第23話 酣、愛。幸せ。
静かに、扉を開ける。夜も更ける頃。レナリアは少しだけふらついていたが、部屋へは上手く忍び込めたようだ。
星明かりが射し込むカーテンを閉める。部屋に光は蝋燭のみ。照明魔法は人族の集落には無い。
「……ん?」
ラスは眠っていた。傷自体はリルリィの治癒魔法により塞がっているが、失った血は戻らない。魔法があろうと栄養と睡眠は必要である。
だが、目が覚めた。怪我により重く感じる身体だが、今は別の重みを感じたのだ。
「あは。起こしてしまいましたか」
「……ああ、レナか。……何で乗ってるんだ?」
重みの正体はレナリアだった。彼女が仰向けに寝るラスの上に、馬乗りのように跨がって乗っている。ラスは不思議に思い、理由を訊ねた。
「あはは。何ででしょうね」
蝋燭の火に照らされたレナリアの表情は、へらへらとした笑みで崩れていた。
「おいおい……酔ってんのか」
「酔ってませんよう。あはは」
「大丈夫かよ。今水を――」
上体を起こそうとして。
「駄目です」
「っ!?」
レナリアに押し倒された。ラスは抵抗できない。
「うふふ。あはは。こうなるとラスと言えど手も足も出ませんねえ」
「……いやまあ、そりゃあな。どいてくれよ」
「駄目ですよう。うふふ」
笑いながら、レナリアも身体を倒した。両手を支えにして、ラスと顔を近付ける。
「わあ。ラスが近い」
「レナが近付いて来たんだ」
虹色の瞳と目が合う。口はだらしなく開いている。
「んっ…………」
「!」
普通に。自然に。あっさりと。これまでずっとしてきたかのように。
唇が重なった。
「…………」
ラスは驚いたが、予想できたことだった。彼女の気持ちに、既に気付いている。そして今は、抵抗ができない。
「…………は……っ」
離れると、吐息が漏れた。また目が合う。レナリアの表情には『女王』は無く、ただひとりの女性として彼を求める表情をしていた。
「……えへへ。……しちゃいましたね」
そして、支えている腕が疲れたのか、ラスの胸に顔を埋めた。
「…………レナ」
「黙ってください」
「!」
ラスの言葉を。今だけは聞きたくなかった。何を言われるか予想が付くからだ。きっとまた、優しく拒否される。レナリアはそう思い込んでいる。
「もう、ここは虹の国です。貴方への依頼は達成された。セシルにも会えた。彼女を頼れば私は安全に竜の峰へ辿り着ける。……この前とは状況が違います」
「…………」
頬を擦り付ける。なんと逞しい胸板か。力強い腹筋か。男らしい腕か。
「私は貴方の事が好きです」
「!」
自然に。あっさりと、口にできた。
――
それは、宴の席での話。豪快に呑むセシルの隣で、レナリアはちびちびと呑んでいた。
「……っぷは! しかしレナリア様も遂に、お相手を見付けられたそうで」
「は!? なな、何ですか?」
唐突なセシルの言葉に、噴き出しそうになった。
「あのラスという男。筋力、胆力、戦闘力。竜人であれば良い騎士になっていたでしょう。例え人族でも、私は申し分無いと思いますね」
「いや! ちょっ……どうしたのよ急に」
「レナリア様。先程からラスの話をする度に私でも見たことの無い表情をされます。『火の国』の皇太子殿下のアプローチにも無反応だったあのレナリア様が。よもや人族に首ったけとは。宰相や弟君が知ったらどんな顔をするやら」
「…………。でも、駄目よやっぱり。彼は私を、そういう風には見ないもの」
「と言うと?」
「私の見た目が子供だから。怪我の治療の時に肌を晒したけど反応も無いし。それに、彼は私を『利用』しているから。彼には私じゃなく、『人族解放』しか見えていないのよ」
「それは、彼にそう言われたのですか?」
「いや……。そういう訳じゃないけど……」
「なら、我慢してるだけですね」
「……そうなの?」
酒が回ったセシルは、いつもより饒舌になる。
「レナリア様は見目麗しい。それは事実です。それも他種族のラスから見ると一層際立つ筈。意識しない【訳が無い】」
「いや。……でも」
「ですがラスも分かっています。レナリア様が女王であることを。それに、子供達の目もある。今までは我慢するしかなかったんです」
「…………」
「ですから多少、強引に行くべきです。早くしないと、間に合わなくなっては遅いのです」
「……どうして?」
「彼は人族にとって英雄となるでしょう。そう。『選り取りみどり』と言う訳です。今の内に獲っておかなくては、彼を欲しがる女性など無数に現れるでしょう」
「!」
レナリアの胸に、がんと衝撃が走った。正体は『焦り』である。そうだ。目の前のリルリィだって危ない。彼女もラスを好いている。あと数年経てばもうどうなるか分からない。
今までの旅はどうだったか。
ファンは特別としても、魔人族のシャラーラ。鬼人族のザクロ。魚人族のローラ。ヒューリではなく、ラスに付いてきたウェルフェアだって、本当の所は分からない。
彼へ好意を抱く(ように見えた可能性のある)女性は少なくない。
――危ないと。レナリアは思った。
「ど……どうしよう」
「彼へ想いを伝えたことは?」
「無いわよ。無理よ。言えっこないわ」
あわあわとし始める。こんなレナリアも初めてだ。セシルは少し面白くなってきた。
「なら、『これ』です」
「!」
セシルはレナリアの前に、どんと水筒を置いた。
「……お酒?」
人族の造った、素朴な味の酒。瓶を作る技術や設備が無いため、革の水筒に容れている。セシルは気に入っているようで、もういくつも空けている。
「そうです。酒の力で、行ってしまいましょう」
にかっと笑った。
「……そうね。分かったわ」
レナリアも既にこの時、軽く酔っていた。
――
そして現在。
「あは。うふふふふふ……」
「…………」
レナリアは。
ラスに抱き付いて。
「……寝てやがる」
眠っていた。
「えへへ……」
幸せそうに笑いながら。だらしなく口元を緩ませながら。
自然に。普通に。まるでいつもそのようにして寝ているかのように。
「……はぁ。世界の王がこれじゃなあ」
――貴方の事が好きです。
どこから寝言で、どこまでが彼女の意思だったのか。気を操るラスには勿論分かっている。
その上で。深く溜め息を吐いた。
「休息が必要なのは本当に俺だけか? ……なあレナ。あんたこそ、気を張りっぱなしだろうに」
この集落では、つい一昨日エルフに襲撃され、多くの人命が失われた。
……悲しいことだ。
治療に当たった3人も一晩中魔法を使い続け、疲労している。
……ありがたいことだ。
「だが」
だが。
「『人族』に必要なのは何を代えても『あんた』だ。倒れられちゃ困る。弱られちゃ困る。……反故にされても困る。あんたの気持ちとの決着は、必ず着けないといけねえ」
人族はもう、個人の感情で動いて良い種族では無くなっている。未来の子孫が助かるなら、喜んでその身を差し出さなくてはならない。
負傷した右手は動かない。左手で、レナリアの髪を撫でた。
「えへ。えへへへ……」
「もうちょっとだけ待ってろ。すぐ『家』へ帰してやるよ」
ラスは再度、決意を固めた。
――
少しだけ遡り。レナリアがいそいそとラスの部屋へ上がっていった頃。
その『匂い』を、ウェルフェアは嗅ぎ取った。
「リル」
「なーに?」
ころんと首をもたげたリルリィ。ウェルフェアはやれやれとかぶりを振った。何故、誰が。こんな子供に呑ませたのかと。
さておき。
「外出るよ。付いてきて」
「はーい」
顔を真っ赤に染めたリルリィは、ふらふらとウェルフェアへ付いていく。まだリルリィには分からない匂い。ウェルフェアが半分だけ獣人族であるから、察知できた匂い。
「(……交尾の匂いだ。多分レナ様。……さっきセシルとなんか話してたけど)」
鼻と、耳と、目。五感に優れた獣人族の特徴を受け継いでいるウェルフェア。魔力感知以上に、彼女の得意とする能力である。これまでの旅は、その五感とリルリィの竜人族としての魔力感知能力を併せて、さらにはラスの気配察知を含めてできるだけ安全な道を選んでいた。
「ねぇーウェルちゃぁん。どこいくのー?」
焦点が定まってないのか、リルリィは千鳥足になっている。ともすれば川に落ちてしまいそうだと、そうなれば酔いも醒めるかと思いウェルフェアは手を取ってやることはしなかった。
「はい、水」
「ありがとぉ」
上機嫌なリルリィはくぴくぴと水を飲む。すると一気に酔いは醒めたようだ。
「……あれ?」
「それもどうなの。……竜人族って不思議だね」
「ウェルちゃん」
「…………」
それは、ウェルフェアの人生に於いての課題とも言えるものだった。すなわち、『愛』『幸せ』について。その実態と、理由と、根源と、自己投影について。
ウェルフェアは川縁に腰を下ろして座った。リルリィも、その隣にちょこんと座る。
「……リルは、好きな人は居る?」
「ラスとレナ様とウェルちゃん」
「……」
即答だった。訊ねてみて、ウェルフェアは後悔した。リルリィの人生を鑑みれば、寧ろそれ以外の回答は皆無なのだ。……そしてそれは、自分に当てはめてみても。
「私はね。お父さんとお母さんが愛し合って産まれたんだ」
「みんなそうでしょ? わたしもだよ」
「……そう、なんだけどさ」
思い返せば、シエラも分かりやすい方だった。……友であったエドナの影響かもしれないが、彼女がヒューリへ抱いている感情は尊敬や感謝だけでは決して無い筈だ。『その匂い』は彼女とヒューリから知ったのだから。
レナリアなんかもっと分かりやすい。旅の途中、一体何百回彼の方を見たのか。
何故。
人は人を愛するのか。
「もっと色々……世界を見て回りたい。色んな人が居て、色んな考えと、強さがある筈。色んな……『愛』と『幸せ』がある筈だから」
「わたしは今幸せだよ?」
「えっ」
ウェルフェアは、リルリィと顔を見合わせた。
「皆と旅して。楽しいよ。ウェルちゃんは?」
「……私は」
それは。
知らないから言えるのだと、一瞬思った。リルリィは、5歳までの実家と、それからの『鉄の国』での過酷な生活と、ラスに救われてからの旅しか知らない。何より最強の竜人族なのだ。旅を危険に感じたことも少ないだろう。
だがそれでも、本人が幸せと言っていることに違いない。
自分はどうか。
『羽の国』での、隠されていたが充足していた生活と、それからの逃亡生活、そして今の旅。それしか知らない。少し歳上だろうが、その実あまり変わらない。
だがその道中で、何度も何度も、人族の悲惨な現状を見せ付けられてきた。自分達は不幸なのだと突き付けられてきた。
その代表であるラスは。現在レナリアと愛し合っている(であろう)ラスは。故郷を2度失っている。のにも関わらず、レナリアと。
「……ん~。頭こんがらがってきた」
「大丈夫?」
目を瞑って頭を抱えるウェルフェア。
「……今まではさ。ヒューリの『怒り』に便乗してただけだった。けどもうヒューリはここに居ない。ラスは優しいけど、甘くない。自分で考えて、進まなきゃいけない。ドレドの話を聞いて、ローラから私の名前の意味を知って。漠然とだけど、私は『幸せ』になりたいって思い始めたんだ」
「……ふぅん」
「あっ。別に今が全然駄目とか、そんなことは無いけど。このまま『竜の峰』に行って、私に何ができるのかなって」
人族解放は、人族の悲願だ。人族はもう、個人の感情で動いて良い種族では無くなっている。だが。
ウェルフェアは半分亜人であるから、だからこその不安と疑問だった。
「そもそも、敵の狙いが私なら、このまま行くのは危険なんじゃ……って、リル?」
リルリィが身体を寄せて、もたれ掛かってきた。こてんと頭を、ウェルフェアの肩へ置いた。
「……ふぅん。……ふぅん……」
「…………大きな寝息だね……」
ウェルフェアは少し笑ってしまった。そもそも、こんな子供に相談することでも無かったなと反省した。
「……私にも好きな人が出来れば、あんな顔するようになるのかな」
それはどれだけ先の話になるのだろう。ウェルフェアは自嘲気味に笑った。
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