話 怒りと慕情
ラス達が去ってから。
その翌日も、同じように広場では『餌付け』が行われていた。
「な…………っ!!」
それを覗いたのは。覗いて『しまったのは』。
隻腕の男。ヒューリ一行……つまりブラック・アウトだった。
彼は血が滲むほど左拳を握り締めた後、肘から先の無い右の腕で隣のウェルフェアの頭を優しく撫でて、フライトを見た。
「俺ひとりで良い。……ぶっ壊してくる」
「おい待てヒューリ! 危ないぞ!」
フライトは止める。だがヒューリは既に彼を見ていない。
「……ヒューリ」
ウェルフェアが呟いた。その小さな瞳には、彼と全く同じように怒りが燃えていた。
「やっちゃえ」
「おい……。シエラ、お前も……」
「私は、ヒューリ様のなさる通りに」
シエラも止めなかった。ドレドを見ても、何も言わない。
この状況に対し、怒っている。それは全員の一致した気持ちだった。
ヒューリは駆け出した。
――
「ウフフフ。愉しいですわ。愉快ですわ。人族は本当に醜いですわねえ」
「アハハ。そら。高級なパンだぞう? ほらほら」
「俺のエサの方が多く集めてるぞ! ほうら!」
エルフ達は心の底から楽しそうにやっている。腸が煮え繰り返る。虫酸が走る。こんな下種どもに、豚のように扱われていることに。
「死ね」
「…………え?」
市民は、戦闘員ではない。これは油断ではない。周囲を警戒することなど、『国』という大きな力に守られ、さらには森を捨てた彼らには思いも付かないのだ。
ナイフ1本。達人ヒューリの腕を持ってすれば、それだけで辺りの数人、一瞬で首を掻き切れる。
「……!!」
「きゃあああああ!!」
広場はさらにパニックと化した。
――
④『鬼人族』。通称オーガ。巨体と鬼の角を持つ種族。鋼の肉体は小手先の剣や魔法は通用しない。その体格に見合う武器を扱う、人族では決して敵わない種族。
「来たか。……【ブラック・アウト】ォォ!」
広場を、周りの家の窓から見ていたオーガの男は、嬉しそうに飛び出した。
「!」
爆発音が轟く。そのまま着地する。その衝撃で人族の人達が吹き飛ばされ、踏みつけられ、死んだ。
「てめえ……っ!?」
ヒューリも既に、何十人も殺している。彼が動きを止めてそのオーガを睨み付けると、エルフ達は這う這うの体でその場から逃げ出した。
「ははぁ! 改めて、オーガの『人狩りグレン』だ。てめえも名乗れ!」
「……――!」
ヒューリは目を見開いて睨む。こいつは何を言っているのか。何故楽しそうにしているのか。馬鹿じゃないのか?
「お? お前……俺の国で会った人族じゃねえな? ラスじゃねえのか」
「『ラス』……?」
ゆらりと、ナイフを構える。その背後に、フライトとドレドが走ってきた。
「ヒューリ! 加勢するぞ!」
「ここまで来たらもう一緒だ。さらに状況は変わった。流石にオーガはお前ひとりじゃ荷が重い!」
さらにシエラが、彼の隣に降り立った。
「人狩りグレン。悪名高い『人族専門のハンター』です」
3人がそれぞれ話し掛けるが、ヒューリの耳には殆ど届いていない。
「…………なんだって構わねえ。殺してやる」
「ふははっ! 来い! 俺は軟弱なエルフとは違うぞ!」
ラスは、我慢した。
だがヒューリはできなかった。
ふたりの命運は、ここで別れることになる。
――
山を越える。その先の谷に、目的の国がある。面積の最大では『鉄の国』。種族全体での最多は『獣人族』。だがその国は、人口に於いて世界最大。最も民が居る、最も発展した国。あらゆる種族を歓迎し、世界の中心となった国。
竜王の治める『虹の国』が。
――
「現在、主に獣人族が中心となり、『竜人族以外の国民が竜人族に対して』反乱を起こしています。割合だと、全国民のうち竜人族は約4割」
「半分以下か。よくそんな国にしたな」
「……分かり合えると、思っていましたから。議会や貴族は逆に、竜人族が大半を占める。これが良くなかったのです。影響力の低下は問題視していましたが、私が居なくなると途端に、こうも容易く荒れるとは」
「あんたの存在がそんだけデカかったんだろ。あんたを失った後の政権が『分かり合える』と思ってなかったんじゃないか」
あの、『餌付け』の町を出て1週間。この日は山中で野宿をしていた。火を囲み、レナリアが現状を話している。
「……お母さん、皆、大丈夫かな……」
「…………」
リルリィも、何となく理解し始めていた。今、この世界で何が起きているのか。自分達はその中で、何をしようとしているのか。ぼうっと、揺れる炎を見詰めながら考えていた。
「結局、その獣人族が反乱を起こす為の火付けとして、あんたが襲われた訳だ。……あんたが戻って、収まるのか?」
「やるしかありません。角と尾を失い、魔法を失った私に残された武器は『竜王であること』しか無いのですから。それさえ使えなければ本当にただの役立たずになってしまう」
「…………。そうだな」
相手は獣人族。世界最多人口の種族。各地に散らばる彼らがもし一致団結したなら、誰も立ち向かえない。
「さあ……そろそろ寝よう」
「はーい」
「……お休みなさい。冷えますので、ラスもしっかり暖を取ってくださいね」
大きな幹に立て掛けた丸太に葉を敷いて、即席のテントを作っている。リルリィの魔法に手伝って貰い、比較的短時間で完成させることができる。
「…………」
ラスはテントの奥で身体をくるませて眠るふたりの竜人族を見る。小さな身体だ。無害そうな寝顔。可愛い寝息。見ているだけで、荒んだ心が和んでいく。
「……魔法、か。分かっちゃ居たが、ここまで旅が楽になるとは」
そのテントはラスの指示の元、リルリィが竜に変身して組み上げた。その火は、勿論火の魔法だ。最近はレナリアに指導を受け、色んな魔法も覚えようとしている。清水を生み出す魔法は旅の安全性をぐんと上げる。食料は、リルリィでもラスでも、基本どんな魔物でも狩れる。旅をする上でよく躓くであろう『感染症などの病気』『脱水症状』『栄養失調』『食中毒』『低体温症』等を防いでいる。
リルリィひとりで、それを可能にしているのだ。
「レナとふたりでも何とかはしたんだろうが……大違いだ。こんなに早くはここまで来れていない」
「んぅ……」
小さく寝返りをひとつ。寝ている姿はまさに子供。左目を隠す眼帯を除けば、ただの女の子だ。
「こんな奴等がひしめき合う国。それが今の世界。……はぁ。どうにかならんかね」
翻って。人族には何があるか。力は無い。魔法は使えない。数も少ない。正に無力。
本当に、『祈る』ことしかできないのだ。
――
「寝ないんですか」
「……レナ」
テントからレナリアが出てきた。焚き火を挟んで、その綺麗な白い顔が陽炎に揺れる。
「睡眠は大事ですよ」
「……あぁ」
彼女はラスの座る丸太まで来て、隣に座った。
「考え事さ。俺達はそれしかできないから」
炎に充てられ、影が揺らめく。レナリアは彼の横顔に、哀愁を感じた。
「……たまに、ラスはそうなりますね」
「?」
「寒いです」
と言って、レナリアはラスに密着するように移動する。
「……ネガティブと言いますか。自虐と言いますか。卑下と言いますか。ラスの中での『人族』を、とても低く見積もっている時があります」
「……事実だろ。この世界は魔法が使えなきゃ生きていけない仕組みになってる」
「そんなことありません。ラスは生きています。『少し不利』なだけです。そして今はそれを、正せる可能性がある」
「…………」
ラスは少し驚いてレナリアを見た。彼女は自分こそがその『可能性』だと宣言したのだ。恐らくはラスの為に。
「なんですか?」
「……そうだな。多分、夜だ」
「?」
炎に照らされたレナリアの顔は赤く染まっている。ラスは自分を心配してくれている存在が居ることに感謝をした。
「暗闇に居ると、気分まで暗くなるのかもな。夜に寝て朝起きるってのは、精神的な意味でも正しいんだろう。……俺はたまに、夜に負けそうになる」
「だから人は、支え合うのです」
「……『人』」
「ええ。人族も竜人族も獣人族も。全部『人』の字が、言葉が入っています。皆同じなのです。魔力の有無なんて些細な事。魔法を振りかざして人族へ迫害をするのは、恵まれた体格を活かして言うことを聞かせる子供の喧嘩と同じです。最近、ようやくそれが分かってきました」
「…………」
同じ、『人』同士。ラスは考えたことが無かった。無意識に人族と亜人族で分けていた。
「…………」
レナリアは、勢いに任せて、彼の肩へ頭を傾けて乗せた。
彼は拒まなかった。
「『歳の差』ですか」
「……悪かったよ。だが見た目で言えば」
「それは人族の物差しでしょう」
「…………それは、確かに」
レナリアはずっと考えていた。ラスを、救う方法は無いかと。人族でなはい。ラス個人を。あの、憎しみの権化のような怒りの形相を。あれをどうにかしてあげたいと、癒してあげたいと。契約を結んだ時からずっと考えていた。
「…………」
そしてその気持ちは、旅を続けていく内に大きくなっていく。
居たのだ。これまでは。ラスの癒しとなれる人物が。だが死んでしまった。
「ファンはさ」
「!」
ラスはラスで、レナリアの気持ちに気付かないことは無い。『気』の達人である。気付かない訳は無い。
「ずっと明るい奴だった。夜でも、太陽みたいに。たまにしか会わないけど、いつも楽しそうに笑っていた。自分の気持ちに素直に生きてる奴だった」
「……ラス。私は」
命の恩人。拷問に遇い、死ぬ寸前で助けてくれた。それだけではない。憎むべき亜人と知って助けてくれた。さらには帰郷の護衛を買って出てくれた。そして実際、ここまで連れてきてくれた。まともに歩けない、魔法も使えない自分を。
その先に人族の悲願という目的があったとしても。
「私は……」
逞しい腕。何度担がれたか。力強く、優しい腕。貧弱だと勘違いしていた種族。世界に魔法が無ければ、鍛えた人族は相当強いだろう。何度助けて貰ったか。
彼女が彼に慕情を持つのは自然であった。
「レナ」
「!」
だが。
何かを決心して、言おうとしたレナリアの小さな唇は止まった。彼が遮った。
「今は駄目だ」
「えっ……」
ラスは。
「状況が悪い。だから、『それ』は、今は駄目だ」
「そんなこと……っ」
気を扱う達人である。つまりその『気』を扱える程の強靭な精神を持ち合わせている。
ラスは、レナリアと目を合わせようとしない。彼女は初めて会った時を思い出す。
「……ラス。私には分かります」
「?」
「貴方は疲れています。休まなければいけない。雪の集落で足止めを食らったとは言え、ここまで殆どノンストップで来ている。身体も精神も限界の筈。貴方は『癒されなければいけない』」
何より。
慕情もあるが――勿論。
何より、彼自身の事を案じて。レナリアは抗弁した。最早懇願に等しい。何か、何かさせてくれと。
人族は――ラスは。
救われなければならない。
「…………じゃあ」
その気持ちも、勿論彼に伝わっている。
「!」
呟いて、密着するレナリアの両肩を掴んで優しく離す。
「……?」
「少し、寝る」
目を合わせて言った。
「え……っと」
「駄目か?」
「……」
レナリアは少しだけ吃驚したが、すぐに微笑んだ。
「いいえ。お好きにお使いください」
「……ありがとう」
そのまま、倒れ込んだ。彼女の膝の上に、頭を乗せて。
数秒と経たず、彼は眠ってしまった。
「…………」
迫害され、領地を奪われ、故郷を焼かれた歴史。殺され、連れ去られ、奴隷にされた祖先。幼少からの血の滲む努力でようやく掴んだ秘密兵器。大怪我人を連れて大陸を縦断する強行軍。
人族は疲れている。彼は疲労困憊だ。
その髪に、肌に触れる。
「……お休みなさい。ラス」
レナリアは満足した。
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